5 [ 126/682 ]

「幻獣は、警戒心が強いんだろう? だったら、聖職者を見て逃げ出すのも頷けるんじゃないのか」

 聖職者達は魔物を討伐しに行ったのだから、多少は好戦的だったはずだ。それを気配で感じ取ったのなら、逃げ出すことも十分に考えられる。
 シエラの発言を聞いて、隣にいたライナがはっとした表情で目を瞠った。奥にいたリースが顔を上げ、視線だけをシエラに向ける。「幻獣?」と復唱して首を傾げたラヴァリルにちらりと目をやって、ゆっくりと、だが大きく頷いた。

「私もそれを考えたんだけどね。ここに置いてある本よりも小さな幻獣など、聞いたことがないのだよ」
「確かに幻獣は大きいものが多いからな。でもユーリ、妖精とかは小さいんじゃないのか?」
「あれらはどちらかといえば、精霊に分類される。それにね、エルク。仮にそれが妖精だったとして、瞳をぎらつかせながら夜な夜な畑で――」
「もういい分かった。カボチャのくだりは分かったから!」

 どこか楽しんでいる様子のユーリに、エルクディアは盛大に溜息を吐いた。確かに、愛らしい妖精が夜な夜なカボチャに噛りついているところは想像したくない。
 依頼者が「魔物」と判断したのは、闇の中でも光る大きな瞳と、金属をも噛み砕く歯が備わっていたからなのだそうだ。そして、「それ」は飛翔し、とんでもない速さで空を駆けていったのだと。
 野生動物では考えられない動きから、魔物として報告が上がってきたとユーリは言った。

「とはいえ、確かに魔物とは考えにくい。君達、ちょっと行ってその生物がなんたるかを確認しておいで。もしも魔物だったら、しっかり祓っておくんだよ」
「ちょっと陛下! あまりにも情報が曖昧すぎます! もしシエラになにかあったらどうするおつもりですか?」
「どうするもこうするも、姫君にはいずれ一人でも完璧に祓魔を行ってもらわなくてはいけない。そのことを考えれば、仕事を選んでいる暇などないはずだけどね」
「陛下!」

 声を荒げるライナにちらりと目を向ければ、案の定彼女は大きな紅茶の瞳を細めてユーリをきつく睨みつけていた。穏やかで優しい印象をもたらす外見をしているくせに、彼女は思いのほか気が強い。
 
「いい加減にして下さい、陛下。確かに陛下の仰る通りかもしれませんが、我々はシエラの安全を第一に考えるべきではありませんか? 大体――」
「もういい、ライナ」
「シエラ?」

 もういい。その言葉は自然と口から零れていた。
 先日、ライナに言われた。「シエラの声は凛としていて、とても耳に心地いいですね」と。自分ではよく分からない。それでもこの声は、彼女の言葉を遮るのに十分な役目を果たした。だとすればそれだけで十分だ。
 どくんと、心臓が大きく跳ねた。これから言おうとした言葉が、胸の奥で少し渋滞を起こしている。それでも強く拳を握り、青海色の瞳を射抜く。
 しばらくの間、その場を沈黙が支配する。元々静かな場所だっただけにそれは違和感のないものだったが、彼女に集まる視線が沈黙を破ることを急かしているように思えた。
 心配そうに見る目、訝って見る目、そして背後から突き刺さる、氷刃の視線。
 いくつもの視線を受けて、シエラは一度強く瞼を伏せた。
 暗闇に浮かぶのは、紫水晶のきらめきだ。闇の中で、冷ややかなあの声が木霊する。

 ――なにもできない聖職者の犬が喚くな。

 ぞくりと全身が粟立った。あのとき向けられた感情は憎悪にも似ていて、シエラの心に影を落とすには十分すぎるほどだった。
 けれど、思う。なにもできないと言うのなら、どうしてこの身が世界を救う神の後継者に定められたのか、と。なにか特別な力があるから、こうしてここに存在しているのだ、と。
 それを認めてしまうのは、正直言って癪だけれど。けれど、そう思わなければあの村を出た意味がなくなってしまう。
 だから、もう二度と、なにもできないだなんて言わせない。

「私が行く。たとえどんな魔物だろうが、魔物である限り、私が倒す。……そのために、私はここにいるんだろう?」
「ああ、その通り。上出来だよ、さすがは蒼の姫君だ」

 満足そうに笑うユーリに半ば威嚇にも似た視線を送ったシエラは、ほんの少し後ろを振り向いた。その所作にエルクディアが首を傾げる。彼の目には、こちらを冷ややかに見据える冷たい眼差しが映っただろうか。
 リース・シャイリーが冷たくこちらを見つめている。どうでもいいと言いたげな視線に、シエラは歯噛みした。どうしてこんなにも悔しいのか分からない。
 ふいに頭を抱えられ、びくりとシエラの肩が跳ね上がった。優しい香りとぬくもりに包まれ、それがライナの腕だと気づいて力を抜く。突然のことに驚くも、誰もなにも言わない。ゆっくりと髪を梳く手つきは、まるで母のような、姉のような、そんな印象をもたらした。

「……無理しなくていいんですよ。ゆっくりでいいんです。確かにわたしは、貴方に前に進めと言いました。でも……、身勝手かも知れませんが、それでも」

 一瞬目を伏せて、ライナは切なげに微笑んだ。
 鈴を転がすかのような声音が、優しくシエラの胸に染み渡っていく。

「それでも、言わせて下さい。わたしは貴方に、傷ついてほしくないんです」

 ――本当に、随分と勝手だな。
 寸前まで出てきかけた言葉を呑み込んで、シエラは目を閉じた。言ってどうなる。言ったところで解放されるわけでもないし、あそこに帰れるわけでもない。
 覚悟を決め、己の決意を胸にあの村を出た。自分になにができるかは定かではないけれど、それでも、あそこにいる人々を守ることができるのなら、と、そう思って。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -