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 びゅっと一瞬風を切る音がし、神聖結界を突き抜けて光矢が海中を滑るように直線を描く。上下、扇形に広がった光矢は水の抵抗など受けていないかのような速さで魔魚を捉え、腐敗した体にずぶずぶと入り込んでいった。
 体の小さな、見るからに弱小の魔魚は、その一撃で灰になって水に溶けていく。唸り声もなにもない、静かな戦場が返って不気味だ。

「くそっ、数が多すぎる!」
「ライナ! この結界、広げられるか?」
「もうこれが限界です。これ以上広げると、強度に問題が出ますから」

 そう言ったライナの額はうっすらと汗ばんでいた。特殊な神聖結界は通常のものよりも遥かに体力を消耗するらしく、ぴんと前に突き出し、ロザリオを握る彼女の手が時折震えているのが見て取れる。
 エルクディアの悔しげな舌打ちは、魔魚が結界に弾かれた音によって掻き消された。
 一心不乱に突進してくる魔魚に向かい、シエラは絶え間なく光矢を放つ。だが焦りは神言の持つ力を弱体化させ、魔魚に突き刺さっても浄化まではできない。

 ――はやく、はやくはやく。

 顔が不安で歪むのが分かった。どこか奥の方から急げとシエラを急き立てる者がいる。それは当然自分のはずなのに、彼女にはまったく別人の声に聞こえた。
 焦れば余計に光矢の威力が弱まると頭では理解していても、意識は思うように静まってはくれないのだ。それがひどくもどかしく、彼女は震える指先でさらに弓を引く。
 バシン、と結界が魔魚を弾く音を聞くたびに、じわじわと焦燥は広がっていった。エルクディアが剣を抜く。
 なにをする気だとシエラが問いかける前に、意外なことにリースの冷かな声が彼を制した。

「下がれ。巻き込まれたくないならな」

 言うが早いか、リースは手にしていた短剣を三本、魔魚の群集に向かって投げた。しかし魔魚はするりと短剣を交わして、突進する速度を落とさない。
 失敗か――と思っていた矢先、おもむろにリースが眼鏡を押し上げ、剣呑に紫水晶の双眸を細めた。
 ざわ、と結界内の大気が揺れる。それは法術を使用するときには感じたことのない、精霊達のざわめきだった。
 不穏な空気を感じ取ってか、エルクディアがシエラを庇うように前に立つ。彼に倣うようにシルディもライナを背にし、静かにリースを見つめた。
 ぞくり――シエラの全身を、寒気が襲う。

「エクス・プロディレン・シィ」

 ドォン、と水中にも関わらずけたたましい爆発音が轟き、結界を大いに震わせる衝撃波が叩きつけられる。目の前で起きている凄惨な光景に、シエラは言葉を失った。
 リースが魔術を発動させたその瞬間、短剣が爆発した。粉々になった刃の破片は周囲の魔魚に弾丸のような速さで突き刺さり、そして次々に魔魚を内側から爆発させていったのだ。
 砕かれた骨の欠片が別の魔魚に突き刺さると、その魔魚もまた同様に勢いよく爆ぜる。
 すでに死骸となった鋭利な骨や牙は神聖結界を潜り抜け、雨のようにシエラ達に降りそそいだ。
 シルディの短い悲鳴がしたような気がしたが、それもエルクディアによって庇うように抱き締められたせいでよく聞こえなくなる。時折金属音がすぐ傍で聞こえることから、彼がシエラの背後から降ってきた破片を剣で弾いているのだと分かった。
 鼻腔を僅かな血の香がくすぐる。間近で感じるそのにおいに、ぞわりと心が慄いた。

 庇われたせいで握っていたはずの光矢はいつの間にか消滅し、変わりに両手はエルクディアの軍服を掴んでいる。
 ひゅっと鋭い音が聞こえるたびに僅かな衝撃がシエラに加わり、ほんの一瞬だけ彼の呼吸音が大きくなるのを肌で感じていた。
 掻き乱される心にシエラは顔を歪め、強く彼の胸を叩いた。見た目よりも遥かにしっかりとした胸板に拳を打ち付ければ、さらに力を込めて抱き寄せられる。
 ついには呼吸さえ苦しいほど顔を抱え込まれ、彼女はますます眉間のしわを深くした。
 突如、パキンと針が折れたときのような繊細な音が鼓膜を刺した。シエラの本能が一瞬にして警鐘を強く鳴らし、一際大きくなった衝撃にエルクディアが小さく呻く。

「おい神官、どういうことだ! ――答えろっ、神官!」

 激しい怒号がリースから飛び出し、凍てついた眼光がひたとライナに向けられる。だがライナは顔面を蒼白にし、かたかたと小刻みに体を震わせていた。僅かに開いた青紫の唇から、吐息だけが零れ出る。
 傍らのシルディが今にも崩れ落ちそうな彼女の体を支えているが、紅茶色の大きな瞳は彼を映してはいない。

「っ、神官!」



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