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 シエラは体質的に、多くの睡眠時間を必要とする。寝ようと思えばどこでも寝ることが可能なのだが、最近は祓魔訓練やら勉強やらに時間を取られて、睡眠時間が確実に少なくなってきていた。その教育係として名を上げているのはエルクディアなのだが、彼も彼とて己の仕事がある。
 そのために使う時間も考えれば、勉強の時間は夜に回されることも多い。眠いからと言って簡単に見過ごしてくれる相手ではないから厄介だ。きちんと決められた分をこなすまで解放してくれないという、シエラにとっては迷惑でしかない責任感の強さも発揮され、惰眠をむさぼることが難しくなっている現状で、この無駄話だ。
 シエラにとって仕事が伸びるということは、貴重な睡眠時間が減ることに繋がる。それは非情によろしくない。つまりは、カボチャ自慢などを聞いている暇があったらさっさと仕事を終わらせて、一秒でも早く寝台に潜り込みたい。
 それに、いつまでも「謎の生物」で押し通すわけにもいかない。魔物なり幻獣なり、はたまたただの野生動物なり、しっかりと確認しなくては報告のしようがないのだ。
 もしも魔物だったとすれば、それはこのマフスト村の住民を危険に脅かすことになる。それだけは避けなくてはいけない。――そう誰よりも、シエラが願う。
 魔物に対する知識も乏しく、近くに聖職者が常駐する教会もない。魔物と戦う術を持たぬ弱き者達が傷つく様を見るのは、もう嫌だ。魔物に殺された者は、その肉体が魔に転化する可能性があるかもしれないからと、骨さえも遺族に残されない。聖職者の手によって浄化され、跡形もなくこの世から消えていく。

 まるで、初めから存在しなかったかのように。

 遺された者の辛さを、シエラは知っている。
 大切な人を魔物に奪われたあの悲しみを、知っている。
 己の無力さを嘆いたあのときの悔しさを、知っている。
 だからこそ、そんな者達が苦しまぬよう、同じ気持ちを味わうことがないよう、自分が討伐しようと思ったのだ。
 それが現地に赴いてみれば緊張感の欠片もない、カボチャ呆けをしている中年男性との遭遇とはいささか気も削がれるというものだ。大きな溜息を一つ吐き、シエラは蒼い髪をさらりと背中へと払った。

「んだべなぁ……ちみっこくって、目ん玉ギラッギラして、あれだ、右が赤みのつえぇ紫で左が青みのつえぇ緑だっぺ。おんらの手のひら伸ばしたくらいん大きさやったような、そんな気ぃすっべ」
「獣にしては随分と小さいですね。子猫くらいでしょうか」
「んだぁ。んでも、空ぁ飛ぶべ! シャベルも喰っちまうし、恐ろしいもんだっぺー」

 金属さえも口にする生物となれば、普通の野生動物だとは考えにくい。加えて浮遊するとなれば、それはさらに種族が特定されてくるが――。
 魔物か、幻獣か。
 これがもし幻獣だとすると、さらにややこしいことになってくる。妖精の線も考えないでもないが、その可能性は限りなく低いだろう。
 唇に手を添え、小さく唸ったシエラは視線を窓へと移した。曇ったガラスの向こうに揺れるのは、動物避けにとテオが設置したランプの明かりだ。静かにカボチャ畑を照らし、満天の星空の下で健気に見張り役を買って出ている。
 「さらに詳しくお願いします」とライナがテオに話を伺っている間、シエラはぼんやりとその明かりを見ていた。大して意味はなかった。予感めいたものも、もちろん確信も、なにもない。だが、そうしてしばらく眺めていたら、ふいにランプの明かりに影が差したのを見た。
 ほんの一瞬、もしかしたら見間違いだったかもしれない。けれどその影の形は、シエラの五感すべてに「なにか」を訴えかけ、警鐘を鳴らし始める。
 どくんと一際大きく鼓動が聞こえたとき、シエラの体は自然に戸口へと向かっていた。

「シエラ?」

 乱暴に開けられた木の扉が、不満げにぎぃと音を立てた。ざわりと肌を撫でていく風は冷え切っていて、頬にぴりりとした痛みが走る。口から零れた吐息が白く色づき、雲のように膨らんでは霧散していった。
 シエラの足が自然とカボチャ畑に向かう。柵に掛けられたランプを手に取り、屈んで足元の地面を照らせば、そこには犬猫のものとは明らかに異なる小さな小さな足跡が等間隔で残されているのが分かった。それもまだ、比較的新しいものだ。足音を吸収する上質な土は、彼女以外がそこに存在することを静かに示している。

「シエラ、どうしたんだ?」
「なにかが来た」

 すぐさま追いかけて外に出てきた二人に、地面の足跡を見せる。
 エルクディア達の表情がすっと引き締まり、ライナが辺りを見回してロザリオをしっかりと握り締めた。

「確かに、精霊達が騒いでいますね。……魔気は感じられませんけれど」
「精霊が?」

 精霊が騒ぐとはどういうことだろう。いまいち理解できずにエルクディアを仰いだが、彼もよく分からないのか、軽く首を傾げられた。ならばとライナに視線を送る。
 シエラの手元から放たれる光源の関係で、ライナの顔がゆらりと揺れた。

「わたし達聖職者が契約を結ぶ要素、それが精霊なんです。わたしよりも、シエラの方が気配を感じるのには長けていると思いますよ。意識を集中させれば、声が聞こえるはずです」

 法術の行使に欠かせない精霊の気配が、まるで面白い舞台を観覧する観客のようにざわめいている。それは決して不吉なものではなく、純粋に事態を楽しんでいるような、そんな雰囲気だ。ライナはそう言ったが、シエラにはよく分からない。


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