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「海面に顔を出さないで、どうやって呼吸するんだ。肺呼吸なんだろう?」
「うん、そうだよ。だから通常、彼らは洞窟に生息してる。光の差し込まない、でも新鮮な酸素が水面のすぐ上に存在するような場所に。そうでない場合、海底近くに酸素の噴出すところがあるんだけど、そこで呼吸しているんだと思う。……後者は本当に稀だけど」
「ここに酸素が溢れている場所がある――そう言いたいのか、お前」
「希望的観測だけど……でも、そう思うんだ。グラスを水の中に真下に沈めたとき、グラスの中には水、入ってこないでしょ? 確かに理屈じゃありえない。アビシュメリナは四方に出入り口があるから、グラスなんかとはわけが違う。可能性は限りなく低い。でもね、でも。今はその可能性に賭けてみるのが一番だと思うんだ」

 馬鹿げているとリースが嘲笑する。予想通りの反応だったが、それでも苦々しい思いが胸に残った。
 記憶が重なる。家臣達はいつも二人の兄達の言葉だけを真実とし、末の王子の言など聞き入れようともしなかった。真偽などどうでもいい。ただ、言葉を放った者の背後にある力だけがものを言う。
 慣れていても、心が僅かに痛む。
 シエラは尻尾を掴まれたことで不満そうに唸るテュールを抱き、考え込むように俯いていた。蒼い髪が影を落とし、その表情は窺えない。

「もし、その場に辿り着いたとして……一体、なにがあるというんだ?」
「奇跡に近いことだけど、クレメンティア達がいるかもしれない。そうじゃなくても、その子が休むのには十分だよ。そしたら、僕達がもっと行動しやすくなる」

 信じてほしいとは言わない。信じられなくて当然の話だからだ。
 しかし、テュールが疲弊しているのは誰の目に見ても明らかな事実だった。幻獣界の王とも言われる絶大な力を誇る竜族だが、テュールはまだ幼体だ。
 竜は様々な理由から人型をとると聞くが、テュールはそれすらできないほど幼いらしい。体力もあまり長くはもたないのだろう。
 大丈夫、と言いたげに一鳴きしてテュールが尾の光を強める。それを見て、シエラが少し寂しそうに笑った。

「――シルディ、案内を頼む」
「うん! 僕に任せてっ!」



 変化はすぐに現れた。
 シルディの勘と経験に任せて進むうちに、それまで見なかった魚を数多く見かけるようになったのだ。
 闇に呑み込まれた遺跡であるにも関わらず、テュールの光源に照らされて極彩色の魚が戯れるように泳ぐ。それだけで期待が高まり、シエラの足取りもやや軽くなった。
 相変わらず隣には冷たい空気を醸し出すリースがいるだけで、居心地は悪いままだ。そんなシエラを慰めるようにテュールが優しく見つめてくる。小さな竜は先頭を歩くシルディの頭に腹這いに乗り、顔をシエラの方に向けて道を照らしていた。
 時折犬のように尾を振るせいか、シルディの額にはクラスターのぶつかった小さな赤い痕がついている。
 狭い螺旋階段を上り、開けた回廊に差し掛かったときだ。ずくん、と心臓を掴まれたような激痛が胸を刺し、体中の血液が沸騰しているような感覚に襲われる。眼球の奥が鋭く痛み、今にも膝が折れそうになる。
 だがここで、倒れるわけにはいかない。倒れたところで支えてくれる者はここにはいない。
 荒くなる呼吸を必死で堪えながら、シエラは震える手でロザリオを握り締めた。

「止まれ! 魔物がいる。おそらく……近い」
「嘘、こんなときに……?」
「向こうからしたらこの上ない好機だろうがな。足手まといの凡人に、使えない後継者か。――始末するにはちょうどいい」
「お前っ!」

 怒りに火をつけられたシエラの手がリースに伸びるよりも早く、彼は懐から短剣を取り出す。その俊敏な所作に一瞬動きを止めたシエラの隙を突き、彼は胸倉を掴まんとしていた繊手を乱暴に払い落とした。
 苛立ちよりも驚きが勝ったシエラを、さらに一驚が畳み掛ける。

「持っていろ」
「は? ……眼鏡?」

 軽い音を立てて手のひらに押し付けられたのは、リースが常日頃掛けている眼鏡そのものだ。レンズ越しではない、そのままの紫水晶の瞳が真っ直ぐにシエラを射抜く。凍てついた双眸の奥に、激情の炎が燻っているような気がして目が放せない。
 隣のシルディはどこか苦い表情をしていたが、リースは構うことなく彼らに背を向けた。

「邪魔だ。ソレも、お前らも。――雑魚は俺が片付ける」



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