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 遠くから投げられた「息はある!」というエルクディアの声に、シエラの背が押される。
 息を呑んだシエラの隣で、ライナは泣きそうな顔で微笑んだ。「魔物に関しては役立たずなのに、どうしてこうも役に立つんですか」なにを呟いたのか、シエラには聞き取れない。
 すでに神言を唱え始めたライナに続いて、シエラも詠唱を始める。普段、水を聖水に変えるときには感じたことのない抵抗感は、肩に圧し掛かる重圧にも似ていた。
 ロザリオを十字剣のままでしかと握り、法石の煌きを感じ取る。
 もう、一人じゃない。だから大丈夫だ。これ以上、誰も失いたくない。傷つけたくない。なにがなんでも、守ってみせる。

「<清めよ、神の息吹にいざなわれ。与えよ、清澄なる謳の応えを――!>」

 四散していた水骸骨の一部が、ぱんっと破裂音を響かせて弾けていく。声帯もないのに唸り声を上げ、水骸骨は闇雲に剣を振り回し始めた。
 末端部分から灰に変わりゆく体が苦しいのだろう。低い咆哮は空気を振動させ、シエラの肌をびりりと震わせる。
 それでも、やめるわけにはいかない。
 表皮以外は水でできているらしく、水骸骨は内側から無理やりに浄化されていく激痛にもんどりうった。ライナの神言は祓魔の力を持っていないが、聖水を生み出す効果は祓魔師も神官も変わらない。そのため、彼女が紡いだ神言も攻撃呪となっているのだ。
 暴れる剣先が、シエラのすぐ傍を掠めた。すぐさまエルクディアの心配そうな声が飛ぶ。
 内側が、ガラスの粉のような灰の浮かぶ澄んだ水に満たされた頃、悶え苦しむ水骸骨が倒れるようにしてシエラに襲いかかってきた。

「シエラ、今です!」

 す、と軽く息を吸って、シエラは水骸骨の頭部から足に向けて一直線に十字剣を振り下ろす。
 水袋を切るような奇妙な感覚のあと、大量の水がざぱぁっと弾けるようにその場に溢れた。
 光る灰混じりの水を頭から被ったシエラは、未だに動こうとするこぶし大の水溜りに剣先を突き立てた。

「<聖なる水と共に消えよ>」

 途端に水は弾け、灰の混じった聖水へと変わる。しんと静まり返ったのもつかの間、ライナが悲鳴にも似た声で呼びながら、シルディの元へ駆け出していった。
 シルディの額には脂汗が滲み、赤黒く染まった衣服が傷の深さを物語っている。止血を施したというエルクディアの手も、真新しい鮮血で濡れていた。
 清潔とは言えない衣服の切れ端で施された包帯の上から、ライナが涙で瞳を潤ませながら手を添えて治癒の神言を唱える。
 なぜこうなったかの事情を説明すると、彼女は深く眉間にしわを寄せ、声を震わせて俯いた。それでも神言は途絶えない。
 エルクディアにそっと引き寄せられ、頭を強く肩口に押しつけられた。王子はライナが助けるさ。お前が無事でよかった。そう囁く彼の声は、ほんの少し枯れていた。

「シエラ、お前怪我してるのか……?」

 血のにおいがする、と野生じみたことを言ってエルクディアはシエラの体を引き剥がす。
 この血臭と腐臭が立ち込める場所で、どうしてそんなことが分かるんだと思いつつも、隠すことなどできそうにもなく、シエラは傷ついた腕に目をやった。

「……これくらい、なんでもない。それよりも、シルディやリースの方がひどい」
「ちょっと見せてみろ。魔物にやられたんなら、これもライナに――」
「――シルディ! シルディ! 気がついたなら、そのまま目を覚ましなさいッ!」

 高圧的な涙声に視線を移すと、浅い呼吸を繰り返すシルディが、小さく瞼を震わせて痛みに呻いていた。
 何度も何度もライナが呼びかけ、唇を噛み締めた彼女が力いっぱい彼の頬を叩く。ぱしん、と高い音が鳴り響き、彼は違う痛みに声を漏らした。
 思わず目を丸くさせるエルクディアをよそに、ライナはもう一度手のひらを振り下ろす。二度目の平手を受けた深手の王子は、片頬を赤くさせてゆるゆると瞼を押し上げた。

「……ッ、シルディ!」
「あ……、くれ、めんてぃ……? よか、た……、ぶじ、だった、んだ、ね……?」
「人の心配より、自分の心配をしたらどうですかっ! なに格好つけてドジ踏んで、あげくの果てに死にかけているんです!? わたしとの約束、破るつもりですか! そんなっ、そんなことだから! いつまで経ってもぽえぽえ王子だなんて言われて、馬鹿にされるんですよ! 少しはっ……!」

 怒りをぶつけるようなそれは次第に嗚咽に変わり、最後は唇を噛み締めた吐息になった。俯いた顔からぽたぽたととめどなく降ってくる雫を受けて、シルディは困り顔で微笑む。
 弱々しい小さな声で、彼は言った。

「ごめ、ね。だいじょうぶだから、泣かないで。……うん、僕が悪かったから。ごめんね、クレメンティア。でも、……やくそく、破らないから」
「あたりまえです、ばか……!」



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