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そのような場所に宝珠があると言われても、どうやって取りに行けばいいというのだろう。困惑の色を浮かべたシエラの隣で、エルクディアがすっと古地図を手繰り寄せた。
視線で指先を追いつつ、レイニーが再び外套をすっぽりと被った。隠された表情はほんの少し笑んでいるように見えたが、真相は分からない。
彼女の膝の上で背を丸めているスカーティニアがゆっくりとテュールに視線を投げ、なにか言いたげに口を開いたが、その口から言葉が流れることはなかった。代わりににゃあという猫の鳴き声が喉から零れ、一つの音として消えていく。
「……なあ、なんでお前はアビシュメリナに宝珠があるって知ってるんだ? なにがあるのかは分からない――そう言ったのは、お前だろ?」
「あらら。さすがはルッツの自慢の息子ねー。うんうん、いい質問。さぁて……どう答えようかしら」
「貴方はアビシュメリナに行ったことがある、ということですか?」
「いいえ、違うわ。でもね、見たことはあるのよ。――無色透明、光を浴びてどんな色にも姿を変える、神秘の宝珠をね」
うっそりとした目で吐息のように語ったレイニーは、ろうそくの炎に右手をかざして小さく笑んだ。
熱くはないのだろうか、と目を丸くさせるシエラを尻目に、彼女はろうそくの芯を指で押して炎を消す。ライナが声を上げるよりも早く、レイニーが左手でぱちんと指を鳴らした。
その瞬間、音もなく彼らを取り囲むように燭台が宙に浮かび上がり、一斉に火を灯す。急に明るくなった室内に声も出ない彼らをくすくすと笑って、レイニーは手元にあったろうそくをどけた。
その際、もう一度芯を指先で軽くつつき、火を灯すという作業を忘れない。
――これが人であって人でない、魔女の力なのだろうか。
「魔女ってなにか、知ってるかしら?」
きょろきょろと辺りを見回すシエラに、レイニーが尋ねた。ぱちくりと目を何度かしばたたかせ、シエラは軽く柳眉を寄せる。
知識としては知っているが、だがそれが完璧かと聞かれれば頷くことはできない。頭の中にある引き出しを盗人よろしくひっくり返して「魔女」に関する情報を探していたシエラは、むう、と唸って小首を傾ぐ。
「……人と幻獣の間になされた子。長寿で特殊な力を持ち、あまり存在を知られていない者達のこと……か?」
「ええ、それが模範解答ね。辞書通りのお答えありがとう、後継者ちゃん」
ぱちぱちと賞賛の拍手を送られ、一瞬シエラの眉間にしわが刻まれた。嫌味だと思ったのだろう。けれどレイニーの様子を見る限りその雰囲気はなかったので、シエラはついと顔を背けて唇を尖らせる。
ライナが苦笑気味にその背を撫でて、レイニーに「では模範解答以外のお答えは?」と尋ねた。
今のレイニーの言い方からすれば、別の答えがあるように見受けられる。シエラの腕の中に納まっているテュールを一瞥して、彼女は考え込むように外套の端をいじった。
「大部分はさっき後継者ちゃんが言った通り。さっきのでなんの問題もないわ。だからこそ、なんだけど……特殊な力って言ったわよね? あれ、親に持つ幻獣によって力が変わるのよ。アタシの場合、父さんが竜だったから比較的強い力を得たわ。特に遠見の力をね」
「遠見の力……ですか?」
「そ。占いとかが得意なのもそのおかげ。だからアタシは、アンタ達がここに来ることも予知できたし、アビシュメリナに宝珠が眠っていることも分かったのよ」
「レイニーの勘ハ、並じゃナイものネ」
この場にないものを見る力。それが目の前の魔女には備わっているのだという。
ただしそれは自在に操れる力というわけでもなく、なにやら複雑な条件が重なった上で発揮する能力らしい。結構難しいのよ、と語ったレイニーはなにかを思い出したようにため息をついた。
こぽり。水が湧く。
「でも、アビシュメリナ自体が持ってる力は計り知れない。アタシの眼を遮る強大な力があったのは確かよ。だから、宝珠だけしか見えなかったわ。……正直、それも結構前の話なのよねぇ」
それこそ神経を針のように尖らせ、集中して気を探ってみてもアビシュメリナの全貌を把握することはできなかったのだ。
もどかしさに顔を歪め、肺の中の空気を入れ替えたレイニーは当時の様子を思い出したのか、ぎりりと下唇を噛んで悔しがった。それを宥めるようにスカーティニアが喉を鳴らしたが、彼女は真っ白な指先を上下に何度か動かし、言葉にならない思いを吐き出そうとしている。
再びシエラが古地図に視線を落としたとき、「ディルート」と書かれた文字が僅かに揺れたような気がした。
そこでふと、思う。
ディルートに行かなければならないのは、本当にテュールの食欲を抑えるためだけなのだろうか。
アスラナ王国は世界で最も栄えた国だ。国土も資源も、他国より秀でている。つまり、今すぐテュールの宝石荒らしを抑えなければならないほど、この国は困っていないはずなのである。
長期的に見れば、確かにここで宝珠を取りに行かなければならないだろう。
だが本当に、ただそれだけなのだろうか。
その疑念を感じ取ったのか、外套の下でレイニーが薄く笑みを形作った。
「とにかく、行くなら行ってらっしゃいな。あの宝珠を手に入れることは悪い話ではないわよ。アンタ達にとっても、この小さなドラゴンにとっても、ね」