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 幾度となく見てきた後姿を、母親に置いて行かれた子供のように見つめることしかできない。
 このままではどうにもならない気がして、エルクディアは小さく唇を動かした。

「ユーリ」

 ただ一言名を呼んで、彼を引き留める。

「俺はシエラに、人として生きてほしい。神の後継者だからこそ、人の生を満喫してほしい。――心を縛りつけるような真似だけは、させたくない。もうこれ以上、シエラがシエラであることを制限したくない。初めからなにもない方がいいなんて、それは痛みから逃げた者の言い訳じゃないのか?」

 まっすぐに向けられた視線は頑なだ。静かに燃える焔が、新緑の瞳の奥で揺れている。
 しゃんと伸ばされた背筋と強いまなざしから、彼の思いの深さが読み取れる。それでもユーリは、眉一筋動かすことをしなかった。

「随分と……。では聞くけどね、エルク。キミは愛する者を失い、自分は気の遠くなるほど生き続けなければならないとしたら、どう思う? それが運命づけられ、逃れることなど叶わない。傷つき、嘆いたところでなにも変わらない。幸せを分かち合った者が皆、一人また一人と死んでいく様を見続けなければならない。想いが深ければ深いほど、心の闇も深くなる」

 すう、とユーリの目が細められた。エルクディアでさえ背中がぞっとするような凍てついた眼差しは、普段の青年王からは想像もできないものだろう。
 けれど数回この瞳と対峙している彼は、姿勢を崩さなかった。
 甘い声が冷たく刃のように投げられるのを感じながらも、逸らすことなく青海色を見つめる。

「心を縛りたくないと、傷つけたくないと望むキミ自身があの子を壊すのだとしても。それでもキミは、あの子の自由を望むのか?」

 運命。なんて陳腐で、残酷な言葉だ。
 世界を救うためならば、脆弱な人間の心などどうなっても構わないと、神はそう言うのだろうか。
 そしてあの子も、遥か先の未来、誰かにこの運命を強いるのだろうか。
 つきん、と小さく胸が痛んだ。今思っていることを言葉にすることができない。

「それからエルク。姫君のことを気にかけてくれるのは嬉しいが、ライナ嬢の姿が見えないことも気にしてくれると助かるよ。そして二人で話し合うといい。なにがあの子を縛るのか。あの子の幸せをと強く願う思いもまた、あの子を縛るものの一つではないかとね」

 目線を逸らしたエルクディアを見て、ユーリは話は終わったものだと判断したらしい。
 今度は立ち止まることも振り返ることもなく、ただただ優しい笑みを浮かべて貴婦人のもとへ向かっていった。
 その場に立ち尽くしていたエルクディアは、片手で顔を覆って深呼吸を繰り返した。
 耳に届く軽やか音楽が今の気分とは正反対で、余計にもやもやとしたなにかを感じる。
 舌打ち交じりに息をつき、気を取り直すようにかぶりを振って自分も身を翻す。
 大広間の煌々とした明かりとは一変し、廊下は少し薄暗い。燭台の炎が静かに廊下を照らす中で、彼は小さく神の後継者の名を呼んだ。
 走り去っていく背を眺めて、青年王は苦笑する。風に揺れるパルダメントゥムが、彼の心情をそのまま語っているかのようだ。
 そっと腕を絡めてきた女性の腰に腕を回すが、意識はまだ彼にあった。
 隣にいる女性にさえも聞こえないよう、ほぼ唇だけで青年王は呟く。

「……困ったね。愛は決して罪ではないが――」
「陛下?」

 優しく手を取り、その甲に口づけた。すると女性は頬を染める。
 愛は決して罪ではない。
 けれど。


 ――ときに愛は、罪をも喰らう闇となる。



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