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 ライナの声があまりにも優しくて、あの手の感触を思い出しそうになってシエラは焦りを覚えた。――ねえ、シエラ。声がよみがえる。下手をすれば思いが溢れそうで、慌てて柔らかい体から身を引き剥がす。

「わ、私は平気だ。だから、あまりそういうことを言われると……、その、……困る」

 いっそ道具のように扱ってくれたら、馬鹿にするなと牙を剥いて立ち向かえるのに。
 優しい言葉は水のように染み込んでくるから、どうすればいいのか分からなくなってしまう。俯いたシエラの頭を名残惜しそうに撫で、ライナは「はい」とだけ言った。だからどうして、そんなに優しい声を出す。
 堪らなくなって、シエラは少しでも余計な言葉が出ないようにと、拳で口元を覆い隠した。
 その様を見て、なぜかエルクディア達がくすりと笑う。

「それで出発の日取りだけれど……、半日と少しかかるだろうから――そうだね、明日の明け方にでも出発すればちょうどいい。問題はないかい?」

 確かめるように一人ひとりの目を見つめ、ユーリは問う。その視線がラヴァリルに止まったとき、彼女は勢いよく首を縦に振りかけ、リースの一声によって中途半端な位置で勢いよく静止した。まるで躾の行き届いた犬のような反応だ。名を呼ばれて振り向いたラヴァリルに、リースは唇のみ動かして何事かを告げた。

「あっ……、そっか、そうだよねぇ……」

 ラヴァリルはすっと顔色を変え、困ったように頬を掻いた。気まずそうに振り向くと、蜂蜜色の髪がふわりと揺れる。甘い香りがシエラの鼻腔をくすぐるが、これはなんの香りだったろう。どこかで嗅いだ香りだったのだが、思い出せない。

「あー……、やっぱりごめんね、シエラ。一緒に行くの、無理みたい。あたし達、一旦学園に帰って状況報告しなくちゃ単位もらえないから」
「おやおや、そういうことなら仕方ないね。久しぶりだろう、ゆっくりしておいで」
「ありがとう、ユーリさん。それじゃリース、そろそろ準備しとこっか!」

 がたりと椅子を鳴らして立ち上がったラヴァリルは、軽快な足取りでリースの元へと向かった。半ば強引に本を閉じさせ、山になっていた頂上にその一冊を載せる。
 本の山をラヴァリルが抱えると、リースは仏頂面のままそれを奪い取って棚へと戻しに行った。彼としては「余計なことをするな」という意思表示だったのだろうが、「見た!? ねえ見た!? リースが『お前に重たいもの持たせられるかよ……!』だってぇ〜!」と独自の解釈の元でラヴァリルがはしゃいでいる。
 未だによく分からない魔導師の二人を眺めていたシエラの意識は、ユーリが机を叩くことで呼び戻された。
 手元に置かれていた書物を見て、指先に促されるままに、新しく差し出された一枚の紙切れを見た。手書きで様々な情報が記入された地図だ。
 魔導師の二人が図書室から出て行ったのを扉の音で悟ったが、誰も気にする様子はない。
 ユーリが指し示した位置には、小さな山と大きな川に挟まれた平凡な村が存在した。
 村の名は、マフスト。
 自然に愛された地という意味を持つ名の村だけあって、畑は多い。さほど広い村ではないにしろ、ここで収穫される農作物は栄養豊富な土に恵まれているので大きく、味のよいものができるのだと聞く。川を渡ってしばらく行ったところに比較的栄えた町があるので、そこで村人達は育てた農作物を売って生計を立てているようだ。
 どうやら魔物らしき生物は、そこのテオという農夫が管理するカボチャ畑を大層お気に召したらしく、夜毎現れては上質のカボチャを食い荒らして行くのだそうだ。そうなれば商品になどなるはずもなく、家計にも大打撃を与える。
 村育ちのシエラは、作物の大切さは身にしみて理解していた。ここにいる誰よりもテオに共感できるのではないだろうか。シエラ自身も畑を耕し――実際行ったのは数えるほどしかないが――、種を蒔いて収穫のときを待った過去があるのだ。
 自然に寄っていた眉間のしわをライナのやわらかな指先がほぐすように触れてきて、一瞬身を震わせる。しかしすぐに警戒を緩め、シエラは再び地図に目を落とした。

「ラジュア山にはなにか伝説がなかったか? 確か昔、姉君が――」
「ラジュア山の伝説? ああ、“生まれいずる紅玉の血に光る水晶の涙、すべて自然の糧となり、神に愛された――”ってやつか?」

 エルクディアが暗唱したのは、古代より伝えられている書物の冒頭だった。世界各地の伝説が纏められたその書物は古代語を分かりやすく訳し、庶民にも親しみやすいような文体で再編されて売り出されていることも多い。あまり有名な話ではないが、ラジュア山に伝わる伝説も確かに掲載されていた。
 ああそれだ。姉のリアラは伝説やおとぎ話の類が大好きで、町に出るたびに分厚い本を買って帰ってきていた。そうしてそれをシエラに読み聞かせ、「私も竜に乗ってみたい」だの「有翼人とダンスしてみたい」だのと嬉しそうに言っていたのを思い出す。ラジュア山に伝わる伝説も、リアラの語った話の中に含まれていた。
 はっきりと覚えていないけれど、確か竜の話だった。
 ライナが詳しい情報を求めて本を探しに行く。詩を思い出そうと唸るエルクディアの傍らで、ユーリがすっと目を細めていた。そこにどんな意味があったのか、シエラには分からない。
 ただ、彼は誰にも聞こえないような声量で、小さく、本当に小さく何事かを呟いた。



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