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 ライナには精霊の姿を見ることができないらしい。精霊はもとより不可視の存在だ。よほどの力を持つものではない限り、見通すことはできない。精霊達自身が姿を見せることを望むか、精霊を見ることのできる特殊な呪具を身に着けるかをしない限りは不可能だった。あるいは、顕現できるほどの強さを秘めた精霊か。
 けれどシエラほどの力を持っているならば、見ることすら可能だとライナは言う。意識を自然へと同調させ、コツさえ掴めば簡単なはずだと微笑まれたが、シエラは鼻の頭にしわを寄せるより他になかった。
 気配を感じ取ることすら難しいのに、姿を見ろだなどと無茶を言う。
 精霊を探すふりをして、そのままぐるりと空を仰いだ。今にも落ちてきそうな星空が広がり、どこかへ誘うかのように瞬いている。冷たい風に煽られた蒼い髪が背中でもつれ合い、夜の闇を舞った。

「エルク、テオさんはどうしました?」
「家で待機してもらってる。にしても精霊か、俺にはさっぱりだな」
「……私にも分からない」
「シエラったら……。とにかく、探しましょう。魔気が感じられないとなれば、頼りになるのは精霊の言葉くらいですが。……まあ、気配を感じ取るのはエルクの方が得意でしょうね」

 ランプを手に立ち上がったシエラが、ライナに倣って空を仰いだ。
 すっと髪を掻き分けて首筋を撫でる風の中に、小さなざわめきが宿っているような気がして、ぱちくりと目をしばたたかせる。今のは一体、なんだったのだろう。これがライナの言う「精霊の気配」なのだろうか。
 目を凝らしていると、ほんの一瞬淡い色彩のなにかを捉えた。しかしそれは瞬きと同時に消え失せ、なにかがいたという痕跡すら与えてはくれない。
 エルクディアが神父服の裾を引いたのを合図に、彼らはゆっくりとカボチャ畑の中に足を踏み入れた。足首に触れてかさりと音を立てる葉に気を配りながら、己の気配を殺して相手の気配を探る。

 おいで おいで
 そっちじゃないよ そっちじゃないよ
 こっちだよ こっちだよ

 くすくすと笑い声を秘めて、穏やかな旋律に乗った歌声がシエラの耳に届いた。その軽やかな声音がライナのものとよく似ていて、反射的に彼女を見るも、彼女は真剣な面持ちで足元を眺めている。
 ライナではないのか。シエラはそう自答して、歌声が聞こえてきた方角へと顔を向けた。

「……?」

 ぼんやりと。本当にかすかなオレンジ色の光が、大きなカボチャの葉の隙間から零れている。点いては消え、点いては消え。その様子は油の切れかかったランプのようだ。
 しかし、あんなところにランプなど置いていただろうか?
 答えは、否だ。

「っ、見つけた!」
「本当かっ!?」
「どこですか、シエラ?」
「あそこだ。あの奥」

 ライナ達にも漏れ出る光が確認できたのだろう。エルクディアは無言で腰から剣を抜き、静かに構える。抜き身の刃はランプの明かりに照らされて、赤銅に煌いた。
 ライナの手が腰に伸び、ポーチの蓋をそろりと開けた。かすかに響いたガラス同士がぶつかり合う音は、彼女が聖水の入った瓶を手にしたことを告げている。
 そっと一瓶を手にした彼女は視線は妖光に据えたまま、片手で蓋を引き抜いてポーチの中に押し込んだ。
 その場は自然と、ライナの指示を待つ状態となった。耳を澄ませると、風の音に混じってカボチャを砕くような音が聞こえてきた。これは確実に例の生き物だろう。
 魔気はない。おぞましい唸り声も聞こえない。
 けれど確実に、なにかがいる。

「神聖結界の中に閉じ込めます。シエラ、貴方は風霊を集めて下さい。いざとなったら、風の力で捕まえますから。エルクは、……言わなくても分かりますよね?」
「ああ、任せろ」
「シエラ、できますか?」
「努力は、してみるが……」
「十分です。エルクがヘマさえしなければいいんですから」

 不敵な笑みを浮かべ、ライナは瓶を横に薙ぎ払った。飛び出た聖水が綺麗に半円を描き、地面とカボチャの葉の上できらきらと光っている。
 中央にトパーズの埋め込まれたロザリオを握った彼女がそのまま詠唱を始めたのをきっかけにして、各々が動き始めた。エルクディアは気配を殺し、ゆっくりとその歩を進めていく。一方でシエラは、ライナの隣でどうすればいいのか分からずに眉根を寄せていた。
 小さく唸ってから、そっと瞼を下ろす。視界に頼ることがなくなった今、感じるのは外気の冷たさとランプの明かり、そしてライナの神言だ。簡易的な結界を作るわけではないため、彼女の詠唱は今までシエラが聞いたどれよりも長い。
 それももう少しで紡ぎ終わろうかというところなのだが、やはり精霊の声など聞こえはしない。それなのに集めろ、だなんて可能なのだろうか。
 右を見ても左を見ても、その方法を教えてくれそうな者はいない。いや、いることはいるのだが、今はそれどころではないのだろう。
 ふっとため息を一つついたシエラは、半ば自棄になって「集まれ」と呟いた。

 ――誰をご所望?

 はっとして、シエラは目を開けた。今確かに、声が聞こえたのだ。からかうような、試すような、そんな声が。
 ユーリやライナが言っていた台詞を思い出す。どの要素と契約を結ぶのかを明確に示し、祈ることが大切なのだ。それが今、彼女は正確には紡がなかった。だからこそ、「誰をご所望?」などという問いが返ってきたのだろう。
 胸の奥に、うずうずとした妙な熱が灯った。どくんどくん。鼓動が一気に早くなる。嬉しいのだと自覚したときには、もうすでに唇が動いていた。


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