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 禍々しい咆哮が轟くたび、血と肉片が飛び散って魔気が爆発する。もはやそれが生きていたと思わせないほど凄惨な姿を迎えた魔物を、どこからともなく生じた炎が喰らった。
 一つ焼いてはまた一つ、一つ焼いてはまた一つ、と炎は次から次へと獲物を変える。あまりの速さに、炎が線を描いて流れているようにしか見えなかった。
 炎が舐めたあとには、生焼けの屍がいくつも転がっている。
 シエラの瞳は、魔気を感知すればたとえ闇の中でも昼間のように見通すことができる。だから今、彼女の眼にははっきりとその姿が映っていた。
 屍の先、炎の先で、魔気と血を全身に浴びたリースが荒々しい剣舞のように身を躍らせている。
 彼のすぐ傍では、数匹の魔物がまるで彼の味方であるように他の魔物に喰らいついていた。でも、なぜだ。魔導師は魔物を操る術を持っているというのか。しかしだとすれば、なんとおぞましい術なのだろう。
 衝撃で崩れ落ちた祭壇の裏に身を隠し、シエラとシルディはその様子を黙って見つめていた。今飛び出しても炎に巻き込まれるだけで、なんの役にも立たない。
 シルディにそう言いくるめられ、ここまで引きずるように連れてこられたのだ。膝の力が抜け、ふらついたシエラの体をシルディが背後から抱き締めるようにして支える。

「……ねえ、シエラちゃん。君の目には、はっきりと見えているんだよね。なら、リースくんの左胸に、なにが見えるか教えてくれないかな」
「ひだり、むね?」

 シルディの声も緊迫した様子で僅かに震えていたが、シエラは自分の声の情けなさに驚いた。舌がもつれてうまく話せない。
 なにも考えることができず、ただ言われるがままにリースの胸元に視線をやった。
 魔物と炎を従えるリースは上着を脱ぎ棄て、焼け焦げたり引き裂かれて破れたシャツを申し訳程度に羽織っている。ボタンは弾け飛び、大きく肌蹴た胸元には幾重もの赤い線が走っていた。
 シルディはそれを見ろと言ったのか? 訴えるように振り仰ぐと、彼ははっきりとした口調でもう一度言った。

「左胸だよ。傷じゃない、別のものが見えない?」

 傷ではなく、別のもの。そうは言われても、俊敏に動くリースを追うだけでも一苦労だ。ましてやこの状況ならなおさらで、シエラは必死に引き締まった体躯を目で追った。その都度血飛沫と炎が目に飛び込んできて、胃の痙攣を酷くさせる。
 血に染まったシャツが動きについていけずはためいたその瞬間、黄金の瞳に奇妙なものが映った。

「……あざ、だ。逆、十字の。リースの、ここ、に……」

 シエラは自らの左胸に手のひらを当て、見たままを伝える。ちょうど心臓の辺り。そこに、赤薔薇が枯れるときのような、くすんだ赤色の痣が浮かんでいる。
 途端にシルディから舌打ちが飛び出して、シエラは思わず肩を跳ね上げた。

「よりにもよって、今日だなんて……!」

 飛んできた瓦礫を避けるように身を竦ませ、シエラはシルディを見上げた。どういうことだ。痣がどうかしたのか。視線だけで問うと、彼は少し迷ったそぶりを見せた。
 その間にもリースは襲いかかってくる魔物を次々と切り裂いていく。ぶわり。近くをよぎった炎に、シルディの切迫した表情が照らし出された。
 やや間を置いて、彼は静かに口を開く。

「…………罪禍の聖人について、聞いたことある?」
「ざいかのせいじん? どこかで見たような気はする、が……」
「そっか。罪禍の聖人っていうのはね、禁忌を犯した――とても、悲しい人のことだよ」

 禁忌を犯したとても悲しい人?
 シエラは記憶の糸を手繰り寄せ、以前読まされた書物の中にそんな項目が混じっていたことを思い出した。
 あれは確か、聖職者とはなんたるかについての本だった。基本の法術、戦闘方法、宮廷での高位を得た聖職者の役割、そして、犯してはならない絶対の禁忌。
 聖職者にとって最も大事な武器は、実のところロザリオでも聖水でもない。それは声だ。聖職者の紡ぐ言葉こそが、法術を完成させる上で最重視される。ユーリや神の後継者ほどの力がない限り、言霊がなければ法術は成しえない。ゆえにある程度の知能を持つ魔物はまっすぐに喉笛を狙ってくるし、様々な理由から聖職者狩りを行う者達も喉を潰しにかかってくる。
 何度も言われてきたことだから、シエラにも自覚があった。聖職者の言葉は法術として使用する場合でなくても、時として強力な意味と力を持つ。だからむやみに否定的なことを言ってはならない、と。
 そのような理念がつらつらと書かれていたあとで、妙に小さな文字で書かれていた項目があった。

 罪禍の聖人。
 神によって力を与えられておきながら、神を裏切り魔に心を捧げた愚かなる罪人(つみびと)。

 魔に属する者を、闇を身に宿す者を、ゆめゆめ愛することなかれ。それが聖職者絶対の掟だ。これは人が作り出した決まりではない。
 銀の髪と聖印を持って生まれた時点で体に刻みこまれている、言わば神との盟約だった。
 シエラの穴の空いた知識を、シルディが補っていく。リースを見つめる彼の眼差しは、とてもつらそうだった。



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