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「シエラ!」

 先に止まっていた馬車から、ライナが小走りで駆け寄ってくる。どこか疲れたような顔を見て、少し乗り物酔いをしたことが窺えた。

「大丈夫でしたか? 一部揺れの激しい場所がありましたけど、酔ったりしませんでした? 内緒ですけど、こちらでは一人、思いっきり舌を噛んだ方がいらっしゃるんですよ。喋るなと注意していたにも関わらず、この国のことをやたらと話したがるものですから」
「私は大丈夫だが……ライナの方こそ、顔色が悪い。少し休んだ方がいいのではないか?」
「平気ですよ。歩いていればすぐに治りますから。……耳元でずうっと“薄”識をひけらかされたものですから、気分が悪くなっただけです」

 ライナの視線の先を見れば、眉をひそめてしきりに口の中を気にする年若い祓魔師の姿があった。どうやら彼はライナに知識のあるところを見せようと、道中ずっとこの国について語り続けていたらしい。
 そんな男の相手をライナがしたとも思えず、シエラはただそうか、と相槌を打っただけだった。彼女が「はくしき」の「はく」の部分を強調させて言った意味にも気づかないまま、シエラはぼんやりと青年祓魔師を見やる。

 綺麗に切り揃えられた銀の髪は、ライナやユーリのものに比べると幾分かくすんでいるようにも見えた。
 しかし、リースの灰色の髪とは明らかに色が違う。白髪とも違った聖職者独特のその髪は、やはり美しい神の色合いなのだろう。
 シエラの視線を感じたのか、青年祓魔師がこちらに目を向けた。見られていたことを悟ったのか気恥ずかしそうに俯き、他の二人を急かして足早に歩を進める。
 そんな三人を待っていたところで、シルディがくすりと笑って囁くように言う。

「ほんと災難だったね。知ってる話を得意げに聞かされるのってしんどいし」
「ええ、とても。それより早く行きませんか? ……なにをぼうっとしているんです、エルク。気を引き締めてください。ここはホーリー王国の中枢なんですよ」

 まるでシルディの言葉を遮るようにして彼を急かし、ライナはじとりとエルクディアをねめつける。
 はたと顔を見合わせたシエラとエルクディアは、互いに同じことを考えているらしかった。
 シルディを先頭にして宮殿内部へと入っていくライナの後姿を見て、もう一度二人は顔を見合わせる。

「ライナとあの男……」
「……知り合いみたいな雰囲気だったな」

 なにか引っかかりを覚え始めたところで、彼らの背に凄まじく冷え切った声音が叩きつけられた。

「さっさと行け、邪魔だ」


+ + +



 ホーリー王国で王家の住まう宮、白露宮。
 その名が示すとおり白亜の宮殿は、内装も見事なまでに白で統一されていた。
 すべてが白であるがゆえに装飾品や小物の色が引き立ち、天井に描かれた天空の画がより深みを増しているようにさえ見える。
 陽光を取り入れるために効率よく施された窓からは、計算されつくした光が漏れ込んできていた。
 あちこちに自然の影が見える宮殿内には、あまり人影はない。アスラナ城のように貴族や侍女達が忙しなく行き来するでもなく、ただぽつぽつと扉の前に兵士が立っているだけだった。
 その兵士らでさえのんびりと語り合ったりしており、ちらと視線をやった庭先では侍女達が扇を片手に花を愛でていた。

 あまりにも穏やかな様子に若干面食らいつつ、シエラ達はシルディを先頭にして謁見の間へと向かう。エルクディアの隣を歩きながら、シエラは胸に生じた疑問に軽く首を傾ぐ。
 ここに来るまで、どの兵士達も笑顔で会釈してきた。それはシエラ達にと言うよりは、シルディに――だった。だがシルディはどこからどう見ても、一般市民のようにしか見えない。よくて馭者か、庭師の息子といった辺りだ。
 しかしそれでは、この者が王家の宮殿、それもその最奥にまで足を踏み入れることが許されるはずもない。
 使者というだけあって信用はされているのだろうが、いまいち解せない点が残るのだ。
 緊張しているのかそれとも礼儀を重んじているのか、誰一人として口を開こうとはしない。ライナやエルクディアが緊張しているということはないだろうし、斜め後ろを歩くリースとてそんな様子には見えなかった。かと言って、彼が礼儀を重んじているようにも思えなかったのだが。

 長い廊下の先に大きな扉が見えてきた。両側に立っていた兵士がシルディの姿を見るなり破顔して礼をし、人魚が彫られた取っ手に手を掛ける。
 音もなく開かれた扉の向こうには、大きな玉座に一人の男性が腰掛けているように見えた。
 おそらくはその男性がこの国の最高権力者、マルセル王なのであろう。
 シエラとリースを除いた者達は皆背筋をぴんと伸ばし、気を引き締めたのが分かった。シルディが部屋に足を踏み入れたそのとき、マルセル王が腰を上げる。

「ようこそお越しくださいました、アスラナ王国の皆様。我々聖なる民は心から歓迎致します」
「こちらこそ、お迎え感謝致します。こちらはご依頼にありました、腕の立つ祓魔師三名です。そして神の後継者シエラ・ディサイヤとその護衛、王都騎士団総隊長のエルクディア・フェイルス。わたしは神官のライナ・メイデン。我々一同、貴国のために尽力致す所存にございます」

 ホーリー式の礼をとったマルセル王に対し、ライナは深々と頭を下げて、曲げた膝に右手をつける最敬礼をとる。
 ちゃり、と彼女の胸元で揺れたロザリオを見たマルセル王は、柔和な顔立ちを笑みに染め替えてしきりに頷いた。
 静かに扉が閉められ、一瞬だけ駆け込むように入ってきた風にシエラの髪が煽られる。王は順に彼らを見つめて、そっとライナの肩に手を置いた。



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