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「うっ、ああああ!」

 振り下ろされた水のつるぎは寸前で雫に変じて再び形を成し、切っ先がシルディの横腹を貫く。焼けるような痛みが一点から全身を駆け巡り、シルディは刃の貫通した腹部を押さえて膝を折った。刃が血を吸ってどんどんと赤く染まっていく。
 引き抜くのではなく、とろりと消えていった剣によって支えがなくなり、そのまま前のめりに倒れた。
 痛い、苦しい、熱い。一国の王子である限り、それなりの命の危険は覚悟していた。けれど、このような痛みを経験するなんて、やはり想像していなかったのかもしれない。
 シエラの悲痛な声が、自分の心臓の音に重なってよく聞こえない。

 ――ごめん、ごめんね、シエラちゃん。でも大丈夫だよ、死なないから。だから安心して。弱くてごめん。でも、本当に、これくらいじゃ死なないから。

 痛みに慣れていないから情けなく倒れてしまったが、そうでなければなんともない傷だ。そう思わなければ、白濁していく意識に飲まれてしまいそうになる。
 水骸骨は標的をシエラにだけ定め、ぴちゃぴちゃと音を立てて彼女ににじり寄っていく。シエラちゃん、集中して。大丈夫、君ならできるから。痛みの中で何度もそう告げようとしたが、荒くなるばかりの呼吸に言葉を盗まれる。
 シエラは一度強くシルディの名を呼んで、意を決したように立ち上がってその場を離れた。そうだ、それでいい。今はシルディに駆け寄るより、水骸骨と距離を取ることの方が必要とされる。できるだけ体力を温存して、リースが女を倒すまで逃げ切らなければ。
 そのとき、自分が冷たくなっていても、それは自分の体力がなかっただけのことだ。シエラが悔やむ必要はない。
 それに、とシルディは痛みを誤魔化すように唇を吊り上げた。
 自分が死ねば、喜ぶ人間の方が多いのだ、この国には。王位継承者のうち、一人が消える。悲しむのは父と、自分を慕ってくれていた町の人達と、それから――。
 思い浮かんだ優しい銀色に、激痛によって滲んだ涙が眦を濡らす。ぐっと強く奥歯を噛み締めて、額を瓦礫に擦り付け痛みから気を逸らそうとした。
 あの子は泣く。きっと。駄目だ、あの子は泣かせられない。だって約束したんだ。王になると。もうあの子に重たいものを背負わせないために、苦しませないために、あの子があの子であるために、真っ直ぐな王になると約束した。
 民を思い、国を守る王になる。大それた思いの裏側には、個人的な小さな――けれど強い願いが秘められている。

 ――でも。

 少しでも身じろげば、水音がやけに耳につく。これはあの水骸骨のものではなく、明らかに自分から流れ出しているもののせいだった。
 鮮血に濡れた己の指が小刻みに震えているのを見て、シルディは気が遠くなるのを自覚する。このままでは本当に、死ぬかもしれない。
 そのとき、ふいになにかが朦朧とする頭の中をよぎった。

「……ッ、あ、み……ず?」

 とめどなく流れる血。そして、その原因になったのは水のつるぎ。
 だとすれば――!
 考えついた最良の方法を伝えようと体を動かすが、痛苦がすぐさまシルディの体を押さえつける。声は枯れ、四肢から力が抜けていく。伝えなければいけないのに、それすらもできないのか。
 遠のいていく意識の片隅で、シルディは爆音と閃光が迸るのを見た。
 ああ、もう大丈夫だ。あの子ならきっと、気づいてくれる。


 優しく強い銀の光は、水の捕らえ方を知っているから。




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