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「そう畏まる必要もありますまい。皆々様も、どうぞおくつろぎを」
マルセル王の細い目が、さらに細くなって目元のしわに溶け込んでいく。一瞬だけ垣間見えたその双眸の色は、吸い込まれるような漆黒だった。
彼の髪は金茶色をしていたが、くるくると癖の強い髪質だ。年の頃は五十代半ばで、細身の体に纏った赤い外套が王らしさを表しているが、もしこれがなければ彼はただの農夫にさえ見えただろう。
顔を上げて一歩下がったライナに、三人の祓魔師が別の場所へ移動することを告げる。どうやらこの手順は初めから決まっているらしく、いつの間に部屋に入ってきていたのか、神官長らしき初老の男性が扉の前で彼らを迎えていた。
彼らが出て行くと、この広い部屋に残されたのは兵士を除いて六人だけになる。
王は一人掛けの椅子には戻らず、部屋の東に置かれていた革張りのソファに腰掛けた。向かい合わせになったソファを勧められ、シエラ達もそこに座る。
下がるのかと思われていたシルディは、なんとマルセル王の横に臆した風もなくちょこんと腰掛けて目元を和ませた。
顔には出さずとも驚いたエルクディアが、聞こえないほど小さく声を上げ――そして、いつかのようにさっと血の気を引かせていった。
「どうした?」
「……思い出した」
「は?」
思わず大きくなってしまったシエラの声に、ライナが訝る視線を送り、それを見てマルセル王とシルディがけらけらと声を立てて笑う。
半ば八つ当たりでぎっとエルクディアを睨み付ければ、彼はすっと立ち上がってソファから退き、床に片膝を着いて深く頭を下げた。突然のことに驚くシエラなど、お構いなしといった様子だ。
「道中にて数々のご無礼、お許しください――シルディ王子」
「王子?」
シエラとリースの声が綺麗に重なり、両者は不満げに眉を寄せてからまじまじと眼前のシルディを眺めた。
こうべを垂れるエルクディアに対し、シルディは朗らかに笑んで首を振る。それが「王子」ということに対しての否定でないことは、誰の目にも明らかだった。
先ほどマルセル王がライナにしたのとまったく同じ所作で彼はエルクディアの肩に手を置くと、そっと頭を上げさせて席に着くように促した。
立ち上がりはしたものの、エルクディアは騎士の礼を取ったままもう一度深く陳謝する。
それを受けて困ったように笑うシルディの表情は、よくよく見ればマルセル王とよく似ていた。
漆黒の瞳や癖のある髪、王族とは思えない雰囲気など――探せばいとも容易く見つかる共通点に、これまで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
「本当にいいんだって。ね? 無礼なことだってされてないんだし、大丈夫ですよ? 最初にちゃんと名乗らなかったのは、あとでびっくりさせるためだったんだし」
「いいえ、気づかなかったとはいえ、王家の御方にあのような物言いは許されるものではございません。そして差し出口を申しますが、王子、私のような者に敬語などお使いにならないでください」
「だったら君も僕に気を遣わなくていいよ。後継者様やクレメンティアに話してたみたいな口調で十分! というか、そっちの方が嬉しいな」
「ねえ」と笑って振り返ったシルディの視線の先には、険しい眼差しのライナがいた。
「わたしはライナです、シルディ王子。ライナ・メイデン。どうぞ、ライナとお呼びください。それからエルク、折角こう言っていただけているんですから、いつも通りでいいのでは? 魔導師さん、睨むのやめてくださいね。不愉快ですから」
矢継ぎ早にそう言って、ライナは不機嫌そうに顔を背ける。シエラは思わず、シルディと彼女を交互に見比べた。
ライナの本名は、クレメンティア・ライナ・ファイエルジンガーだ。エルガート王国での有力貴族の中でも最も支持を受ける公爵家の娘。
それを知る者はごく僅かで、幼い頃からアスラナ王国の王立学院に在籍していたために、エルガート出身の者でさえ彼女の正体に気づく者は早々いない。
その名を、この少年はあたかも当然のように呼んでみせた。となれば、やはり考えられるのは二人が知り合いだということだ。そう考えればすべてが納得できる。
ユーリがライナだったら大丈夫だと言ったことも、マルセル王が寛大な態度をとったことも、そしてほんの僅かに見せるライナの違和感にも。
だがそれを問うことはシエラにはできなかった。ライナの目がそれを是としていなかったし、リースに知られるのはなんとなくだが嫌だった。仕方なく他の言葉を捜してみたが、なにも出てこない。
その間にシルディは元の位置に腰を下ろし、人懐っこい笑みを浮かべたままで「じゃあ」と話を切り出すようなそぶりを見せた。隣を見れば、エルクディアも納得してはいない様子だったがソファに腰を落ち着けて、手を組んで膝の上に置いている。
これは剣を抜く意思がないことを示すのだと、以前彼自身に教えられた。
これほどまでに身分というものは、人の生き方を左右するらしい。漠然とそう考えて、シエラは故郷を思い浮かべた。シルディがなにかを話し始めているのだが、それは言葉ではなく音として脳内に侵入してはそっと抜け出ていく。