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 生まれいずる紅玉の血に光る水晶の涙、すべて自然の糧となり、神に愛された至極の竜。
 万年経とうともその命絶えることなく、静かに焔を燃やし闇を駆る。
 金剛石の殻を纏いて生れ落ち、流れる水に心を洗う。
 天高くより、竜は言う。
 汝、我らは竜の中の竜。最たる力を持ちし竜。我らが血は石となり、我らが角は薬となる。我らの身はすべて、神の御許へと還ろうぞ。
 地に這いて、人は言う。
 ならばその血、その角、その身すべてを我らが奪い、喰らおうぞ。
 竜怒りて光を降らし、卑しき人を打ち破りたり。
 夢うつつとも知れぬ光に触れる人、言う。
 その美しさ、神の如し。
 のちにその竜、時渡りの竜と呼ばれたり――


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 はしばみ色の愛馬ニコラの背に跨って、エルクディアは遠くに見える小さな村を、小さく折り畳んだ地図で確認した。どうやらマフスト村までは、あと二つほど山と川を渡らなければいけないらしい。
 天候には恵まれ、爽やかな風が髪を攫う。ちらりと首を巡らせて後ろの馬車を覗き込めば、中ではシエラとライナがなにやら真剣な面持ちで紙面と睨み合っていた。
 何事かと思い声を掛けてみれば、ライナの大きな瞳がこちらへと向けられる。そのまま彼女は口元に小さく笑みを浮かべて、馬車の窓から顔を覗かせた。

「依頼者のいる家なんですが、どうやらマフスト村の最奥――ラジュア山のすぐ近くにあるそうなんです」
「それが?」

 聞き取りやすいように馬の歩調を緩め、馬車の窓へと近づく。馬車に繋がれた馬の手綱を握る初老の男に軽く会釈をして馬車の中を覗き込むと、エルクディアの目に蒼い光が突き刺さった。シエラの蒼い髪がきらきらと光を反射していて、まるで宝石のような印象を受ける。綺麗だ。純粋にそう思った。
 エルクディアの問いに対し、ライナの代わりにシエラが言葉を引き継いだ。

「先ほどの伝説、あながち間違いではないかもしれない」
「……時渡りの竜、か? だけどそんな竜、誰も見たことがないぞ」
「時渡り? 時篭りではないのか?」
「ああ、それは地方によって呼び名が変わるんですよ。時を駆け抜けるほど長命だという意味から時渡り。姿を見せず、ひっそりとしていることから時篭り。リーディング村では、後者の方で伝えられていたんですね」

 「ああ、なるほど」シエラが頷く。伝説とはそういうものだ。似たような話だろうと、各地で少しずつ内容が異なっている。
 「でもなぁ……」言葉を濁したエルクディアに、シエラは唇に地図の端を当て、口元を隠すような所作をした。それは無意識の行動なのだろう。特に意味はなかったのだろう。そう理解しているのに、金の瞳に射抜かれたその瞬間、思考は形を失った。
 言葉にしようと思っていたものが壊れ、空に溶けていく。

 ――伝説の竜などであるはずがない。

 そう言いたかった。しかし、馬車の中で静かに光る瞳をひとたび見てしまえば、もしかしたら――という思いが、胸の奥底からぷかりと泡のように湧いてくる。
 時渡りの竜。
 その存在は、古い書物に残るのみだ。誰も見たことがないその伝説の竜が、カボチャ畑を荒らすだろうか。
大きさも、姿も、そしてその能力も、具体的なものはすべてが謎のままなのだ。唯一つ分かっていることは、竜の中でも神のような存在だということくらいなものだ。
 時渡りの竜とは、本当にただの伝説で作られた存在なのかもしれない。
 それなのになぜ、何も言わないシエラの瞳を見つめただけで、こうして納得してしまうのだろう。

 ――それともこれも、神の後継者の力か……?

 有無を言わせず、人を従える。信頼感を与え、大きく優しく包み込む。
 「言いたいことがあるなら早く言え」と言わんばかりの視線に苦笑して、「そうかもしれないな」と呟いた。本当に時渡りの竜がいるのかもしれない。その言葉に、シエラが満足そうに頷く。
 エルクディアは上体を起こしてゆっくりと前を向き、日の光を浴びてきらきらと輝く木の葉をぼんやりと眺めた。
 そろそろ太陽も真上で輝く時間となってきた。この辺りで昼食をとりたいところなのだが、生憎近くにそのような店はない。続くのは秋の頃に差し掛かり色づき始めてきた木々と、だだっ広い大地だ。
 時折大きな石の転がるそこはニコラにとってはあまり快適な環境ではなく、不満げに鼻を鳴らしては石を蹴散らして行く。ぶん、と、尾を振って蹄を地面に叩きつけ、主の命じたゆっくりとしたスピードで前に進むのだった。彼女はエルクディアと共に戦場を駆けてきた仲であるので、こうしたのどかな歩調は少しばかり違和感があるらしい。
 エルクディアはニコラの不機嫌さの原因をそう解釈していたのだが、どうやら本当の理由は 別にあるらしい。ニコラの漆黒の瞳が、ちらりと馬車に向けられる。中に乗っているシエラの姿を見た途端、彼女は再び不愉快そうにいなないた。

「ニコラ、どうした? 今日は随分機嫌が悪いな」
「本当に。具合でも悪いんですか?」

 ぽんぽんと首筋を撫でてやりながらニコラに問いかけたエルクディアは、軽く手綱を引いてその足取りを止めた。落ち着かせようとずっと声をかけてやるのだが、どうにも彼女の機嫌がよくなる様子はない。
 ライナの言う通り体調が優れないのかとも考えたのだが、毛づやもよければ食欲もある。ではどうしたことかと唸った主を背に、ニコラはすんと鼻を鳴らした。


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