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 リロウの森の付近に生えている毒草も、魔草の一種である。森の奥深くには食人植物も存在するらしく、植物だといって油断することはできない。
 だが今回、この遺跡内にそのような魔草などどこにも見受けられなかった。

「それを易々とこなせる魔物は、かなりの高位に位置します。あの場にいた魔魚には、幻術を施すことや、神聖結界を無効化できる力を持っていたとは考えられません」
「つまり、他に高位の魔物がいる――ということか?」
「そう考えるのが妥当でしょうね」

 どこかに潜む魔物の影。決して喜べないその状況に、首筋が冷えた。
 息苦しさを覚えて眉根を寄せた。この変化にはシエラ以外の者も気づいているらしく、その呼吸はどこか浅い。
 シルディの肩に腰掛けるテュールの様子を見れば、疲労が溜まっているのは明白だ。このままではこの気泡が消滅してしまう恐れもある。
 無駄な空気を吸わないよう気を遣いながら、シエラは軽いため息をつく。一度結界を引き継ぎ、その間にテュールを休ませようというライナの提案に反対する者など誰もいなかったが、彼女の体力を考えると手放しに賛成もできなかった。それでもそれ以外に道がないことを、彼らは重々承知している。

 先ほどと同じように――だが規模はできるだけ小さく――空気を含んだ結界を織り成すと、置かれた状況下を理解したテュールがシルディの肩でくてんと体を弛緩させた。
 投げ出した前足をシエラが撫でてやると、テュールは気持ちよさそうに目を細める。
 それにしても、と思いながらシエラは餌と言う名の宝石を与えるシルディから距離を取り、壁際に近づいた。
 シルディはテュールに宝石を与えながらも、結界を保とうと意識を集中させるライナを心配そうに見つめている。エルクディアを見ようとすれば、常に目が合った。
 それがどこか気まずくてすぐに目を逸らしてしまうのだが、対照的なのがリースだった。
 彼はまったくこちらを見ようとはしない。闇に包まれた遺跡の奥を探るように結界の外側に目を向け、シエラ達と視線が絡み合うことは滅多となかった。
 テュールの光源も届かない今、どんなに目を凝らしたところで闇の奥は見通せない。それなのに飽きることもなく周囲を見渡すリースを、シエラはただぼんやりと見つめていた。
 するとシエラの視線に気がついたのか、振り向いたリースと今まで交差することのなかった目がかちりと合った。彼はすぐさま視線を外し、足元に目を向けて踵を返す。つまり、こちらへやってきたのだ。
 ライナが施した結界はさほど広くはない。半球状の結界内で、互いの距離が縮まるのはあっという間のことだ。
 今ではエルクディアよりも、リースの方がシエラに近い場所にいる。リースからすれば他意などなかったのだろうが、観察するように見つめていたシエラにとってはどこからか罪悪感が生まれ、思わず一歩後ずさる。
 踵が壁に触れた感触がした。そしてそのまま、体は藻のこびり付いた壁へもたれかかるようにして傾いていく。

「あっ、そこにはもたれない方が!」
「え? うわっ……!」

 ――ガコンッ!
 背中がごつごつしたタイルの一部に触れたと思ったら、その瞬間壁が凹んで体の均衡を崩す。同時に鈍く響いてきた嫌な音が、さあっとシルディの顔色を青ざめさせた。
 慌ててシエラは体勢を立て直したが、なにがあったのかを振り向いて確認する余裕はなかった。
 まるで獅子の咆哮のような、低い轟音が遠くから差し迫ってきたからだ。

「なんだこの音……それに、水流が生まれて……。シルディ王子、まさかこれ――」
「あは、あはははは……だっ、だから言ったでしょ? こういう古い遺跡には水攻めがあるって!」
「水攻め!?」

 シエラとライナが同時に目を瞠る。まさか、と信じがたい思いでシルディを見たが、地鳴りと揺れ動く水の流れが彼の言葉が真実であると如実に語っている。「まずいよ、これ」と口元を引きつらせて音のする方へ目を向けた王子を前に、シエラ達はただ息を呑むことしかできなかった。
 エルクディアの腕がシエラの肩に触れた刹那、今までとは比べ物にならない爆音が鼓膜を叩いた。

「みんな、掴まって! はぐれちゃ危険だ、この結界もすぐ押し流され――うわあああ!」

 どんっ、と音がして、突然の衝撃で結界に穴が空いたのだと分かった。もともとこれは神聖結界を応用したものだ。魔力を持たない物理攻撃を防ぐ目的はない。
 はっと気がついたときには、葡萄酒の詰まった樽を割ったときのように、結界の中に海水が流れ込んできた。
 小さな穴だったはずの綻びは、その激流によってさらに大きく広がっていく。あっという間に胸の高さまで満たされ、強烈な水の流れにシエラは足元を掬われて頭まで海水に沈む。
 ぐるぐると体が回転し、上下の感覚がまったく分からなくなったところで、彼女は激流に飲まれているのだと理解した。

「シエラ!」

 エルクディアの声が轟音に混じって聞こえる。飲み込んだ海水が喉を焼き、肺にまで到達して吐き気を覚えたが口から零れるのはあぶくだけだ。
 差し伸ばされる腕に縋ろうと必死で伸ばした手は、無情にもあと僅かというところで届かない。
 襲ってくる激流に体は小枝のように弄ばれ、ものすごい速さで流されていく。いつの間にか結界は崩壊し、あたり一面が海水で満たされていた。
 息ができない。苦しくて苦しくて、もがいた手の先になにかが触れた。そのなにかがシエラの手首を強く掴み、引き寄せるようにして共に流されていく。
 意識を失う直前にシエラが見たのは、テュールの淡く光るクラスターだった。



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