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 声を張り上げるだけの力はない。削れるだけ神言を削り、シエラは震える腕で光の弓矢を構えた。つがえた矢はたったの一本だ。
 それでも強い力を放つそれは、指を離した瞬間に勢いよく女へと走り出した。
 ごうっと風を切る光矢が女の横顔を狙う。――グァアアア! 瞬時に上がる断末魔の叫びに、光矢は女のこめかみを貫いたと思われた。しかし、その場に響く舌打ちと、浄化されていく魔犬の姿がそれを否定する。
 女は慌てた様子など微塵もなく、それでも俊敏な動作で光矢を交わしてみせたのだ。それが仲間ともいえる魔物に突き刺さっても、憐れむどころか見苦しいとでも言いたげに眉根を寄せている。
 再び繰り出されたリースの攻撃をひらりと避けて交わすと、女は殺気を込めた眼差しでシエラを見据えた。

「邪魔だてするつもりか。か弱き青虫の分際で、わらわに楯突くか。……ほんに目障りよ」
「うるさいっ! お前は、――魔物は、私が祓う! それが私の役目だ!」
「役目? はっ、笑わせる。そなたら青虫は、毛ほども変わりやせん。馬鹿の一つ覚えといったところかの」
「……どういう意味だ」

 まるで、シエラ以外の神の後継者を知っているような口ぶりだ。知っているにせよ、知らないにせよ――、この女は知識も経験も浅いシエラにとって相当な脅威となる。
 テュールが低く唸りを上げたとき、リースが両手に握った短剣で十字を描くように女に切りかかり、そのまま避けられるのを想定していた動作で体を捻ってシエラの前に着地した。ぽたり。瓦礫の転がる床に赤黒い血が滴る。

「深入りするな。どうせお前では敵うはずもない。このバケモノは俺が殺る。……雑魚は任せた、ディサイヤ」

 視線すら寄越さないリースの声に、体が震えた。よく、分からない。彼は一体なにを思い行動しているのだろう。
 もし、生きてここから戻ることができたなら。
 少しは、彼との距離を縮めることができるだろうか。

「…………死ぬなよ」

 応えはない。その代わり掠れた笑声が短く零れて、砂利を踏みしめる音が会戦の合図となった。
 もともと体力も運動能力も優れた方ではない。それでも今まで見てきた一戦一戦を思い出し、とうに限界を訴えている体を叱咤して足を動かす。
 戦闘能力のないシルディを後ろに押しやって血でぬるつくロザリオを握り締め、中央の法石を撫でさすった。蒼く輝く法石に血が触れる。
 どく、と大きく鼓動が跳ね上がり、神気が高まるのを自覚した。
 風もないのに顔の横の髪が揺れる。血と泥がこびりついたそれはお世辞にも美しいとは言えないが、にじり寄る魔物に立ち向かう真っ直ぐな姿勢が美を醸し出している。
 自然と恐怖は薄れていた。錯覚だったのかもしれないが、リースに名を呼ばれ、背を任されたのだと思った途端に心がすうっと凪いでいったのだ。頼られている。この力が役に立つ。認められたのだと、そう思えたからかもしれない。
 なにをすべきかが意識せずとも分かっていた。シエラはロザリオを滑るように撫で、毛を逆立てて殺気立つ魔物へとつま先を向ける。あとは思い出せばいいだけだ。
 ――あの美しい、銀の煌きを。

「<……この者達を救う、つるぎをここに>」

 知識も、技術も、経験もない。けれども、近くで見てきたものがある。
 触れるのが怖くて、でも、とても綺麗だと思ったあの剣と、その太刀筋を脳裏にはっきりと描いて、シエラは首から鎖を引きちぎって、右手にロザリオを強く握った。己の血がついた指で蒼く輝く法石に触れ、そのまま一気に直線に手を払う。

「――こざかしい」

 溢れる女の魔気に反応し、シエラの手の中でロザリオが――ロザリオだったものが、キィンと啼いた。
 細く、繊細な装飾の施された青銀の十字剣が、そこにあった。刀身は不思議な色味で、薄闇の中でも自ら光を放っているようにさえ見え、頼りなささえ覚える華奢な刃が、シエラの顔を写し取っている。



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