11 [ 176/682 ]

 だが、そこにシルディのような穏やかさは微塵もなく、触れれば切れてしまいそうな鋭い雰囲気が醸し出されている。

 ――リースではなく、ライナが乗ればよかったのに。

 つんと唇を尖らせてみても現状は変わらない。
 ライナだって事情があったのだから、仕方のないことなのだ。そうは思ってもやはり、エルクディアの前に座る男を見ていると嫌な気持ちが溢れてくる。
 嫌いなわけではない。ただ、レンズの向こうに潜むアメジストの双眸が苦手だった。
 ユーリのように心を見透かす瞳ではない。あれは気づかないほど自然に心の奥に忍び込み、音を立てずに探る目だ。なにを探られているのか、なにを見られているのかこちらには分からない。
 けれどリースの目は、深く刃を突きたて、なにもないところでも傷を広げて抉り出そうとする。冷たい氷刃の眼差しは、痛いと表現する以外に言葉を知らない。

 エルクディアと同じように考え込んでいたシエラは、馬車が大きく揺れたせいで思い切り頭をエルクディアの肩にぶつけてしまった。
 鈍い痛みが側頭部に走り、じわじわと寄せては引いていくそれに瞳がうっすらと膜を張る。
 それを見てエルクディアが驚いたように目を丸くさせ、寝ているシルディに気を遣いつつ、悪いと謝罪して確かめるようにシエラの頭に手を載せた。
 別にいいと振り払おうとした途端、もう一度大きく馬車が揺れてがたがたという音が激しくなる。
 さすがにリースも目を開け、何事だと言わんばかりに眉を寄せていた。断続的に激しい揺れが続いたところで、シエラは先ほどシルディの言っていた「ちょっと揺れる場所」なのだと理解する。

 ともすれば座席から転げ落ちそうになってしまうシエラの体を隣からエルクディアが抱きとめるように支え、脳髄を揺さぶるような揺れに苦々しい表情をして笑う。
 声は出さずに大丈夫かと尋ねられたので、彼女はとりあえず二度頷いておいた。
 外を見れば、そこは町から少し離れた裏道のようだった。小さな林の中の舗装されていない道を走っているらしく、むき出しの地面には轍の跡がくっきりと残っている。
 忌々しげなリースの舌打ちを聞いて、ぼんやりとシルディが片目を開ける。
 睫の向こうに揺れる漆黒の双眸が、全身に感じる衝撃の理由を理解したらしくぱちくりと開かれた。

「ここ、まで、きた、ら、もう、すぐ、です、よ」

 舌を噛まないように振動に合わせて言葉を区切るシルディは、不機嫌顔のシエラとリースに構わず晴れやかに笑う。
 つい、と指差された方角を見れば、そこには船の上から見えていた白亜の尖塔が緑の奥に突き出していた。
 先を行くライナ達の馬車を追いながら、がたごとと道をゆく。時折馭者がしならす鞭の音が耳に届くが、あとはもう馬車の進む音だけが聴覚を占領していく。
 だんだんと宮殿が近づいてくるにつれて、酷い揺れもゆるやかになってきた。やがて平坦な道に戻ったのか、振動は乗り始めた頃のそれと変わりがないまでに落ち着く。
 
「……色々事情があって、真正面から白露宮には迎えなかったんです。本当だったら、もっとちゃんとした道で行けるんだけど……リラ=マステの通りとかすっごく綺麗なのになぁ」

 心底残念そうに一人ごちるシルディからはこの国に対する深い感情が汲み取れる。
 次第に速度の落ちていく馬車に気づいたとき、白露宮はもう目の前にまで迫っていた。がたがたから、からからへと変わった轍の音に気を良くしたのか、シルディは嬉しそうに眉を下げると白いシャツの袖を捲り上げた。
 ぎい、と重厚な音を立てて大きな門が開かれ、彼らを乗せた馬車は慎重な様子で宮殿内へ入っていく。広がる庭の様子はアスラナ城に比べれば手狭なように思えたが、色とりどりの花々と美しい彫像、そして所々に配置された小さな噴水が水を噴き上げる様は見る者を楽しませた。
 奥に進むにつれ、馬車は速度を落としていく。
 かたりと馬の蹄の音がやんだところで、シルディは戸を開けると軽やかな足取りで飛ぶように馬車から降りる。
 そして馬車の前でシエラ達に向き直ると、満面の笑みから真剣な表情に変え、両手首を軽く交差させて額に当て、左足を半歩下げて礼をした。

「ホーリー王国、白露宮にようこそ。アスラナ王国よりお越しの皆様方、我々聖なる民は心から歓迎いたします」

 ホーリー王国の正式な挨拶で迎えられ、馬車を降りようとしていた途中のシエラはその足を止めてしまった。
 どう返せばよいのか分からずにエルクディアを見れば、シルディはくすぐったそうに「決まりですから」と言って頬を掻く。最後にリースが馬車を降りたのを確認したシルディは、馭者に笑顔で手を振ると踵を返して宮殿を見上げる。
 その様子は、ただの案内人にしては随分と誇らしげだった。



[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -