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 嫌な予感がする。そして彼女のそれは大抵、現実のものとなる。
 古ぼけてあちこち虫食いの跡が見られる地図の上に左手をかざしていたレイニーは、かすかに感じ取った刺激に伏せていた瞼を押し上げた。
 ぷらぷらと意味もなく揺らしていた足を止め、すっと組む。長く白い足はろうそくの炎に照らされて艶めかしく輝いたが、それに目を引き寄せられる者はいなかった。
 頭から被っていた外套の頭巾も、今では被る必要もないので背中側にくたりと収まっている。色彩を欠いた彼女の風貌はどこか不気味だったが、彼女を見つめるのは長年連れ添っている翼の生えた黒猫――スカーティニアだけだから、なんの問題もない。
 耳の後ろを掻いていたスカーティニアが、ふいに瞬いてレイニーをひたと見据えた。

「ねえ、レイニー。大丈夫なワケ? アイツラ」
「さあ? どうかしらね。あの子達の運次第ってトコかしら」
「運ッテ。それじゃあ、あまりにも無責任すぎるワヨ」
「ええ、そうね。でもアタシは、あの子達になにもしてやれない。そうでしょう、スカー」

 左手を引っ込めて頬杖をつき、レイニーは不服そうな顔をするスカーティニアの頭をくすぐるように撫でた。
 記憶にあるのは生意気な金髪の少年の姿だ。遡れば、『アイツ』が見たこともない優しい顔をして抱いていた、小さな子供に。
 ――そして、『アイツ』が見たこともない苦しげな顔をして、掻き抱いていた赤子へと変容していく。
 レイニーは自嘲じみた笑みを口元に浮かべ、視線をスカーティニアから古地図へと戻した。これは彼女が、アスラナに移り込む前から使っていたものだ。共に旅をした立派な仲間と言えるだろう。
 その古地図の表面が、ゆうらりと揺れたような気がした。
 遠見の力と、先見の力。それが魔女であるレイニーに強く宿った特殊な力。けれどどの力も、完璧ではない。未来はいくらでも変わる。
 遥か遠くで起こっている出来事を、今目の前で起こっているかのように見ることなど極稀だ。
 だから、と彼女はそっと吐息を零した。数本のろうそくしか灯されていない薄暗い店の中、真っ白な影がぼんやりと浮かび上がる。

「あの子も――ルッツの息子も、随分大きくなったのね。あれからもう、二十年近くだなんて早いものだわ」
「ココに居着いてカラ、もう二十年以上ヨ。そろそろ移動した方がイイんじゃナイ?」
「まだ。まだ、もう少しだけ。あと少しだけなら、大丈夫よ。せめてあと五年――ううん、あと三年ですべてが終わる」

 だってあの子達に、時渡りの竜がついた。そう言って微笑んだレイニーに、スカーティニアは難しい顔をした。
 猫の顔をしているのに、よくもここまで表情を変えられるものだとレイニーは感心する。
 そっぽを向いたスカーティニアはするりとレイニーの手をくぐり抜け、翼を羽ばたかせて二階へと飛んでいった。
 螺旋階段の手すりに腰掛けたスカーティニアが、こちらを見下ろしているのが感じ取れる。

「そんな暢気なコト、言ッててイイノ? 時渡りの竜が現れたッてコトハ、喜ばしいコトばかりじゃナイワヨ。アレが後継者にツイたッてコトハ――」
「分かってる。でもね、もう時間は止められない。歪みを正すことはできないのよ。今はあの子達に賭けるしかないの。……もう、アタシ達は傍観者ではいられない」

 関わってしまった以上、逃げ出すことはできない。
 レイニーは近くに置いてあった一輪挿しから花を引き抜き、中に入っていた水を一気に古地図へと振りかけた。その瞬間、ぼうっと表面からなにかが浮かび上がり、一瞬だけ燃えるような赤と空のような青い光が放射線状に広がった。
 だが光が収まると、古地図は何事もなかったかのように乾いた状態で沈黙している。
 一体なんの暗示だろうか。これほどまで強烈になにかを示しているというのに、その意図をまったく読み取ることができない。
 悔しさから歯噛みしたレイニーの肩に、とすりと重みが圧し掛かってきた。
 確かめなくても分かる。スカーティニアだ。

「レイニー。……あのコ、死ぬワヨ」

 控え目に告げられた言葉に、レイニーは息を呑む。ずっと避けていた言葉だった。心の奥深くに仕舞い込んでいた、向き合おうとしなかった言葉だった。
 柔らかな漆黒の毛並みに頬を寄せ、彼女はそっと目を瞑る。閉ざされた視界に映るのは、ぼんやりとした遺跡の姿だ。

「……一緒にいてくれてありがとうね、スカー」

 独りだときっと、この闇には耐えれそうにない。



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