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+ + + 船は大きく、揺れはあまり感じられなかった。聞けばかなりの資金が注ぎ込まれた豪華船だというから、それも頷ける。潮風に煽られる髪を押さえながら、シエラは船の甲板で初めて見る海を肌に感じていた。
海の潮気を帯びた風はねっとりと四肢に絡みつくようだが、不思議と嫌悪感はない。むしろ鼻に届く潮の香りが心地よいとさえ思う。
二人の魔導師が帰ってきた翌日、シエラ達はユーリの手配したこの船に乗ってホーリー王国へと旅立つことになった。
その際、ホーリー王国からの使者と、三人の祓魔師が共に乗船している。
今現在、ホーリー王国では魔物の発生件数が急増化しており、聖職者の数が足らないのだという。そこで至急、アスラナ王国から祓魔師を一人でもいいから、派遣して欲しいとの要請が来たのだ。
無論それをユーリが断るわけもなく、優秀な祓魔師を三人送ることになった。これにより、シエラ達がディルートで宝珠探しをすることもより楽になる――という考えが彼の中にあったというのは、言うまでもない。
白い水飛沫を上げながら進む船の底を見ながら、シエラが小さく息をつく。すぐ隣に控えるエルクディアの視線が一瞬向けられたのを感じたが、お互いなにも口にすることはなかった。
乗船してから今まで、ずっとこの調子だ。初めこそ静かに歓声を上げていたシエラに付き合うようにエルクディアも声を上げていたが、しばらくすると彼はあまり喋らなくなっていった。
普段ならば、気分を害さない程度に話を振ってくれる気の利きようなのだが、どうやら今日は違うらしい。
黙って寄り添う様は確かに騎士の風格溢れるものではあったが、シエラからしてみれば妙なこと以外の何者でもない。
しかし自分から話しかけようと思っても、なにを話せばいいのかさっぱり分からない。むう、と唸った彼女は仕方なく、長い間していたのと同じようにまた海を眺めた。
甲板にいる人物はといえば大勢いるが、知っている人物は彼女にとってエルクディアのみだ。ライナは三人の祓魔師と話し合いをしているところだし、リースは一人で宛がわれた部屋にいる。この状況を打破するのは、もはや張本人達以外にありえなかった。
「……ねーえ、そこの人達」
ありえなかったのだが、背後からふいに声が投げかけられた。反射的に振り向けば、小さな少年が屈託のない笑みを浮かべてちょこんと立っている。
少年の頭には幾重にも布が巻きつけられており、服装は船乗りのそれと同じだった。見習いだろうか、とシエラはぼんやりと考える。
少年はたたた、と小走りで走り寄ってきたかと思うと甲板から身を軽く乗り出し、なにかを探すように顔を左右に動かした。
「ねえ、知ってる? 最近ホーリーの近くでは、海賊が出るんだって。この船とおんなじくらいでっかくて、こわーい船長が舵を取ってて、それから人も攫ってくんだって。おねえさんみたいに綺麗な人は、海賊がだーいすきなんだよ。だから狙われちゃうんだ」
「知ってた?」と少年は楽しげに笑った。あまりにも無邪気なその顔に、なぜか悪寒がシエラを襲った。無意識に一歩距離を開けようと動いた足を見て、エルクディアがシエラの前に立つ。
少年とシエラの間に入るようにして立った彼は、普段よりも少し低い声音で少年に問いかけた。
「何者だ。この船の乗組員か?」
「そうだよ。おにいさん、騎士だよね? 守ってあげるんだよね、お姫さまを! かっこいいなー、悪い奴らはどんどん斬っていくんでしょ? いいなあ、ぼくも騎士になりたかったなあ」
見上げてくる視線に悪意はない。そのことはシエラも理解できたが、どうしても頭の奥の方で言い表しがたい恐怖を覚えていた。たかがこんな子供に、と自分でも思うほどの感情に彼女はふるりと首を振り、エルクディアの背からちらと少年を覗き見る。
どうやらエルクディアも警戒を解いたらしく、放たれる気は幾分か穏やかなものだった。彼は微笑して少し腰をかがめると、その手のひらをぽんと小さな頭の上に乗せた。
くしゃりと撫でてやれば、少年がくすぐったそうに目を細める。
「人を斬るだけが騎士じゃない。剣がなくても、守れるものはあるんだぞ」
「ええー。でもやだよ、剣を持ってない騎士なんてさ。ね、おねえさんだってそう思うよね?」
くりくりとした大きな瞳に見上げられ、シエラは少したじろいだ。咄嗟に投げかけられた単純な質問にでさえ答えることができず、意味のない単語だけが口から零れる。
どうしてだろう。この少年が、小さな小さな子供が、怖い。