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「<火は闇を照らす無限の灯火なり。水は命を生み出す清浄の母なり。土は万物に平等な自然の要なり。風は闇を捕らえ、光を守る裁きの鎖なり。神より授かりしこの力、万物に感謝し、祈り捧げることをここに誓う>」

 幾重にも折り重ねられていく結界を見ながら、シエラもロザリオを握った。

「<魔を阻む神聖なる守りを、今ここに導きたまえ。――神の御許に発動せよ>」
「うわあっ! ……これが結界――あれ、でも神聖結界ってこんなのだったっけ?」

 途端に半球状に広がった神聖結界に、シルディが驚いて声を上げた。テュールの気泡をさらに上回る空間の広さに瞠目する。
 大人三人がゆったりと寛げそうだ。気泡の外に出ても結界内であれば空気の心配はない。
 結界の膜となっているのは水そのものらしい。水霊が多いことを利用した、ライナの機転を利かせた結界だった。
 しかしそれでもエルクディアが剣を振るうには手狭だ。動ける場所が制限されているため、シエラも難儀さを拭いきれない。

「テュール、少し休んでいてください。これでしばらくは大丈夫のはずですから。……場合によっては長く持ちません。無理だと思ったら、退却することも視野に入れておいてくださいね」
「分かった。だがこんな場所で逃げると言っても……」
「なんとかなる。――だろ、ライナ?」
「ええ、その通りです」

 退却せざるを得ない状況になるのを避けたいのが本音だが、あまり贅沢は言ってられない。なにもかもが不安定なこの場で戦うことを考えれば、ひどく憂鬱だった。
 零れ落ちてきそうになるため息をぐっと飲み込み、シエラはリースが突き立てた短剣の刃をじいと眺める。
 首の後ろ辺りをくすぐるような感覚は未だに続いているが、頭痛や動悸といったものは治まってきた。だが感じる魔気の強さは高まっていくばかりだ。
 体に直接訴えてくる症状と、魔気を感じ取る器官というのはどうやら別物らしい。
 ぞくっと寒気が背中を滑り落ちた瞬間、闇の中でさえ見通す金の瞳が猫のようにきらりと光った。

「――来た」

 ごぽり、と気泡の弾ける音が徐々に近づいてくる。シエラの呟きを受けて表情を引き締めた一同は、目を凝らして短刀を見、回廊の先に意識を向けた。
 結界の表面が揺れる。ほとんど皆無に近かった水流が新たに生まれ、遺跡内を巡っているのだと分かる。その理由は考えるまでもない。
 呼吸を整え、シエラがロザリオをぐっと握り締めたときだった。短刀に映りこんだ影が、大きく揺れて存在を明らかにする。
 おそらくシエラにしかはっきりと見えていないだろうその姿は、彼女を驚愕の淵に立たせるには十分すぎるものだった。

「そういうことか……!」
「シエラちゃん、一体どうし――わわわっ! なっ、なにあれ!」
「落ち着いてください、シルディ! 小物の大群……シエラ、いけますか?」
「ああ、なんとかする」

 そう応えるのと同時に、曲がり角から腐敗した魚の魔物が飛び出した。大きさは大小さまざまだが、どれも体は朽ち果て、肉が剥がれ落ちて所々骨が覗いている。
 顎の造りを無視した牙が天地それぞれに向き、白濁した双眸に宿る生気はない。ただ一心に列を成してこちらに向かってくる様が、とても不気味だった。
 どこから空気を取り込んでいるのか、腐って穴の開いた体からは小さな気泡が浮き出ている。こぽこぽこぽ、と音を立てて口の端から気泡を零す様子は、生きている魚からは想像できないものだった。
 魔物の姿を見るのは、もちろんこれが初めてではない。
 しかしそれでもこの醜悪な姿は何度見ても慣れることがなく、シエラはいつも胃の中を掻き回されるかのような不快感を覚える。
 込み上げてくる吐き気を抑えながら、尾を振る速度を上げた魔魚達に向けて右腕を突き出した。

 シエラが祓魔を行う際に必要な神言は、強すぎる力を抑えるためのものだ。しかし制御するのが難しいため発揮できる力は不安定で、王立学院に通う祓魔師見習いと変わらぬ効力しかないことも珍しくはない。力があっても使いこなせないのであれば無意味だ。
 ぐっと奥歯を噛み締め、シエラは精神を研ぎ澄ませる。手のひらに光弾が集まり、やがてそれが光の矢となって魔物を射抜く場面を想像した。
 目は決して背けない。どれほどおぞましかろうと、きちんと向き合わずに相手を捉えることなどできはしない。

「<闇は光に、魔は聖に。浄化の裁きを汝に下す>」

 真珠ほどの大きさの光がシエラの手のひらに浮かんだかと思うと、それは瞬く間に大きさを増していった。
 やがて手のひらいっぱいにまで膨らんだ光の弾を魔物の大群へと向け、左手を伸ばして握ったロザリオを弓に見立てる。矢をつがえるように光弾をかざした右手を添えれば、それは幾本もの矢へと姿を変えた。


「<――光矢(こうし)、その業を貫け>」




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