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 馬上から軽やかに降り立った人物は、長身で割と細身だった。腰に佩いた剣は長く立派なもので、柄に填められた大きな紅玉がきらりと不敵に煌いて、カイの心臓を冷やした。
 闇に紛れて判別がつきにくいが、穏やかにシエラを見つめる双眸は新緑の翠。
 軍服の胸元には数多くの勲章が付けられており、彼が動くたびにそれはじゃらじゃらと音を立てている。シエラと彼の視線が合致した瞬間、彼はとろけるような笑みを浮かべて片膝を折った。

「初めまして、シエラ・ディサイヤ様。私は王都騎士団総隊長、エルクディア・フェイルス。シエラ様の護衛をさせていただく騎士めにございます」

 恭しく頭を垂れた騎士――エルクディアは、外見にぴったりの声音でそう言うと、
顔を上げて柔らかく笑む。
 その顔立ちは同性であるカイから見ても整っており、若い娘達が好む恋物語の中から抜け出してきた主人公のようだと思わせるものだ。
 騎士というには知性が勝った容姿に感歎の息を漏らすカイとは裏腹に、シエラは無感動な眼差しを跪くエルクディアに向ける。
 年の頃は二十歳前後だろう。そんな若さで、彼はなんと王都騎士団を率いる立場にいるという。
 リーディング村にはあまり伝わってこないが、その存在はこの国にとってとても重大なものらしい。他国と比較しても、アスラナ王国の王都騎士団は抜きん出て優秀な者が多いと聞く。
 優しげな風貌の裏に隠された威圧感は、命の重みを知る者のそれだった。
 さすがのシエラも、目の保養を通り越して目の毒になりかねない美男子を前に女性らしい反応をするかと思いきや、彼女は男らしく仁王立ちすると、ふんと鼻を鳴らして彼を睥睨した。

「随分と軟弱そうなのが護衛なんだな」
「おいシエラ! お前、騎士様に失礼だろ!」
「耳元で騒ぐな、カイ。私は思ったことを言ったまでだ」

 文句あるのか、と目で訴えられ、カイは脱力した。
 よくもまあ、初対面の人間――それもこれから世話になる人物に対して人見知りや遠慮の欠片も見せず、淀みなく理不尽なことが言えるものだと半ば感心する。
 軟弱と言われたエルクディアは苦笑して、「申し訳ございません」と一言謝罪した。それが余計にカイの罪悪感を募らせたのだが、シエラは知ったこっちゃないとでも言いたげである。
 きりきりと心なしか痛みを訴えてきた胃を押さえつつ、カイはエルクディアに謝罪の意を込めて深く頭を下げた。

「ではシエラ様、そろそろご出立の準備を致しましょう。お荷物がありましたら、のちほど使いの者が引き取りに参りますので、ご用意のほどをお願い致します」
「……荷物がいるのか?」

 リーディング村と王都は、広大なアスラナ王国内で見ればまだ近い距離なのかもしれない。
 だが、実際その道のりはなかなかのものだった。
 途中、山間の深い森を通らなければならないのだが、その森は朝になれば濃い霧が立ち込めることで有名だ。となれば、今ここでぐずぐずしている暇などなく、少しでも早く王都へと向かうことが重要なのである。
 シエラの言葉に目を丸くさせたエルクディアは、至極真面目に見上げてくる彼女を見つめたまま困ったように笑う。

「日常生活に必要なものはすべてこちらで揃えておりますが、愛用の品や思い出の品などは……?」
「大してない。纏めるのも面倒だ」

 だからいい、と続けて言ったシエラの言葉に、エルクディアは唖然とした。まさか手ぶらで王都へと向かうとは思っていなかったのだろう。
 何度か目をしばたたかせ、ちらとカイに視線をくれた彼は、カイの顔に浮かぶ諦めの色に何かを悟ったようだ。
 肩を竦めればじゃらりと勲章が音を立て、夜の静寂を爪弾くように乱す。シエラの後ろで落ち着かない様子で足踏みをしていたカイが、遠くから聞こえてきた多数の馬の足音を聞き取った。

「分かりました。ではシエラ様、どうぞこちらの馬にお乗り下さい。私が手綱を持ちますので」

 その手つきは随分と慣れていて、嫌味なく差し出されたエルクディアの手にカイはほっと息をついた。
 このまま無事にすべてが進んでくれればいい。そうすれば、こうして神経の擦り切れる思いをしなくてすむし、何より安心してシエラを送り出すことができるのだから。
 しかし、彼女はカイの期待を見事に裏切った。差し伸べられた手を一瞥すると、そのまま無視して単身馬へと向かう。
 残された男二人がぎょっとするにも関わらず、彼女は炎に照らされたはしばみ色の馬をそろりと撫でた。
 そして、鋭く研ぎ澄まされた眼光が容赦の欠片もなくエルクディアに据えられる。

「馬くらい一人で乗れる。お前は構うな」

 垂れ下がった手綱を手に取り、鞍の様子を確かめる様は確かに馬に慣れているように思えた。
 だが、はいそうですかと言ってシエラ一人を馬に乗せるほど愚かな騎士になった覚えのないエルクディアは、呆れと焦りが交じり合ったような渋面を作り、ふるふると首を振った。
 吹き抜ける風が冷たい手で頬を撫でていく。



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