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「お前は誰だ」
「……フン。青虫に教える名など、持ち合わせておらぬわ」

 絡み付くような声が冷徹に吐き捨てる。
 魔気は、ほぼ、ない。だが、シエラには分かった。これは相当高位の魔物だ、と。王都クラウディオで対峙した双子の人狼と同じ――いや、それを上回る力の持ち主だ。
 彫の深い顔立ちは吸い寄せられるような色香を放っているが、近づけば闇に呑まれることは必至の危うさを醸し出している。
 氷の刷毛で首筋を撫でられたような感覚が走る。ひしひしと感じる死のにおいに、シエラの体は石像のように固まっていた。
 今の自分では敵わない。口にこそしないものの、そんな思いが喉の奥で絡まっている。
 女は黙ってシエラ達を見下ろしていた女が、ゆっくりとした所作で視線を移動させてリースに据えた。

「大きゅうなったの、愛しいボウヤ。そんなところに隠れて……ああ、ほら、ようく顔を見せておくれ」
「黙れッ!」
「リース!? 駄目だ、今動くと傷が――」

 引きとめようとしても、リースはシエラの肩を支えに立ち上がって、さらには彼女を押しのけて女と向き合った。その目は憎悪に燃え、血に濡れた腕に筋が浮かぶほど強く短剣を握り締めている。
 この魔物とリースになにかしらの関係があることは、誰が見ても明らかだ。それがよいものではないことも。
 女は赤い唇を自らの指先で撫でると、リースの血にまみれた姿を見て満足そうに笑った。今にも死にそうなほどに青ざめ、血を流す相手に見せる表情ではない。だがその表情は、女にとても似合いすぎていた。

「ほんに愛らしゅうなった。そのしるし……なんと艶やかな」
「黙れ、忌まわしいバケモノが――!」
「……『バケモノ』とな。ふむ。化け物か。確かに、そうかもしれぬの。だがボウヤ、女は常に化けるもの。忘れては痛い目を見るえ?」
「黙れ!」

 なにを言われても、リースは同じ言葉を繰り返した。それしか知らないのではないかと思うほどに、何度も何度も。呪詛のように吐き出される言葉には、神気でも魔気でもない、奇妙な力が纏わりついている。
 憎悪に満ちた目でリースが女を睨むと、彼は血と瓦礫で不安定な足場をものともせずに跳躍し、女に短剣を振り下ろす。ゆっくりとした動作で――実際にはとても素早かったのだろうが――女が彼の腕に手を添えて静止させると、なにを思ってかシエラを一瞥してにたりと笑んだ。

「ボウヤも、あの娘も、わらわも、みな化け物よ。そこなボウヤでさえ、の。特にわらわの愛しいボウヤ。そなたほど化けるモノはおらぬだろうて。……のう? 欲しかろう、あの娘の生きた血が。皮膚の下を流れる、赤々とした甘い汁を啜りたかろう?」

 その血のうまさだけは褒めてやるえ。
 とろけるような言葉の恐ろしさに、シエラは目を瞠った。反射的に血を流す傷口を手のひらで押さえ、じり、と後ずさる。
 生き血を吸う。聖職者の血は魔物にとってとても甘美なものと聞く。だからそれだけならば、別段驚いたりはしなかったろう。
 けれど、女の言葉の先にいたのはリースだ。血を欲している対象が、不特定多数の魔物からたった一人の人間――それも知り合いへと切り替わった。
 たったそれだけのことで、全身を貫く恐怖が生まれる。リースを信用していないわけではない。心とはまったく別の場所が、体を生かそうと警告してくる。
 駆け寄ってきたシルディが「大丈夫?」と尋ねてきたが、その声は上擦っており、顔もすっかり色をなくしていた。
 それを見てはっとする。なにをしているのか。守られたいわけではないと、ついさっき口にしたばかりだ。
 自分だって戦えると口にしたのと同じ口で、弱音を吐くわけにはいかない。シエラは深く息を吸った。吐き気をもよおす臭気が肺一杯に溜まる。

 見ればリースは振り下ろした短剣に全力を注いでいるようだった。それをなんでもない風に受け止め、女は笑っている。一度間合いを取ろうと飛びすさったリースを、女はなにをするわけでもなく目で追っていた。
 じゃれつく子犬を見守っているような、そんな目だ。もちろんそんな微笑ましい光景ではなかったし、そこには歪んだ愛情しか見受けられなかったけれど。

「<浄化の裁きを汝に下す。――光矢(こうし)、その業を貫け!>」



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