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 急がなければならないにも関わらず、あれから長々とカイから説教されたシエラは、強制的にエルクディアと同乗するはめになり――そうは言ってもあのときの状況では逆らいようがなかったし、第一馬もその場には一頭しかいなかった――少し機嫌が悪かった。
 説教とは言っても、カイの小言など右から左、左から右へと聞き流していたのだが、最後の言葉が「さっさと行ってこい、方向音痴!」というのはいささか不満がある。それに対して「言われずとも行く。お前は黙っていろ童顔男」と返したのだが、そんなことなどシエラの頭には残っていない。
 シエラを気遣ってかゆっくりと進んでいく馬の背に揺られ、彼女は背後に存在する暖かな気配に違和感を感じていた。

 ぱから、ぱから、と一定の速さで進むそれと同じくして、胸の奥で動き続ける心臓は綺麗な二拍子で進んでいる。
 そしてどこか胸の内が軽くなったような気がして、彼女ははてと首を傾いだ。 
 肌寒さを感じる森の中で、星空を見上げながらどうしたことかと考える。
 なんとはなしに手綱を握るエルクディアの手に視線を落として、それからふと己の手を見つめた。

「――アイツ」

 重苦しく、ねっとりと胸の奥に絡みつく何かが消えていた。それが一体なんだったのかは分からないが、知らず知らずのうちに不安でも感じていたのだろうか。
 それが、永遠の別れと言っても等しい最後の瞬間に交わされた言葉一つで、綺麗に拭われている。

 カイらしいな、と胸中で呟いてシエラはくつくつと喉の奥で笑う。
 昔からカイは人の心に敏感だったから、今回もこうして気遣ってくれたのだろうと考えて、シエラはカイの笑顔を思い出す。
 何度も何度も救われたのだ、彼には。だから今度は、せめて自分が彼を守ってやろう。
 ――今はもういない、姉のためにも。

「シエラ様、いかがなさいました?」
「別にどうもしな――ッ!」

 ふるふると首を振ろうとした刹那、シエラの脳髄を激しい痛みが駆け抜けた。ずきりと容赦なく襲う刺すような痛みは、収まることなく津波のようにやってきた。
 割れそうな頭を抱え、息を乱す彼女を前にエルクディアが驚きに目を瞠り、慌てて馬の歩みを止める。

「シエラ様、大丈夫ですか?」
「だ、いじょ……っ、ぶだ」
「そのようなご様子で、大丈夫なわけがないでしょう? 一体なにが――」

 だったら聞くな、とシエラは心中で怒鳴った。本当は声に出して文句を言いたかったのだが、いかんせんばくばくと壊れそうなくらい高鳴っている心臓が呼吸を乱し、うまく言葉を発することができない。
 眩暈に意識が遠のきそうになるが、腰に回されたエルクディアの腕をぐっと握り締めることでなんとかそれを耐えていた。
 痛みに呻く声が零れそうになって、シエラは慌てて唇を噛む。すぐに鉄の味が口内に広がったが、痛みは感じなかった。
 それだけ「なにか」による衝撃と痛みが強いのだと思い知らされるようで、虫唾が走る。
 相変わらずシエラを呼ぶエルクディアの声がだんだんと遠ざかり、聴覚までもが麻痺してきたようだ。
 そしてその代わりに、鼓膜を震わせるのではなく、直接脳に「何か」が響いてきた。

 ――見ツケタ、神ノ子、見ツケタ!
 ――殺セ! 我ラガ王ニ、ソノチカラヲ!
 ――奪エ、喰ラエ、我ガ王ノ目覚メノタメニ!

「うるさ、いっ!」
「シエラ様……?」

 ――アソコダ、アノ森ニイル
 ――マダチカラハ弱イヨ。ダカラ、ホラ

 早く喰らおう、としゃがれたような、高く低く、若く、年老いたような、男女どちらともつかない矛盾した声が頭に木霊する。
 その声を振り払おうと頭を振るも、脳裏にこびりつくそれが消え去ることはない。
 きぃん、と激しさを増す耳鳴りは時が経つごとに頭痛を大きくさせていく。
 夜の森の中、それも頼りにできるのは松明と月明かりだけというこの状況下で、シエラの視界はまるで昼間のように明るく開けていった。木肌の色でさえ確認できるようになったそれに、もう一人の自分が警鐘を鳴らす。



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