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「だが、私の目が反応しなかったということは、魔物の類ではない。人間が侵入したとしか考えられないではないか」
「いや、そうでもない。人じゃなくても、ヒトの形をしたものはこの世にたくさんいるからな。それにしても……目、って?」

 不思議そうに聞いてきたエルクディアに、シエラは純粋に驚いた。なんだ、知らなかったのか。
 そう言えば、彼はますます不思議そうな顔をする。
 この目は、魔気を感じ取ると勝手に反応する。
 夜だろうと昼間のようにはっきりとものが見え、自然と魔物を追いかけていく。他の器官も同様に、魔気を感知すると五感すべてが研ぎ澄まされるらしい。
 自分にとってはそれが当たり前だったから、取り立てて口にすることもなかった。
 当然周りも知っているものだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

「そんな大事なことは、もっと早く言っておいてくれ。ライナにも言ってないんだろ? 見せてもらった調書にも書いてなかったし……ユーリは知ってるのか?」
「さあ……私が知るか」
「知るかもなにも、お前の話なんですけど……!」

 パルダメントゥムを掻き合わせるふりをして、シエラは肩を落とすエルクディアから目を逸らした。
 なにをそこまで落ち込む必要があるのだろうか。それにあの男なら、言わずとも最初から知っているような気がする。
 きっと青年王は言うに違いない。「そんな便利な体をしているだなんて、羨ましいねえ」と。
 心にもないことを、あのいつもと変わらぬ微笑に乗せて。
 あんな笑い方をするような人間は、村にはいなかった。心の機微に疎いシエラにさえ、簡単に読み取れてしまうような単純な人間ばかりが周りに溢れていた。
 だから余計に、あの村では「よく分からない奴だな」と言われ続けてきたのだ。
 お前達が単純すぎるんだろう。そんな言葉は、いつも喉の手前ですとんと落ちていた。

「――これほどまで、違うとはな」

 なにが、と、エルクディアは唇だけ動かしてそう言った。
 すぐに触れられるところにいるのに、彼女はどこか遠い場所にいるような気がしてエルクディアは言葉を失った。
 ぎゅうと己を抱き締め、俯くシエラの横顔はあまりにも痛々しい。本人にその自覚はないのだろう。
 外から差し込む月明かりに照らされて、その顔は青白く浮かび上がっていた。
 苦しいのだろうか。つらいのだろうか。シエラはなにも言わない。ゆえにエルクディアはなにも分からない。
 彼は薄く唇を開いて、なにかを言おうと試みた。けれどそこから漏れたのはかすかな吐息のみで、肝心な言葉は音を伴わない。
 もう一度ゆっくり頭の中を整理して、彼は慎重に言葉を選んだ。
 浮かんできた言葉は、ひどく単純なものだ。

「違うって……なにが?」
「――すべて」

 ぽつり。
 そんな音が聞こえてきそうなほど静かに、シエラはそれだけを口にする。
 相変わらず俯いたまま、彼女はくるりと己の髪を指に巻きつけた。侍女に施された真珠の髪飾りがそのたびに揺れて、しゃらしゃらと音を立てる。
 走ったり隠れたりしている間に乱れたのか、今では随分と不格好な位置についていた。
 時間が止まってしまったかのようだ。それはシエラにとってもエルクディアにとっても同じ感覚だった。
 遠くから風に乗って流れてくる音楽だけが、唯一時の動きを証明している。
 二人はなにをするわけでもなく、ただ沈黙だけを頑なに守って長椅子(ベンチ)に根を生やしていた。
 どれほどの時間が経ったのだろうか。ものの数分だったろうに、彼らには何時間にも感じたその沈黙を破ったのは、意外なことにシエラの方だった。視線が泳ぐ。
 特殊な金色の瞳が、明るく照らされた庭園を見据えた。

「村と……」

 弾かれたようにエルクディアがシエラを見る。
 二人の視線が重なり、彼女は少し、困ったように眉を下げた。

「村と、あまりにも違いすぎる。……ここは。この、場所は」
「それは……」
「こんなものを着て、村が丸ごと入ってしまいそうな場所でくるくる回って。夜だというのに、足元が見えるほど明るく照らされて。食べきれない量の料理が、当たり前のように毎日出てきて」

 他にも、たくさん。
 泳げるほど広い浴室だとか、首が痛くなるほど見上げなければいけない天井だとか。
 右を見ても、左を見てもきらきらとなにかが光を反射している。窓の外には鮮やかな花が咲いているのが当然で、萎れて枯れた花などどこにもない。
 自分で片付けなくていい食器に、運ばれてくる着替え。奏でられる音楽は上品で、がさつな笑い声など一切混じっていない。
 夕食はどこから手をつけていいのか分からないような、見たこともない料理で。
 上げればきりがないほどだ。
 シエラは一度言葉を切って、軽くため息をついた。その口元に、微苦笑が乗る。



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