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 まだ傷一つ負わすことのできていない女をぎっと睨み、リースは深く息を吸った。ちらちらと絡み合う視線に吐き気がする。
 思考を乗っ取られる不快感と同時に、胸にどろりとした澱のような感情が生まれた。

「愛しいボウヤ。かほど血を流せば、つらかろう? 人の身であり続けることなど、所詮は夢幻。そら、はよう墜ちぃ?」
「ッ、ロイ・フ・トシグナ・ラウフ――!」
「燃え上がる様は、火竜の咆哮。なれど、さしずめボウヤは松明に飛び込み、自らの身を燃やす爆ぜ虫よの」

 爆音とともに蛇のようにうねる炎が女に牙を剥くが、女はくすりと笑みを浮かべてそれを交わした。炎に手をかざし、猫の喉をくすぐるように指を動かすと、赤黒い炎の蛇がくるりと軌道を変えて、術者であるはずのリースに寝返った。
 ゴォッと音を立てて向かってきた炎をかろうじて避けはしたが、熱気によって頬がじりじりと痛む。
 荒れ狂う心臓が疎ましい。身の内でなにかがのたうつのを感じる。
 解放しろ――そんな声が耳の奥で囁きかけてくる。それを振り払うように短剣をきつく握り締め、地を蹴った。女の懐に飛び込み、一線を走らせる。傷を負った体のあちこちが悲鳴を上げるのも構わず、瞬発力を駆使して襲い掛かった。
 接近戦では長剣や銃よりも、短剣の方が素早い攻撃が可能だ。ぐっと踏み込み、跳ね上がるように短剣を突き上げる。肉の感触を捉えたのを感じ、瞬時に体を引いた。
 鼻先を長い爪が掠め、その判断が正しかったことを実感する。十分な間合いを取り、額に流れる血を乱暴に拭った。

「……随分とやんちゃに育ったものよ。のう、愛しいボウヤ? しばらく見ぬうちに、悪い虫でもついたかえ?」
「黙れ……!」
「その目、その声……わらわの知るものとは異なるが、その血、そのしるしは紛れもないわらわのボウヤ。骨の髄から――否、魂から疼いて仕方なかろうに。わらわが欲しかろう……?」

 刻み込まれた印は、血に濡れた灰色の髪を指差して女はうっとりと瞳を細めた。血に染まり、赤黒く色を変えた髪の中、異なる赤を宿す髪が一房存在している。
 より一層の赤さを主張するそれは、紛れもないあの女の血の色だ。
 どくり。呼吸さえ妨げるほど大きく脈打った心臓に一瞬意識を奪われ、またも視界が暗転する。
 ――草原。静かに口を開ける、暗い森。優しくて、愛おしいあの人。駆け寄る。花を差し出す。屈み込む。頭を撫でる優しい手。リース。甘い声が紡ぐ、己の名。抱き締められる。ふわり、香る。

 ああ、ああ、愛しいボウヤ。
 わらわのことが好きかえ?

 うん、だいすきだよ。

 それは嬉しいのう。ボウヤはほんによい子じゃ。

 うれしいの?

 そうとも。ボウヤがわらわのことを好いてくれるのであれば、それは喜ばしいことよ。
 わらわはボウヤを愛しておるぞ。
 ボウヤはいかがか。
 わらわのことを、愛しておるかえ――?



 うん、あいして――……



「ッ、イヒグ・ベルデ・ディ・ア・ユーフトゥ・ルアーグ!」

 もうなにも思い出したくはない。

「エスツ・ヴィーギン・ネッ!」

 すべてを掻き消すように叫び、リースは正気を失いそうになる頭を悪夢から憎しみへと塗り替えた。
 喉が裂け、血が口の端に滲む。術を放つたび、心臓が限界だと悲鳴を上げている。



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