9 [ 193/682 ]

「リース、今の術を魔物の真下でやってくれ。……奴らを一掃する」

 正直自信などなかったが、リースの目が「キサマに指図される筋合いなどない」と雄弁に語っており、シエラはそう付け足すより他になかった。
 シエラのすべてを検分するかのように向けられた眼差しは、やがて魔魚に戻される。
 彼は新たな短剣を取り出すと、音もなくそれを魔魚の群れの真下へ突き立てた。深い砂に刀身が顔を隠し、確認できるのは柄の部分だけだ。
 紫水晶の瞳と視線が絡み、シエラは己を落ち着かせるために大きく息を吐く。リースが眼鏡を押し上げたのを合図に、彼女はロザリオをしっかりと握り締める。
 酸の汚泥が一匹の魔魚から吐き出されると同時、彼らの術が発動した。

「エクス・プロディレン・シィ」
「<聖砂、雨滴のごとく業を貫け――!>」

 ドォン、と気泡を大きく揺るがす爆発の衝撃が地面より伝わり、目の前でもうもうとした砂煙が巻き上がる。
 ロザリオから生じた蒼い光が、巻き上がった砂粒の一つ一つを包み込んで光弾を形作った。そして砂粒を核とした光弾は魔魚を覆うように広がったところで、神言の通り『雨滴のごとく』魔魚に降りそそいだのだ。
 凄まじい爆発の威力で巻き上がった砂煙は瞬く間に魔魚を覆い隠し、逃れられない絶対の空間を生み出して浄化へと導く。
 やがて濁っていた視界が澄んでくると、そこにはもうすでに魔魚の姿はなく、水に溶けていく灰が僅かに漂っているだけだった。

 ほっと息をつくと、テュールが甘えるように擦り寄ってくる。頑張ったから褒めて、とでも言いたげな小さな頭を、シエラは思う存分撫で回してやった。
 魔物は片付いた。しかし気がかりなのはライナの様子だ。いきなり生気をなくし、恐怖に怯えだした純白の神官。
 一体彼女は、なにに怯えていたのだろう。大事なければいいと願いながら、シエラはシルディに支えられるライナのもとへ急いだ。
 背中にリースの視線が突き刺さるのを感じたが、今はそれに答えている場合ではない。言いたいことはたくさんある。聞きたいこともまたしかり。だがそれはあとでも構わない。
 けれど、今言わなければならないことが一つある。

「――助かった。感謝する、リース」

 背を向けたままのシエラには、リースの反応など分かるはずもない。
 ただ、返ってきたのはいつもと変わらぬ沈黙だった。


+ + +



 深い青に閉ざされ、貴女はなにを思うのでしょう。
 聞こえますか。
 その嘆きが。古の後悔が。
 届きますか。
 もし届いたのなら、救ってください。
 どうかその手で、癒してください。


+ + +



 大回廊を抜けると、そこには広間らしき空間が広がっていた。
 気を失う直前だったライナも、なんとかあのあとすぐに平静を取り戻し、ことなきを得た。冷や汗で頬に張り付いた銀髪が痛々しかったが、体調に変わりはないらしい。
 心配のあまり目を赤くするシルディに苦笑したライナは、整えたばかりの息を深く吐き出していた。
 彼女の謝罪に対して、シエラが口にできることなどなにもなかった。別に構わないなどと言おうものなら、それは彼女の矜持を傷つけることになる。
 だからといって、彼女を責める気持ちなどまったくない。リースも相変わらず一言も口を利かず、その場はエルクディアとシルディによって取り成された。どうしたのかと理由を尋ねることはあとにして、彼らは先を目指すことにしたのだ。

 広間の天井は大回廊よりも高く、シャンデリアをぶら下げていたであろう鉤と鎖が地面に転がっている。絵の剥がれた額縁だけが壁にいくつも掛かっており、石造りの冷たさはあるものの、様々な装飾からかつてはそこが豪奢な場所であったことが容易に想像できる。
 アスラナ城のような華やかさはないが、どこか男性的な雰囲気を持つ荘厳さが感じられた。
 床石には、砂をどけると花の模様が彫り込まれているのが分かった。
 その保存状態は今まで砂に覆われていたせいかとてもよく、はっきりと見て取れる。これが海底に沈んだ遺跡などではなく、陽光の下にある遺跡だったなら美しさに息を呑んだことだろう。
 広間から続く大きな三つの扉のうち、どこに進むか――とシルディが思案している中、シエラは辺りを注意深く観察しているライナをちらと見やった。顔色も元通りになり、唇も赤く色づいている。
 ほっと安堵すると同時に、アールグレイの瞳がこちらを向いた。

「すみません、シエラ。心配をかけましたね」
「ライナが無事ならそれでいい。その……さっきはなにが?」
「…………それは」

 言いにくそうに表情を曇らせるライナは、普段の覇気など感じさせない。微風にさえ消えてしまいそうなろうそくの揺らめきを連想させ、シエラは反射的に「嫌なら言わなくていい」と付け足した。
 けれどライナは首を横に振り、一度シルディの背中を眺めてから視線をシエラへと戻した。

「一言で言うなら、『幻術』です。一瞬にして、意識が闇の中に引きずり込まれる感覚があって……相殺する暇もありませんでした」
「幻術……?」
「相手の意識を手中に収め、恐ろしい幻――悪夢のようなものですね――を見せる術です。その間に生気、あるいは命を奪うと聞きますが――本来、幻術に類似した効果を及ぼすのは魔草の類です。意識を持つ魔物が幻術を扱う例は数少ない。それは下手をすれば、自らが相手の意識に取り込まれるからですが……」



[*prev] [next#]
しおりを挟む


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -