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その刹那、彼は息を呑む。――新たな闇色の外套が、風に煽られている。
突如現れた六人目の刺客は、おもむろに顔を上げてはっきりとゲルトラウトの目を見つめてきた。
言いようのない寒気が全身を駆け、刺客がにぃと笑みながら刃を抜いたのを見て顔を背ける。
唇も、手も、寒くもないのに小刻みに震えた。
意識しないようにと思えば思うほど、聞きたくもない小さな音を耳が拾い上げる。
「――っ」
言葉では表現できない、おぞましい音が聞こえた。
恐る恐る窓の下を覗くと、そこにいる刺客達はさらに二人増え、八人となっていた。――否、正確には三人だ。
すでに事切れた仲間を抱え、地面に紅の鮮血を滴らせながら踊るように闇を抜ける。
俯いた口元に嘲笑じみたものが浮かんだ。ああほら、やっぱり。乾いた笑いが唇の間を縫って零れていく。
すぐにルードヴィッヒが駆け寄ってきたが、ゲルトラウトには弟に構うだけの余裕はなかった。
どうでもいいことだ。知ったことではない。世界にも、自国にも、他の誰にも興味などない。
「兄上? どうなさいましたか、兄上?」
早くなんでもないと言ってやらねば、この藍色の大きな瞳はすぐに滲む。
分かっているのに、どうしてだか笑いが止まらなかった。
「ルーイの言うとーり、あの騎士は馬鹿だな」
「え……?」
「どーゆーつもりで斬らなかったのかは知らねーけど、んなことしたって、なあ?」
「えと……あにうえ? あの、どういう意味ですか?」
いつの間にか床に抛(ほう)っていたらしい資料を拾い上げ、ルードヴィッヒが困ったような顔をする。
その頭を掻き交ぜるように撫で回し、ゲルトラウトは資料室を後にした。当然とことことついてくる弟の足音を聞きながら、心に決める。
――帰ろう。
そしてこの弟さえ知らないあの庭で、たった一人でゆっくり眠ろう。厄介事に関わりたくはないのだから。
赤い絨毯が敷かれた螺旋階段をぽてぽてと降りながら、馬車の手配は誰に頼めばいいのか考えた。
そこら辺の侍従にでも頼めばいいか。どうせ港に着くのは翌朝だ。夜通し駆ければ朝一の船でこの国を出られるだろう。
頭の後ろで手を組んで、大きな欠伸を一つ零す。
「帰るぞ、ルーイ」
そう告げると、一瞬目をしばたたかせてから、ぱっと華やぐルードヴィッヒの顔が見なくても手に取るように分かる。
嬉しそうに笑って、いつまで経っても兄離れできない弟は腕を絡めてくる。
帰りましょう、兄上。そう言う屈託のない笑顔に心がゆっくりと凪いでいくのを感じた。
そうだ、帰ろう。
あそこが帰る場所だというのなら、そこへ。
+ + +「申し訳ありません、総隊長殿。六番隊リーオウ並びに白黒両将軍指揮の下、左右軍各兵団の総力を挙げて探索中ですが、未だ身柄確保に至りません」
エルクディアに案内された塔は、小ぢんまりとしていたが十分な広さがあった。
一段一段は低いが数の多い螺旋階段を休み休み上って、ようやっと扉を開けたと思ったら、予期せぬ光景に二人して固まった。
エルクディアがなにも言わずに扉を閉める。
黙って彼を見上げると、新緑の双眸がふよふよと辺りを泳いでいるのが分かった。
どうやら目にしたものを受け入れられないでいるらしい。取っ手に手を掛けたまま、どうしようか迷っている。
「今、中になにかいなかったか」
「……いや、いないだろ」
「だが、さっきの男が土下座し――」
「てない、してない。まさかそんな……」
ははは、と乾いた笑い声を上げながらエルクディアが扉を押し開けた。
円形の部屋は全体的に石造りの冷たい雰囲気が漂っており、敷き詰められた絨毯が足音を吸収する。
天井には小さなランプが下げられていて、壁に取り付けられた燭台にはもうすでに火が灯されていた。