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「あっ、おーい! えっるくーんっ! シエラー! そんなとこでなにやってんのー?」
「っ、ラヴァリル!?」
突如として響いてきた声に驚いて顔を向けた先には、両手に皿を乗せて駆けてくるラヴァリルの姿があった。
ばくばくと心臓はうるさいが、シエラはその姿にほっと息をついた。襲ってきたのはこれ以上はない安堵と、そして奇妙な罪悪感だ。
肉のソースを口の端につけたラヴァリルは、二人の姿を見るなりぱちくりと目をしばたたかせる。
漆黒のドレスが彼女の体にぴたりと張り付き、シエラにはない凹凸を見事に強調している。
普段ならば背中で揺れるゆったりとした三つ編みも、今は綺麗に結い上げられている。蜂蜜色の髪には、艶やかな赤い花が咲いていた。
「二人とも、ここでなにやってんの? てっきり会場の方にいるかと思ったのに」
「ユーリの馬鹿がくだらないこと考えたせいで、ちょっとな」
「ふーん、そっかー。……にしても、えるくん。なんかそれ、やらしい」
「は?」
むしゃむしゃと骨付きの肉にかぶりつきながら、ラヴァリルが胡乱な目をした。皿は合計四枚、その上には溢れんばかりに料理が盛られているというのに器用なものだ。
感心しているシエラをよそに、彼女はじわじわと距離を詰めてくる。
「なんかさー、跪いたまま手ぇ握っちゃってるのって……ねえ? やーらしー。やっぱえるくん、むっつりじゃん! シエラ、気をつけた方がいいよ! 男はみーんなオオカミなんだから!」
「ばっ、なに言ってるんだラヴァリル!」
「うっわ、焦っちゃって余計あやしー! しっし、あっちいけー!」
長椅子(ベンチ)に皿を置き――それでも食べかけの肉だけは手にしたままで――、ラヴァリルはぎゅっとシエラを抱き締めてエルクディアを追い払った。
彼女の肩越しに皿を見やれば、そこには実に様々な料理が鎮座していた。それも見事に肉料理ばかりだ。
だのに彼女の体からは瑞々しい薔薇の香りが漂ってきて、とても不思議だった。
あまりにもぎゅうぎゅうと締め付けられて、先ほどまでとは違った意味で息苦しくなる。
かろうじて背中に回した腕で肩を叩いて、シエラは限界を訴えた。
「おっとっと、ごめんねー。あ、そうだ。ねえ聞いて聞いて! さっきね、すんっごいかわいー子と会ったんだよー!」
きらきらと光を弾く、蜘蛛の糸のような白金(しろがね)の髪に大きな丸い瞳、抜けるような白い肌。ぷっくりとした珊瑚色の唇は、とても柔らかそうだったとか。
息継ぎをしているのかどうかも怪しいラヴァリルの話を聞いていると、どうやら相手は男の子らしい。
出会い頭に肉炒めをその子の頭にぶちまけたと聞いて、さすがにエルクディアが待ったをかけた。
肉炒めってなんだ。ぶちまけたってなんだ。
「や、まー、あのね? ワザとじゃないんだけど、どーんってぶつかっちゃって。そしたら、お皿の上のお肉がばらばらーって! あ、でも怒った顔もかわいかったよー!」
「そういう問題じゃないだろうが! 大事な客人だったらどうするつもりだ!? たっく。……で? ちゃんと相手には謝ったんだろうな」
「あったりまえでしょー? ちゃーんと、小シュメイル(どじょう)すくいと、スイカの一気食い種飛ばしを披露して許してもらったんだから!」
「………………」
「……」
「あれ? どしたの、二人とも。そんな固まって」
再び皿を手にしたラヴァリルが、豪快に肉を貪りながら首を傾げる。愛らしい仕草だとは思うが、口の端から垂れる肉汁が気になってそれどころではなかった。
小シュメイルすくいとスイカの種飛ばしだなんて、リーディング村でも酔っ払いくらいしかしなかった。
シエラには目の前の女性がそれを行ったとはあながち信じがたかったが、外見ではなく中身で考えればそれも頷ける。
ということは、先ほど漂ってきた香りは薔薇ではなく、スイカだったのか。
「それにしても、なんでこんなところで食べてるんだ? 向こう(ホール)の方が種類も多いだろ」
「あー、うん。そうなんだけどね。でもあたし、おじょーひんな料理ってなんだか合わなくって。もちろんおいしいんだよ? でもま、そういう訳だからあっちの広場でいっぱいもらってきたの。向こうはなんていうか、庶民用でしょ? おいしーのは変わりないから、リースにも食べさせてあげようと思って!」
そう言う間も食べることは忘れない。ラヴァリルは屈託なく笑って、ソースのついた指先をぺろりと舐めた。
「でねでね、シエラ達リース見なかった? リースってばね、折角なんだからオシャレしたらいいのに制服のまんまなんだよ!? さっきこのドレス見せに行ったんだけどさ、そんときにはもう部屋にいなくってねー。だから早く見せたいんだけど……えっへへ、今回はオシャレしたからきっと褒めてくれるよね! 『ラヴァリル……綺麗だ。君の瞳に乾杯』とか言ってくれちゃったりしてーーー!」
「いや、眼鏡は言わないと思うぞ……」
「二人で夜景を見ながら、『リース、月が綺麗だよ』『なに言っているんだ、お前の方が綺麗だ』『やだ、もうっ、リースってば』『ラヴァリル……』『リース……!』とかぁー!?」
くねくねと体をよじらせ、満面の笑みで妄想に浸るラヴァリルから三歩ほど離れ、シエラは思わずエルクディアの背に隠れた。
襲ってくる寒気に腕をさするも、鳥肌は一向に消えそうにない。
妙に似ているリースの声真似が余計に不気味で、シエラとエルクディアは口端を引きつらせる以外に他なかった。
「エルク。…………怖い」
「……ああ、うん。俺も怖い。ものすごく」
怖いなら怖いと言っていい。
今ここでその言葉が役に立つとは、まったく予想だにしていなかった。
使いどころが少し――いや、かなり違っていることには気がついていたが、それでも二人はそのことに目を瞑り、そっとその場を後にする。
「『ラヴァリル、結婚しよう』『え、リース……あたしなんかでいいの?』『お前じゃなきゃ駄目なんだ。……俺じゃ嫌か?』『まさかっ! あたし、リースのお嫁さんになりたい!』『ラヴァリル……!』『待ってリース、だめ、あっ!』」
ばたん、と倒れる音がしてシエラが反射的に振り返ろうとする。
しかし様子を見る前にエルクディアが慌てて手を引き、意識を無理やり前に向けさせられた。
彼も後ろが気になるのだろう。けれど決して首を動かさないまま、前だけを見据えて彼は一言だけ言った。
振り返らない方が身のためだ、と。
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