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 そんな中、後方の兵士らがざわりと声を上げる。
 すぐに草を踏みしめる音が耳朶を叩き、シエラは視線を音のする方へと滑らせた。

「一体なにを騒いでいるんですか? 時間がないことくらい、分かっているはずでしょう」

 闇の中から光を零したように現れたのは、小柄な少女だった。鈴を転がすような声音は愛らしく、大きなアールグレイの瞳は優しげに見えるがしっかりとした芯の強さを感じさせる。
 年頃は十七、八でシエラと同い年くらいだろうか。白いワンピースを腰の辺りで絞り、チュニックとして着こなしている。動きやすさを重視したズボンはあまり身分の高さを感じさせるものではなかったが、溢れ出る気品は隠せそうになかった。
 肩につくかつかないかの辺りで揺れる髪は、聖職者特有の髪色であるにも関わらず、一際美しく輝いて見える。
 ワンピースの裾から見え隠れする腰に付けられたポーチには、かちゃかちゃと涼しげな音を立てるガラス瓶が幾本も入れられていた。
 首から提げられたロザリオがきらりと輝く。

「お前が神官か?」
「ええ、ライナ・メイデンと。初めまして、神の後継者様」

 にこやかに微笑み、ライナはふっくらとした唇をほころばせた。ほんの一瞬エルクディアを射抜くように見、もう一度シエラを見る。

「なにかわたしに用がおありだとか」
「神官なら気づいているだろう、この魔気の強さに」
「確かに……少々、厄介な程度ですね」

 そう口にしながら、ライナは北西を見据えて腰元のポーチへ手を伸ばした。瓶を一本取り出し、中でちゃぷりと揺れる液体を確認する。
 シエラはそれがなんであるのか知らなかったが、神官と液体を繋げて考えてみれば、それが聖水であることは容易に予測がついた。
 一層強くなっていく魔気に、シエラは剣呑がる。

「分かっているなら、さっさとここにいるすべての者に結界を張れ」
「全員に、ですか?」

 小瓶の蓋に手を掛けていたライナは、シエラの言葉を聞いて瞠目した。曇りのない金の瞳を真っ直ぐに見据え、その言葉が冗談ではないことを確認してから辺りをざっと見回す。
 目に見えるだけを少なく見積もっても、この場には七十以上の兵士がいる。
 特別に少数部隊を形成しているため、いくつかの隊は各方面の警護へと向かっていた。
 正確に数を示すならば、百近くの人数に結界を張り巡らさなければいけないことになる。
 結界を張るという作業は、決して簡単なものではない。
 神官は意識を集中させ、ずっと力を均等に保ち続けることが要求されるのだ。ある意味では、祓魔師よりも忍耐力等が必要とされる。
 体力も法力も根こそぎ奪われてしまいそうだと苦笑して、小さく息をついた。

「王宮お抱えの神官なんだ。それくらいできるだろう? 文句があるなら、祓魔師を連れて来なかったそこの馬鹿に言え」

 黙って二人のやり取りを聞いていたエルクディアが、突然シエラに台詞と共に指差されて口元を引きつらせた。ライナに見られ、なにやらぶんぶんと顔の前で手を振って慌てるそぶりを見せたが、ライナはにこりと笑って彼の無言の訴えを黙殺した。

「そうですね。祓魔師を連れてきた方がいい、というわたしの意見を無視してこの計画を押し通したんです。それくらいの覚悟は必要ですよね、エルク?」

 それくらいの覚悟、というのは一体なんなのだろうか。おそらくは文句を言われる覚悟、なのだろう。
 無事王都へと帰還した際に待ち受ける己の未来を予想して、エルクディアは深々とため息をついた。するとすぐ脇からシエラにじろりとねめつけられて、慌てて息を呑む。
 地面に突き立てた剣の切っ先と北西の方角を交互に見て、シエラはライナを促す。
 微苦笑を浮かべたライナは、左手の小指の爪で強く唇をなぞった。刹那、つうと線が走って唇が妖しく光る。
 より赤く彩られたそれは、松明の明かりのせいではない。唇を飾ったのは彼女自身の血だ。
 指先に滴るそれを、蓋を開けた小瓶の中に数滴垂らし入れた。
 ライナは顎へ伝う血を拭おうともせず、透明な液体の中でゆらりと踊る血を振り混ぜる。

「聖水か?」
「ええ。移動性の神聖結界を張るには、少々時間が足りないようですしね」

 聖水――それは聖職者の剣となり楯となる聖なる水。
 聖職者は神言と呼ばれる言の葉を使って、この世に存在する様々な精霊と契約を交わす。精霊は神の御使いとも考えられており、精霊の力を借りることによって聖職者は己の身に秘めた法力を具現化することができる。
 不思議なのは、同じ神言でも祓魔師と神官によって発揮される力がまったく異なることだ。
 祓魔師であれば、それは攻撃呪となり魔を祓う武の力へと。神官であれば、傷を癒し結界を張る守の力へと。
 神から与えられた各々の役目は、それぞれ分担されている。



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