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*第7話


 今日は人によくぶつかる日だと思った。
 敷布を被った神の後継者とぶつかってしばらくした頃、今度は妙に明るい女とルードヴィッヒが衝突し、頭から料理を被るはめになった。
 激怒する弟を宥めようと、その女は年頃の娘とは思えないようなことをやってみせたのだが――アスラナには、あのような変わった女が多いのだろうか。
 どうでもいいことだけど、と心中で零してゲルトラウトは暗がりの中を進んだ。

 どうやらここは小さな資料室のようだ。図書室というには狭く、本棚に並んでいるのは書物ではなく、書類を纏めたようなものばかりである。
 ためしに一冊手に取ってみると、そこには王都クラウディオの記録が書かれていた。
 歴史書と表現するほどのものでもない。
 最も古いもので五、六十年前のものだ。それも詳しい記録ではなく、当時の民衆の様子や建物の様子が記されたもので、以前の暮らしがどのようなものだったかをぼんやりと知る手がかりにしかならない。
 暇つぶしに目を通す程度のものだろう。だからこのような、城の端に位置する小さな部屋に集められているのだ。
 ゲルトラウトは別の一冊を手に取って、背後で未だぷりぷりと肩を怒らせて歩く弟を顧みた。

「たっく、なんだったんでしょうね、あの女! 敷布女の次は品のない小シュメイル(どじょう)女ですか!? この国の女は馬鹿ばっかりだ。あああもうっ、兄上、こんな国早くぶっつぶしてやりましょうよ!」
「俺にんなことできるわけねーだろ。んで、あんま騒いでると不審に思われっから、静かにしてろ」
「……はーい。ところで兄上、なにをご覧になっているんですか?」

 好奇心の強い子供だ。自分が彼くらいの年頃のときは、随分と冷めていたような気がする。
 本を読むのも、誰かと話をするのも面倒で、誰もいない庭園の奥で大木の下に寝転がってまどろんでいた。あそこはほとんど人の出入りがなかったため、城の庭園にしては草も花も自由気ままに生えており、それが気に入っている理由の一つだ。
 そして時折、仲が良かった庭師に時折とれたての果実を貰って、母と分け合った。

 思えば、ルードヴィッヒと出会ったのもその頃だった。
 面倒事をことごとく避け、素知らぬ顔であの城で生活していた矢先、生垣の中で蹲る傷だらけの子供を見つけた。
 他の兄公子達にいじめられ、心身ともに弱り切っていた小さな子供。
 手を差し伸べるべきではないと、そう思っていたのに。
 持っていた資料を覗き込み、それが大したものでないと分かると、ルードヴィッヒは途端に興味をなくして辺りをぶらつき始めた。本棚を順番に見やり、ぶつぶつとアスラナの悪口を零している。

 聖なる大国、アスラナ。非道なる蛮国、ベスティア。
 おそらく後世の人々は、この二国をそう評価するだろう。帝国戦争時以前も、以後も、そう言われるだけの行いはしてきた。
 確かに自分の祖国だが、その評価に苛立ちも嘆きも覚えない。別にどうだってよかった。なんと言われようと、そこが自分の国であることには違いがないのだから。
 自分達の国のものとは随分と異なり、細部にまでこだわった繊細かつ豪奢な壁の装飾に、視線を滑らせる。
 外に張り出した窓枠に浅く腰かけ、文化の違いをじいと観察した。
 ベスティアの伝統的な装飾は、もっと角ばっていて雄々しい。アスラナのような、流れるような雰囲気は微塵もない。色遣いもベスティアの方が単調で、金よりも黒が目立つ。
 そして模様を構成しているのはここにあるような植物ではなく、炎や剣といったものが多い。
 こうしたものからして考えが真逆なのだから、様々な場面で相対するのも当然と言えば当然だった。
 ふうと軽く息をついたところで、小さな物音が耳に飛び込んでくる。
 ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな音を、ゲルトラウトの耳は計ったかのように拾い上げた。
 窓の下を見下ろすと、闇に溶けるような色合いの外套をまとった人の姿が確認できる。
 数は五。
 そして彼らと向かい合っている一人の男に、意識が移る。
 月明かりを受けて輝く金髪の青年には見覚えがあった。あのとき、壇上で神の後継者の後ろにいた男だ。
 名を確か――

「エルクディア・フェイルス? ねえ兄上、あれってここの騎士団長ですよね?」
「え? ああ、みたいだな。団長じゃなくて、総隊長って言うらしーけど」

 ひょいと抱きついてきたルードヴィッヒに一瞬驚きつつも、いつものことだと思って大して気にせず、彼らに視線を戻す。
 同じように窓の下を眺めながら、ルードヴィッヒは不思議そうに首を傾げた。

「その総隊長が、どうしてこんなところにいるんでしょう? それにあいつら、うちの……」
「……気づいたんじゃねーの? フシンシャに」
「うわあ、犬並みの鼻ですね」

 ルードヴィッヒが愛らしい顔を歪ませて嘲笑する。その頭に顎を乗せて、ゲルトラウトはぼんやりと彼らの動きを目で追った。
 問答を繰り返していたのは短い間だ。
 先に動いたのは刺客――アスラナ側から見れば――の方。
 素早い動きで間合いに飛び込んでくる刺客の一人を、柄で突いて地に沈めると、エルクディアは間髪入れずに斬りかかってくる二人目を薙ぎ払う。
 背後から剣を振り下ろしてきた三人目の攻撃を身を捩ってかわし、その回転を利用して四人目の腹に剣を突き立てた。
 どっと刺客達が倒れていく。
 暗がりに浮かぶ騎士長の顔はひどく冷たく、落ち着いていて焦りなど微塵も感じられない。
 だがその戦い方にゲルトラウトは違和を感じた。なんだろうか。どうでもいいと思いつつも、目は勝手に彼らを追っている。
 ルードヴィッヒがふんと鼻を鳴らし、小さく笑った。



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