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「<風の精霊よ、我がもとに集まれ>」

 ――はぁい

 ころころと鈴を転がすかのような笑い声が響き、次の瞬間、シエラのもとに一陣の風が吹き抜けた。髪を攫う風は、悪戯にシエラの周りに纏わりついてくる。ふわりふわりと、明らかに自然のものとは異なるそれは、シエラに精霊の力だということを示すのには十分だった。
 喜色が顔に浮かんでいたのだろう。頬が持ち上がっているのを感じる。すぐそこにある精霊の気配にほっと息をつけば、ライナの神言が紡ぎ終えられていることに気がついた。はたと視線をそちらに向ければ、ライナは自分のことのように嬉しげに微笑んでいる。
 そのことがどこかくすぐったくて、シエラは緩む頬を隠すように顔を背けた。それを笑うように風が頬を撫でたと思ったら、ライナの声によく似た音が「きたよ」と奏でた。

「来たって、なにが……」

 ――竜!

 次の瞬間、闇の向こうでオレンジ色の光が爆発したように強く光った。ほんの一瞬とはいえ、辺りを昼間のように照らしたそれはかなりのものだ。
 エルクディアの安否は。焦りが体を動かすが、なにかが葉を揺らす音を追いかけるように彼の声が響いてきて安堵する。

「行ったぞライナ!」
「はい! シエラ、わたしの後ろに風の結界をつくっ……」

 ライナの台詞は尻すぼみになっていった。最終的には声は空に消え、闇に溶けて言葉として成り立たなくなる。
 どうしたことかと彼女の視線の先を追えば、遠くから駆けてくるエルクディアの影がぼんやりとだが見える。その手前、地面から握りこぶし一つ分ほど浮かんだ高さを疾走するオレンジに、目を奪われた。
 強い光を発するそれは、闇に軌跡を残してこちらへ一直線に飛んでくる。

「速い……!」
「<神の御許に発動せよ!>」

 一瞬言葉を失っていたライナが、やや遅れて結界の最終工程を完成させた。ロザリオを掲げ、闇に浮かぶ鮮やかな光に向かって十字を切る。
 その表情は驚きと好奇と、そして感動のような、そんな色に染まっていた。あっという間に光は近づき、そして一切減速しないまま勢いよく上昇した。妖光はちょうど、ライナの目線の高さで揺れている。その灯りに照らされた影は、大きな――そう、トカゲかなにかに類似していた。

「やっぱり……! シエラ、気をつけて下さい!」
「え?」

 途端、ガシャンという重たいガラスの割れる音のような響きが鼓膜を叩き、それと混じってやや高い唸り声が不協和音を奏でる。
 今の音は、結界の破れた音だ。ただしそれは、神聖結界の破られた音ではない。無理矢理に破られた際、このような音を奏でるのは、物理攻撃から身を護る「金剛殻(ダイヤモンド・シェル)」だ。
 しかし、その強固な結界がそう容易く破られるだろうか。そんな疑問が浮かび上がるが、それを問うだけの時間がシエラ達には用意されていなかった。

「<逃がすな!>」

 しっかりと心の中で風霊に頼み、シエラは失墜したなにかに向かって神言を叩きつけた。周りに漂っていた風霊達が、指示されたものを目標にして一斉に飛んでいく。辺りを騒がしく風が駆け抜けたあと、獣のような甲高い咆哮が耳朶を叩いた。
 エルクディアがざっと土を鳴らしたのを受け顔を上げれば、彼は剣を鞘に戻した状態でそこに立っていた。
 見上げた先に、光が揺れている。

「シエラ、ありがとうございます。助かりました」
「いや。それより、神聖結界は?」
「もしかしたらと思い、金剛殻も張っておいたんです。正解でしたね」
「にしても、なんなんだこいつ……。トカゲ?」

 ギィギィと啼くそれは、強いオレンジ色の光を発している。風霊によって押さえつけられている体躯は小さく、大人の手のひら程度だ。それこそ、エルクディアが手を広げたほどの大きさしかない。
 初めはトカゲかと、そう思った。けれどこれは、明らかに違う。
 大きくも鋭い瞳は左右で異なる色を持ち、体を覆う鱗は一枚一枚がきらりとまばゆい光を反射させている。ランプの光に照らされているためその色は確認できないが、頭部から尾部にかけて段々と色が濃くなっているようだった。
 口から覗く牙は、短いながらも鋭い。金属でさえも砕くという話だから、その顎の力は想像を絶するものだろう。背から広がる翼はコウモリのそれとよく似ているが、骨格に相当する部分はコウモリとは比べ物にならないほど太くて頑丈そうだ。
 そして額の辺りから突き出た一本の短い角は、身じろぎするたびに光を弾く。まるでそれは、ダイヤモンドのような煌きを放っていた。
 頭から後ろ足までは確かに手のひらサイズだが、トカゲと比較するとその尾は太く長い。胴体とちょうど同じくらいの長さだろう。尾の先には、水晶の六角柱が集合したような大きな突起が付いていた。触れてみれば、それが本物の水晶に限りなく近いということが分かる。オレンジ色の光はそこから発せられており、六角柱の中で乱反射を起こしては、夜の闇を明るく照らした。

「これが竜、なのか?」
「尾の先にクラスターがついた竜なんて見たことないぞ……。それに、この大きさってまさか」
「――時渡りの竜。そう考えるのが妥当でしょうね」

 三人の視線が集まる中、がむしゃらにもがいていたそれ――おそらく時渡りの竜だろう――は、左右異色の瞳をぎらつかせ、ぎっとシエラを睨みつけてきた。


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