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広がる世界は何色だろう。
空の青? 雲の白? それとも植物の緑?
貴女はまだ知らない。
様々な色が溢れる、この世界を。
本を開くように、世界を開いて。
そうすれば、貴女、もっとこの世界が愛おしくなる。
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ホーリー王国へ行くには、海を渡る必要がある。
レイニーから話を聞き、城へ帰ってそれをユーリに報告した彼らを待っていたのは、渡航へ向けての準備だった。
話を聞いたユーリは一つ頷くとすぐさま船の手配をし、ホーリー宛の書状をしたためて赤い蝋でしっかりと封をする。そして彼はそのままそれをシエラに手渡すと、端整な顔立ちに含み笑いを乗せて言った。
「くれぐれも、あちらの方々に失礼のないように頼むよ。君は一応、この国の姫だからね」
その一言にむっとした表情を隠しもせずシエラがユーリを見据えたが、彼は飄々としてその視線を受け流した。傍らにいたエルクディアも深く嘆息し、恨みがましい目を青年王へと向ける。
しかし、ここでこうして青年王の言うことに間違いなどないのだ。シエラにとっては初めてこの国を出ることになるし、普通ならば外交官が出向くべきところを、神の後継者、騎士団総隊長、神官に加えて一般の魔導師という奇抜な構成となっている。
確かに、外交にあたるにはいささか不安も残るといえよう。
それを承知しているからこそ青年王の物言いに口を挟むこともできず、エルクディアはため息をつくばかりだった。
ホーリー王国とは、友好的な外交を行っている。
今からおよそ六十年前、アスラナはホーリー、エルガートと三国聖同盟を結んだ。その後も三国は同盟国として第二次帝国戦争に参加したが、かつてアスラナはホーリーと争った仲でもあった。
それは遥か昔の話ではあるが、彼らが今まさに向かおうとしている土地――ディルートこそが、七百年以上前、戦場となった場所なのである。
アスラナの持つ力を絶賛する者がほとんどの中、やはりその戦争が気にかかってアスラナを批判する者もいる。それがたとえ些細な声であろうと、下手をすれば一気に膨張して世界に広まってしまうこともありうるのだ。
だからこそ、同盟国とはいえ気を引き締めなければならない。外交に慣れた熟練の者ならばまだしも、今回赴くのは人と接するのに不向きな少女なのだから。
だったら外交官をつければいいじゃないか、という言い分は、青年王の笑顔の下に綺麗さっぱり跳ね付けられてしまった。
それではシエラが成長しない、と彼は言うのだ。甘やかしてはいけない。無知だからといってすぐに手を差し伸べてはいけない、と。
女性には砂を吐くほど甘い言葉と態度を示すかの王は、ひどく冷たくそう言い放った。なぜこのようにシエラにばかり厳しいのか――そんなことは、聞くまでもない。彼女はこの国を、この世界を背負う人物だ。
どのようなことにおいても、一人で判断を下せるようにならなければならない。自分の足で歩けるようにならなければ、ならないのだ。
規模は違えど、ユーリもこの国を背負う人物だ。自分以外の多くの命をその腕に抱き、肩に乗せ、彼の言葉一つで簡単に失ったりする。
そのことを知っているからこそ、こうして青年王は彼女をあえて突き放すような物言いをする。
嫌でもそれが理解できてしまったエルクディアとライナが顔を見合わせ、不機嫌そうに眉を寄せるシエラの肩をぽんぽんと叩いて宥めた。
「まあ、今回はライナ嬢がいるから問題はないだろうけどね。出発は明後日、リースが帰ってからにしてもらうよ。怪我をしないよう、気をつけて」
ちらりとライナに向けられた視線は意味深で、弧を描いたユーリの口元を見てライナの表情が一瞬強張った。しかし、青年王はそれに構うことなくひらひらと手を振る。
法衣の裾がさらさらと衣擦れの音を立て、まるでさっさと部屋に戻れと言われているような感覚に陥った。
青海色の瞳がゆっくりと滑り、ひたとシエラに据えられた。なにも言わずに微笑まれるが、それがひどく癇に障る。
神父服の前合わせを掻き抱くようにぎゅうと握り締め、シエラは浅い呼吸を何度か繰り返した。
あの瞳が嫌いだ。
なんでも見透かすような、鮮やかな海の色をした切れ長の瞳が大嫌いだ。
鍋の中のスープを掻き混ぜるかのように心の中をぐちゃぐちゃにしてしまう視線が、シエラは苦手だった。
彼のまなこには、いつだって迷いなど存在しない。
唯一見えるのは、あの青海色の瞳に映る自分の姿。彼の瞳からは一片の感情も読み取れない。いや、心の奥底が見えない、と言った方が正しいだろう。
こうしている間にもユーリは淡々と周りに指示を出し、己の執務を片付けていく。隣に立っていたエルクディアが身じろぎ、何気ない動作でシエラの頭に手を置いた。
僅かな重みが頭上に宿る。