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 リーディング村では、身分などなかったように思える。村長がいて、村役人がいて。
 その役人達はすべて村に古くからいる大人達で、いわゆる年功序列だった。年長者を敬い、村人全体で助け合う。
 祭りでは大人も子供も関係なくはしゃぎまわって、誰一人として身分など考えなかった。シエラが神の後継者だということで多少距離を開けた者はいたが、それでも皆が他の誰とも変わらぬ扱いをしてくれた。
 だからこそ、王都に来てから目にする身分の力に驚かされるのだ。このようにエルクディアが頭を深く下げなければいけない人間など、本当にいるのだろうか――。

 ぷかりと浮かんできたその問いに、シエラは目を丸くさせて驚いた。自分はなにを考えているのだろう。話が全体のことから、一個人へと規模を落としてしまっている。
 慌てて否定するように首を振れば、前方から低い笑い声が発せられた。

「これは失礼。後継者様のお顔が、ころころとお変わりになりますのでな。いや、実に愛らしい」
「もうシエラ、ちゃんと聞いてましたか?」
「……すまない、聞いてなかった」

 シエラの答えに唇を尖らせて、ライナが言う。

「本島は先ほどの祓魔師に魔物討伐を任せますが、我々は離島のディルートの討伐を担当します。その際、こちらのシルディ王子が同行することになりました。それから、アビシュメリナの話ですが」

 海底遺跡の名を聞いて、シルディがきらりと目を輝かせた。

「アビシュメリナは未開の地。海底散策に慣れてない人が行くのは、自殺行為だよ。その点僕は遺跡に慣れてるし、ちらっとだけどアビシュメリナも見たことがあるんだ。どこまで行けるかは分からないけど、僕が案内してあげるね」
「――ということで、彼も同行するそうです」
「息子をよろしく頼みましたぞ、皆々様」

 生返事を返すシエラを軽く小突いたライナは、すでに諦めの境地に立たされているようだった。彼女としては、シルディを同行させることに抵抗があったのだろう。
 紅茶色の目に宿った疲労の翳りを見る限り、それは易々と汲み取ることができた。じゃあ決まり、と嬉しそうに手を叩くシルディの無邪気さに、唯一エルクディアが口元を綻ばせて穏やかに微笑んでいる。

「じゃあ、さっそく準備してくるね! 大丈夫、本当にすぐだから!」

 ディルートはホーリー本島から船で半日ほどの場所にある。離島とはいえ本島と近いためにそれなりの発展をしており、ディルートにある王立植物園はホーリー王国にしか咲かない花などを集めているので、特にこの国の名所にもなっていた。
 そして、ディルートで最も有名なのが、中央にそびえ立つ周囲を深い堀で囲んだ白亜の要塞、ロルケイト城である。
 白露宮と対になる純白の水城は、ディルートの兵力を蓄えた火薬庫のようなものだ。城の規模は大きいとは言えないものの、その軍事的防備力は信頼の置けるものだった。
 かつての帝国戦争以来、ホーリーは一切の争いに参加していない。しかし今なお「水壁の守り」と評される防備力のすばらしさには、各国が目を瞠る。ホーリーで最も軍事力を誇っているのはツウィ地方であるが、ディルートもけして引けを取らない。
 なんと驚くことに、ロルケイト城の城主は今まさに席を立とうとしている少年――シルディ・ラティエその人なのである。
 そのことをまだシエラは知らないが、知れば彼女はきっと目を丸くさせて驚くだろう。
 失礼ではあるが、誰の目から見ても彼に「城主」という言葉は似合わない。

「準備って一体なんのです?」

 もう出立の準備は既に整っているのでは、と尋ねられたシルディは、胸元から小さな赤銅色の鍵を取り出した。

「船の、だよ。もちろん僕のね」

 悪戯っぽく笑うシルディにマルセル王が苦笑したことで、彼らの胸に言いようのない不安が襲ってきたのは言うまでもないことだった。


+ + +



 神々の息づく土地。
 潮騒に身を委ね、どうか、かつての日々を問いかけて。
 魔女が示した道に、貴女の未来は繋がっている。


+ + +



 薄藍に染まった空を見上げる。白く透けるような真昼の月は日に日に成長しており、今ではもう真円に見えるほどだ。
 船に乗り込む直前、しきりに安全を確認していたライナは、疲れきった様子で長椅子に横になっている。それをシエラが扇でぱたぱたと扇いでやり、エルクディアが水差しを彼女の口元に運んでいた。

 そんな様子を視界の隅に映しながら、リースは再び空を仰ぐ。
 ぎりりと強く握り締めたリヴァース学園の制服が悲鳴を上げるのも構わずに、彼は力を緩めることなく息をつく。
 右の胸が酷く痛んだような錯覚に囚われて、右胸を握る手のひらにさらに力が込められる。くそ、と吐き捨てるように呟いて、彼は揺れる船の上で座り込んだ。
 太陽によって熱せられた鉄のいたが肌を焼く。
 青白い月が、嘲笑うかのように彼を見下ろしていた。

「月が気になるの?」
「……なんの用だ」
「さっき一度も喋らなかったから、親睦を深めようと思ったんだ。仲良くしてくれる? えっと、リース・シャイリーくん!」

 夜を切り取ったような双眸が、淀みなど微塵も見せずに真っ直ぐに向けられる。
 それを弾き返すように睨み付けたリースは、座ったばかりの腰を上げて足早にその場から立ち去るそぶりを見せた。だが冷たい空気を放つ後姿に臆することのない王子様は、のんびりとした声を投げかける。



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