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 傷口もある程度塞ぎ、痛みを散らす法術を施されたシルディが立って歩けるようになるまで、そう時間はかからなかった。
 テュールがすぐさまシルディの傷口に覆い被さり、出血を最小限に抑えたおかげだろう。「お腹に穴が空くと痛いんだね」などと笑いながら零すシルディを、ライナは真っ赤になった目で睨みつけ、己の肩に回させた腕をつねった。
 シエラの腕の傷も浅く、軽い消毒程度で済んでいる。
 疲弊しきったテュールをシルディの肩に乗せ、シエラ達は荒廃した聖堂内にぷかりと浮かぶ奇妙な球体に向き直った。
 まるで子犬をあしらうかのように軽くシエラの攻撃を避け、リースを自分の領域内に取り込んだ妖艶な女。アビシュメリナに入ってから時折感じていた強大な魔気は、おそらく彼女のものだ。
 やられっぱなしで終わるはずもない。十字剣からロザリオに戻ったそれを胸に提げ、シエラは強く結界を睨む。

「あそこに魔導師さんと、魔族の者が?」
「ああ。リース一人では無理だ。なんとかして、向こうに行かないと……」

 聖堂内の中央に浮いた大きな球体の中で、一体なにが起こっているのか皆目検討もつかない。触れればひんやりとした大理石のような感覚がするだけで、内側に空間が広がっているような手ごたえはまったくなかった。
 ライナも難しい顔をしている。ぶつぶつと何事かを呟いているが、その内容は聞いたことのない用語と計算式が混じっていて、シエラには理解できそうにもなかった。

「これなら……。エルク、貴方の出番です。神速を誇るその剣、信頼していますよ」
「ああ、任せろ。陰険眼鏡でも死なれちゃ後味悪いからな。――なんとかするか」

 こんな背筋が凍るような、不敵な笑みを浮かべる人間だったろうか、彼は。
 恐ろしくもあり、けれど自然と目が引きつけられるその笑みを浮かべ、乾いた唇をぺろりと舌なめずりして切っ先を向ける。
 ライナの導き出した答えは複雑だが、やればできないこともないものだった。あとは気力と体力の問題だ。
 なんとか乗り切ってみせる――と己に気合を入れて、祈るようにロザリオに口づける。

「まるで、囚われのお姫様の救出って感じだね」

 苦笑交じりのシルディに、エルクディアはにたりと唇を歪めた。


+ + +



 囚われていたのは、いつからだろう。
 夜が来るたびに思い出した。
 ――あの日からだ、と。
 恨みの記憶、悲しみの記憶、憤怒の記憶。
 けれどそこには確かに、愛があった。


+ + +



 あの日まで、すべてが満ち足りていると、そう思っていた。

 王都クラウディオは、城塞都市だった。だった、というのは、実を言えば正確ではない。なぜならば、現在も巨大すぎる城壁に囲まれ、街が息づいているからだ。
 そもそも、数十年前の――すなわち、魔物が出現する前の――本来のアスラナ城の城壁は、敵国の侵入を防ぐ目的だったために、他国のそれよりも二回りほど大きいだけであった。
 だが現在、王都クラウディオと呼ばれる街は、城壁を越えてもなお存在している。それは街を囲う城壁が、目に見える物質的なものから、対魔物用の結界に変わったためだった。
 圧迫感を感じさせる壁の変わりに、結界を築いている箇所には十字の杭や、小さな教会が建てられている。
 見渡す限りの平原と、小さな丘が広がっている場所にはぽつぽつと民家があり、城壁外の人々は皆のんびりと暮らしていた。王都の住人という自覚はあまりなく、買い物や気分転換に城壁内へ赴く――その程度の認識だ。
 城壁内には、比較的寝食に困らぬ者が多く暮らしている。無論、そういった人々のおこぼれに預かろうとする者達は路地裏などで生活しているが、多くは、一月に一度豪華な夕餉をしても余裕がある程度の者達だ。

 だから、自分達が草原にそのまま構えたような家で暮らしていても、隣人の家が見えぬほど孤立した場所で生活していても、なんの疑問も持つことはなかった。
 遠くに見える城壁と、そびえ立つ巨大な城を見て、薄暗い森の入り口に程近いところで、毎朝食料となる草を摘んだり水を汲むなどしていたのだ。
 あの日も、活気溢れる城壁内の市場で新鮮な肉を買い、いつものように家に戻ってきた。
 その道すがら、美しい花を見つけた。美しいものが大好きな母は、きっと喜んでくれるだろう。そう思い、肉と調味料を入れた籠の中に、鮮やかな青い花を一輪入れたのだった。
 母は、青い花がなによりも好きだ。けれど近くの花畑には咲いていなくて、王都のどの花屋でもなかなか取り扱ってはいなかった。 だから子供の足でへとへとになるまであちこち探し回り、とっぷりと日の暮れた森の中でようやく一輪見つけたときは、喜びと同時にもう帰られないのではという不安がどっと押し寄せてきた。
 みっともなくぐずぐずと泣き、もう死ぬのかと絶望した頃――ゆらりと揺れたランプの灯りに、ようやっと安堵したことをよく覚えている。

 しかしそれ以来不思議なことに、母の好きな花が道端にぽっと咲いていることが多くなった。種でも飛んできたのだろうか。純粋に嬉しくて、見つけてはこうして摘んで帰ってくるのだ。
 手渡せばきっと笑ってくれる。頭を撫でて、愛おしい子だと囁いて、額に口づけをくれる。
 そんな幸せを、誰が疑うことなどできようか?

「おや? ボウヤ、もう疲れたのかえ? 動きが鈍ってきておるぞ」

 ねっとりと絡みついてくる声に吐き気を覚える。
 今の今まで見ていた草原と、優しい女性の姿はそこにはなく、リースは強く唇を噛んだ。
 ――さっきからずっとこのざまだ。これではあの神官を笑えない。
 女の作り出した結界内は暗く、空間は無限に広がっているようだった。闇以外はなにもない。だのに、時折違う景色に突き落とされる。
 失っていく血の代わりといわんばかりのその幻覚に、怖気と苛立ちが募る。鋭く伸びた爪で肌を裂かれるたび、悪夢のような光景を見せられるのだ。



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