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 天才騎士と呼ばれる彼の身は、不意打ちで仕掛けられた攻撃をまともに食らったことなど、片手で足りるほどしかなかった。それもほとんどが彼の師匠によるもので、実際の戦地で彼への奇襲は成功したためしがない。
 その反射神経の良さ、俊敏な動作から彼は「竜騎士」という異名をいつしか持つようになった。
 竜のように強く、素早く、剣技はまるで飛ぶように舞うように。
 敵を射抜く眼光は竜のそれさながらで、迷いなく振り下ろされる長剣は竜の爪のようだと言われている。
 多くの可能性を秘めた若き騎士、それがエルクディア・フェイルス。
 そんな彼を突如として襲ったのは、後頭部に走った激しい頭痛だった。

「痛っ――!」
「お前……馬鹿か馬鹿かとは思っていたが、まさかここまで、とはな。お前は私の話を聞いていたのか?」

 シエラの冷ややかな双眸に映ったのは、後頭部を押さえ驚愕の色に顔を染め上げたエルクディアだ。
 周りの兵士はぎょっとして目を瞠り、先ほどとはまた違った緊張感に固唾を呑んだ。
 彼女の目は完全に据わっており、低く唸る様からはごろごろと雷鳴が轟きそうなほどだった。
 痛みさえ忘れたのか、苦しげな表情からは一変して憤怒の相を浮かべている。美女が怒ると恐ろしいとよく言うが、確かにその通りだろう。
 今の彼女の形相は、まさに荒れ狂う大海原を連想させた。
 一瞬静まり返った周囲の空気が、再びざわつき始めた。兵士らの視線は、鐙から離されたシエラの片足に注がれている。

「シエラ、様……?」
「魔物が向かってきていると言っただろう。さっさと兵を退け馬鹿者。お前の耳はただの飾りなのか?」
「なっ――」
「なぜわざわざこの場に留まる? お前の策は愚かだとしか思えない。まったく、お前のせいで足が痛い」

 足が痛いのは、シエラがエルクディアの後頭部を蹴ったせいだ。斜め前方にいるエルクディアの形よい後頭部に向かって、彼女はまったく容赦の欠片もなくその足を振り上げた。
 そして大きく勢いの付けられたそれは見事彼の後頭部にぶち当たり、かなりの衝撃を与えたのである。
 そんなことは棚に上げて「足が痛い」と散々文句を垂れていた彼女の赤い唇は、ふいにきゅっと結ばれ、ある一方を眺めると軽くため息をついた。
 ぶり返してきた頭痛に眉根を寄せるが、今は怒りが勝っているおかげで大分楽である。
 ぱくぱくと金魚のように口を開閉させるエルクディアを嘲るかのように見下ろすと、彼女は顎で眺めていた方角を指し示した。

「オイ。こっちは、どの方角になる?」
「北西になりますが……」

 ほくせい、とシエラは口の中でその言葉を反芻させて目をすがめ、闇の奥を見通した。ぞくりと背筋に冷たくどろりとしたものが這い、滑るように落ちていく。
 エルクディア達にとってはなんでもないただの闇も、彼女には昼間の景色と変わりない。
 木々を縫い、遠くから迫る魔物の数さえ見通すことのできる瞳は、魔気を感じてから「発動」すると言ってもおかしくはないだろう。
 ただ、このことを誰かに言ったことは生まれてから一度もなかった。伝えるまでもないだろう、とそう判断したからだ。昔も今も、その考えは変わってはいない。
 淡々とエルクディアを罵倒するシエラを見上げ、周囲の兵士達は皆一様に目を丸くさせていた。
 王都へ行けば天才騎士ともてはやされ、知力武力共に揃った彼をここまで馬鹿にできる者は早々いないだろう。もはや、妙な関心まで覚える始末である。
 からからに渇いた喉を唾液で潤し、シエラはすとんと軽やかに馬から降り立つ。当然エルクディアを含め、多くの兵士らが制止の声を上げたがそれに耳を貸す彼女ではなかった。

「ならば、この反対へと逃げろ。魔物はこちら側から来る」

 つかつかとエルクディアの元へ歩み寄り、シエラはその胸倉をぐいと掴み上げた。華奢な腕に引き寄せられ、彼は驚いたように瞬きする。
 額が触れ合うほど距離は縮まり、二人の視線が嫌がおうにも絡み合う。
 そして、シエラは吐き捨てるように言った。

「いいか、お前がコイツらの指揮を執っているのは分かった。だから、早くコイツらを連れてここから去れ。魔物が狙っているのはこの私のみだ。お前達が今すぐに退けば、無用な犠牲者を出さずにすむ」
「……それは、暗に貴女を置いて行けと、言っておられるのですか?」
「ああ。それが一番いい」

 告げられた一言は迷いがなかった。
 あまりにも迷いがないものだから、エルクディアは反対に躊躇してしまう。



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