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 一気にグールとの間合いを詰めた彼は、常人の反射神経では対応しきれないほどの速さで魔物の腕を切りつけた。のどかなはずの平原に、濁りを帯びた赤い液体が飛散する。しかしグールの動きは怯む様子を見せず、衝撃によろけただけだった。
 その所作を見る限り、痛みを感じているようには思えない。
 ――ああ本当に、気味が悪い。
 すぐさま次の攻撃を繰り出そうとしたリースの足元を、黒い影が横切った。反射的に視線がそちらへと向いてしまい、一瞬前方に隙ができる。その瞬間を逃さないとでも言うように、低い唸りを上げるグールの鋭い爪が、首筋の太い血管目がけて振り下ろされる。
 ラヴァリルがそれに気づいたのだろう。彼女はきゅうと口端を吊り上げて、銃をリースの足元へと向けてきた。今にもグールの爪がリースの首を貫きそうだというのに、あの笑顔だ。魔物を前に眉を下げていたのが嘘のように思える。
 雷のような銃声が響くのと同時、リースの足を狙っていたハーピーの甲高い悲鳴とグールの呻きが、不協和音となって辺りに轟く。

「雑魚が調子に乗るな」
「ウ……アァ……グ……」

 グールの右胸に突き立てられた短剣は、先ほどリースが手にしていたものとは違っていた。ボロックナイフは彼の首を掻こうと狙っていた腕を貫通し、赤く光を弾いている。
 腕を交差させるような形で前に持ってきた左腕に握られた短剣は、ソード・ブレイカーと呼ばれる一種変わった剣だった。本来ならばソード・ブレイカーは相手の剣の攻撃を受け止め、流すための剣だ。そしてその際、向かってくる力を利用して相手の剣をへし折るという、対人間用の武器でもある。いくつもの矢尻のような凹凸が強い印象を与えるそれは、深々とグールの胸に突き刺さり、体を離そうとする行為を許そうとしない。盾の役割が強いこの短剣も、一度肉を突き破れば抜けにくく、相手を逃がさない恐ろしい武器となる。
 いくら不死身に近いグールとはいえ、心臓に衝撃を与えられては堪ったものではない。苦しげに身をよじるが、片腕を封じられた状態では大きな抵抗もできず、口の端から血泡を零していた。

「きゃああ、リースってばさっすがぁ! もうかっこいいんだからー、もうもうもう! どうしよどうしよ、胸きゅんー!」
「……少し黙ってろ」
「冷たいリースも素敵ー!」

 ――うるさい。
 ここまでくると、ラヴァリルの状態は病気と言わざるを得ない。グールと間近で対峙していたリースは、半ば八つ当たり気味に力を込め、右足を軸にして左足でグールの体を蹴り飛ばした。
 至近距離からの攻撃に、グールはなす術もなく上体を折り曲げる。再生し始めていた左腕はボロックナイフが刺さったままだったので、腕の中に異物が残るという状況になってしまっていた。
 ぐっとよろめいたその瞬間を見逃さず、リースの膝蹴りが屈んだグールの顔面に繰り出される。グールの体が後方に仰け反った折、彼は左腕に力を込めて短剣を横に引いた。簡単に抜けることのないそれはグールを引きつけるため、魔物は振り子の要領で大きな半円を描く。
 短剣から手を離した右腕でさらに横殴りに拳を叩き込めば、肉を震わせ骨の軋む音が直接脳に響いてきた。殴ったのと同時に左腕を離せば、支えを失ったグールは反動を受けて大きくよろけた。そしてそのまま、ふらふらとおぼつかない足取りでリースの描いた方陣内へと足を踏み入れる。
 その一瞬、リースの口角が持ち上がる。眼光の冴え冴えとした冷たさはそのままに、彼はとどめと言わんばかりに呪文を紡ぐ。

「――ゼロストレン・シィ」

 稲光に類似した閃光が、朝だというのに辺りをさらに白く包み込んだ。刹那、ゴォウと勢いよく、方陣から天に向かって火柱が上がる。地を舐めるようにゆらゆらと深紅の炎が揺れ、ハーピー達とグールの耳障りな断末魔の悲鳴が、炎の轟音に折り重なった。
 そして次第に、炎が緋色から漆黒へと変化していく。静観していたラヴァリルが銃を腰のベルトに収めながら、隣に立った。
 リースがグールの血が滴る腕をぶんっと振り下ろして邪魔な液体を飛ばしても、彼女はそれを避けようともしない。どこまで肝の据わった女なのだろうか。そう思いはしたけれど、これくらいでなければ今自分と一緒にいないだろうと思い当たって舌を打つ。
 術を引き継ぐどころかただ眺めているだけだったラヴァリルは、ゆるく編んだ三つ編みを背に払いのけて満足そうな笑みを浮かべていた。ごうごうと燃え盛る炎の中から肉の焦げる異臭が届くと、そこで彼女はようやく表情を歪める。
 いつだって、そうだ――呑気な彼女を見て、リースは嘆息した。
 ラヴァリル・ハーネットという存在は、否が応でも付きまとってくる。
 リヴァース学園で、リースは飛び級して魔導師の資格試験に合格した。しかし基礎を固めるという名目上、彼は未だに学生として学園に籍を置いている。――とはいえ、リヴァース学園には正規の魔導師も滞在する場所が設けられているので、卒業しても、実質拠点地は学園だ。
 そんな成績優秀なリースに比べ、ラヴァリルはいつも試験で最下位を取る成績不良者だ。にもかかわらず、リースとラヴァリルは常に二人一組で動かされる。
 バディ発表の張り紙が出される度、リースは掲示板を見に行くのが億劫になる。――どうせまたあいつだろう。その予感は毎度外れることを知らず、今まで彼女以外の魔導師とバディを組んだためしがない。
 正直言って、彼女は魔導師に向いていない。確かに射撃の腕前は大したものだが、魔導呪――魔導師が行う魔術の際に使う呪文――に関しては、学園全教官が特大のバツ印をくれるというすばらしい評価だし、筆記試験での方陣を描くという作業では、彼女は見事にそっくりなリースの似顔絵を描いて提出した。もちろん、結果は減点五十点だ。
 ゆえに彼女は魔術を使って魔物を倒すというよりは、主に銃撃のみで魔物を倒していると言った方が正しいだろう。魔物相手にはそちらの方が格段に難しい。


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