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「兄上? どうかなさいましたか? はっ、もしやさっきの無礼女のせいでお怪我を!?」
「違う。だから騒ぐな、ルーイ。目ぇつけられたらメンドーだろ」
「も、申し訳ありません……」

 城内を歩き回ることはなんらおかしいことではない。禁止されていないし、自分達には許可が与えられている。
 ゆえに警備兵らも声をかけてくることはない。
 けれど、できるだけ人目を避けて歩いているのは事実だった。

「でも兄上、さっきの無礼極まりない女、神の後継者ですよね?」
「……だな」

 蒼い髪、金の瞳、女神も嫉妬する美貌。
 アスラナ王に肩を抱かれて壇上に立っていた女が、どうして敷布を被ってこんな場所にいたのだろうか。暗がりに浮かび上がるような白い肌を思い出し、首を傾ぐ。
 薄い肩も細い腕も、救世主のようには思えない。美しい顔立ちをしているくせに、浮かんだ表情のせいか、情も欲も湧かなかった。
 所詮はお飾りか。
 元より神など信じていないし、神の後継者というものも、人々の不安を払拭するためのものだと思っている。
 だからこそ、人並み外れた容姿が必要とされるのだ、と。
 隣に寄り添う末の弟はそっと腕を絡め、不服そうに唇を突き出した。

「無礼極まりない上に色気の欠片もない敷布女風情が、兄上にぶつかるだなんて許せません。それにどうして、あんな女のために僕らがこんな国まで出向かなくちゃならないんですか。顔見せしたいなら、向こうから来るべきだと思いませんか?」
「仕方ねーだろ。実質、アスラナが世界の頂点に居座ってるようなもんだ。下手にご機嫌損ねてケンカするよか、俺らがタダ飯食いに来てる方がマシだろ? それに……」
「それに?」

 言葉の続きを促され、どうしたものかと息をつく。脳裏に浮かぶのは母の微笑だ。ねえ、ゲルトラウト。言い含めるかのように名を呼ぶ声が、耳の奥で木霊する。

「もし、アスラナが膝を折るとしたら……あの神の後継者以外に、鍵はない」
「大国アスラナの最大の武器にして、最大の弱点……ですか? 無礼極まりない上に色気の欠片もなく、かつ世間知らずなお荷物敷布女に、そこまでの利用価値があるんですかねえ。あ、でも、兄上が言うなら間違いありませんよねっ!」
「……どーでもいいけどルーイ、『女』の修飾語増えてないか」
「気のせいですよ、あにうえー」

 ぎゅう、としがみついてくる甘えたがりの弟の頭を撫でた。朝露に星屑を溶かし込んだ甘い白金(しろがね)の髪の上を、指先が柔らかく滑る。
 よく見なければ銀髪にも見えそうな髪をしながら、その実聖職者を毛嫌いしているのだから面白い。
 どうでもいいことだけど、と胸中で呟いて再び歩き始めた。
 世界の頂点にどの国が、また、誰が立とうとどうでもいい。どうなろうと知ったことではない。

 王位にだって、興味など微塵もない。
 玉座も、富も、名声も、土地も、人も、どれもいらない。望むのは今までと変わらぬ暮らしだけだ。

「ねえ、でも兄上。潰すなら今のうちなんじゃないですか?」
「関係ねーよ、俺には。んなこた父さんが決めんだろ」
「でもでも! 兄上が大活躍したら、父上だってきっとお喜びになりますよ」
「……あの人喜ばしてなんの得になんだよ。いいからもう行くぞ」
「はーい」

 無邪気な返事が回廊に響き渡る。
 いつまでたっても兄離れしない弟を嫌がることもなく――もう慣れてしまっただけなのだが――、猫背になりながら欠伸を噛み殺した。
 らしくないと注意してくる者は誰もいない。ほんの一瞬、ある部屋の扉に目を留めたが、何事もなかったかのように足を進めた。
 ベスティア王国第六公子、ゲルトラウト・バウアー。
 残虐王フィリップ・バウアーの血を身に宿す彼は、揺れる蝋燭の炎を見て再び大きく欠伸をした。


+ + +



 黒き獣の中には、深紅の血が流れている。
 光が氾濫するこの場所に、獣の闇が差し迫る。


+ + +



 一人で歩く暗闇よりも、無言で手を引かれる暗闇の方が恐ろしいと感じたのは、なぜだろう。
 大きな靴を歩きにくそうにぺたぺたと鳴らすシエラに構わず、エルクディアはなにも言わずに夜の庭園を突き進んでいく。
 もはやシエラには、今自分がどこにいるのかも分からなかった。ただ一つ分かったのは、人の姿が徐々に減っているということだ。
 普段散歩でぶらつくような庭園をことごとく避け、狭い道やどこか分からない建物の裏を歩いていた。
 どこまで行くのかと何度尋ねても、「ああ」や「うん」といった適当な返事しか返ってこない。
 敷布を失い、剥き出しになった肩が寒い。振り返ろうともしないエルクディアの背中が、棘でも背負っているかのように見えた。
 答えが返ってこない質問を何度も繰り返すのも面倒になり、シエラは黙って彼の後ろをついていった。
 このままふらりと逃げ出しても――逃げ出すという表現が正しいのかどうかは別として――よかったのだが、どうせそれはできないだろう。

 なにせ今のエルクディアは、頭の後ろにも目がついているようなのだ。
 少しでもシエラが足取りを乱すと、無言で視線を寄越してくる。
 ふいに彼が立ち止まり、苦虫を噛み潰したような顔をして闇を睨みつけている。
 同じ方を見ても、シエラにはなにも確認できない。どうしたと反射的に聞きかけたところで、頭にずっしりとした重みが落ちてきた。
 同時に視界が一層濃さを増す。

「なにを……」

 被せられたものを手繰り寄せて確認すると、それはどうやらエルクディアが纏っていた外套(パルダメントゥム)らしい。いきなりどうしたというのだ。
 シエラを半ば引きずるようにして、エルクディアは庭園の脇にある小道をさらに奥に進んだ。
 緑に囲まれるように、等間隔に石像が立ち並んでいる。昼間の明るいときに見たならばさぞ美しい彫刻だったに違いないが、月明かりと城の窓から零れるわずかな明かりだけでは不気味だった。



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