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「行くぞ、シエラ。準備もしなくちゃいけないし、それに少し休んだ方がいい。……最近少し、疲れてるだろ?」
「別に私は……」

 口籠るシエラの声を、エルクディアが首を振って奪う。

「無理しなくていい。俺には無理でも、せめてライナには遠慮なく頼って欲しい。……つらそうな顔は、見たくない」

 「そうですよ」と賛同するライナの声に重なるように、大きく心臓が跳ね上がった。耳元でばくばくとうるさく鳴り響くそれに目を瞠るも、その正体にエルクディアは気づいた様子を見せない。
 シエラとて理由も分からず高鳴る鼓動を胸のうちに宿し、困惑しきっていた。
 はっとしたとき、耳が熱くなっていることに気がついた。同時に向けられたユーリの視線が、なにやら笑みを含んだものだと分かる。

 一気に朱が顔に上り、シエラは慌てて踵を返した。
 見られたくない。見られてはいけない。
 そんな思いが胸の中を駆け巡り、四肢を動かしていく。
 差し伸べられたエルクディアの腕を振り払うように部屋から飛び出したが、耳にこびり付いたあの声と、瞼の裏に焼きついた悲しげな表情がどうしても抜けきれない。

「うるさい……」

 暴走を始めた心臓を抱え、シエラは人知れずそう呟いた。



 部屋を走り去っていたシエラの後姿を眺めながら、ユーリはくつくつと喉の奥を奮わせた。
 意味ありげな視線をエルクディアに向け、彼は頬杖をついて右手でくるりと聖杖を一回しする。その瞬間、先に付けられたエメラルドがきらりと光を弾いた。
 シエラを追いかけたのはエルクディアではなく、ライナだった。ぱたぱたと小走りで駆けていったところを見ると、まず自分は行かなくても大丈夫そうだ、と思ってエルクディアはこの場に留まったのだ。
 なんとなく、本当になんとなくなのだが、今のシエラは追いかけられたくなさそうに見えた。
 特に、エルクディアには。

「おやおや、随分と。キミも大分女性の心を掴むのがうまくなってきたねぇ、エルク」
「は? 別に俺には、そんなつもりなんてない。――これまでも、これからも」
「ふふ、まるで自分に言い聞かせてるような物言いだよ。まあ、蒼の姫君を口説いたところで、どうしようもないけどねぇ」

 またその話か、とエルクディアはきつく眉根を寄せた。今この部屋には、彼ら以外に誰もいない。だからこそこのような視線をユーリに向けることが許されるのだが、青年王は気にした風もなく聖杖を弄んでいる。
 青海色の瞳と新緑の瞳が交差したとき、そこで初めて青年王の顔が真剣なものへと色を変えた。
 緩慢な動作で足を組み替え、青年王は気だるそうに髪を払い除ける。エルクディアが唯一つ言えることは、これから先に飛び出す言葉がいいものではないということだった。

「……気をつけたまえ、エルク。今回は少々厄介な旅になるよ。向こうでは、姫君から片時も目を離してはいけない」
「分かってる。いつもそのつもりで、」
「違う。いつも通りじゃ駄目なんだよ、エルク。ホーリーに、果てはディルートについてから、キミが姫君から離れることは許されない。あってはならない事態だ。……ライナ嬢には、荷が重過ぎるからね」
「どういうことだ?」
「そうだねぇ……どこから話そうか……。まず、“あの子”の生い立ちから、かな」

 どこか遠くを見ながらユーリはぽつりと呟くように言った。
 手で近くの椅子に腰掛けるように促され、エルクディアは豪華な装飾の施された、背もたれの長い椅子を引いてそこに腰を下ろした。
 目の前でより豪華な椅子に腰掛ける青年王の双眸をじぃと見つめ、言葉の続きを待つ。

「あの子――ラヴァリル・ハーネットの出身地を、聞いたことはあるかい?」
「いや。ないが……それが?」
「深紅の娘は、ホーリー王国の出身だよ。王都テティスで生まれたらしい。まあ、生まれてすぐにアスラナに移ってきたようだけどね」
「ラヴァリルがホーリーの? だったら、今回の護衛は眼鏡よりもラヴァリルの方がいいんじゃないか?」

 それは当然の問いだった。母国であるというのなら、それはより地理や内政に詳しいラヴァリルを連れて行くべきだ。
 しかしユーリは静かに首を振る。

「今回、深紅の娘には城に残ってもらうよ。あちらにも一応“順番”があるらしいし、それに……今、リース・シャイリーにこの場に残ってもらっては困るのでね」

 僅かな微笑と共に紡ぎだされた言葉は、小さな川のせせらぎのように静かに染み渡っていった。 
 窓の外では、青々とした緑が陽光を受けてきらめいている。軽やかな小鳥の鳴き声が耳朶を叩くが、室内にはそれに浸る空気が成されていなかった。
 理解しがたいユーリの台詞を受けて、エルクディアが問い返そうとするも青年王は椅子から立ち上がって窓辺へと歩いていってしまった。なんとなく言い出しにくくなってしまい、エルクディアは口を噤む。

「エルク、本当に気をつけたまえ。どうやら、魔物だけが我々の敵ではないらしい」

 多くの謎を残し、ユーリはそう言って淡く笑んだ。
 それからすぐのことだ。一人の兵士が大きな扉を叩き、魔導師二人の帰還とホーリー王国からの使者がやってきたという話を告げにきたのは。



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