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 人間に対しては使用が制限されている法術さえも厭わないと言ってのけるユーリに、焦燥と苛立ちを煽られる。
 確かにこの城の中では安全かもしれない。そこかしこに兵士は配置してある。それはなによりも自分が一番理解している。
 けれど、絶対はない。どれほど策を練って、どれほど優秀な人材を要所に置いたとしても、それでもわずかな不安は残るのだ。
 あの子が手の届くところにいないことは、ひどく胸をざわつかせる。
 それは彼女が神の後継者だからだという、単純な理由では説明できないような気がした。
 もっと他の、説明のしようがない別のなにかが、エルクディアの心を駆り立てる。

「どうする、エルク?」

 応か否か。

「……分かった。だから離せ」
「はいはい、せっかちさんだねえまったく。嫌われてしまうよ? キミの大切な姫君に」
「ふざけっ――! ぐあっ!」

 ぐ、と聖杖に手をかけた瞬間、一気に喉を圧迫されて息ができなくなった。そのまま背を突かれて床に転がされる。
 げほげほと盛大に噎せ込んでいると、冷やかな眼光が降り注いでいることに嫌でも気がついた。
 死角になっている場所でよかった、とエルクディアは思う。近くの兵士は様子が気になりつつも、職務を全うすべく振り向かない。こんな状況など、誰にも見せるわけがいかなかった。
 どこか冷静な部分がそう判断しているのに対し、体は怒りに支配されている。
 片膝をつき、エルクディアは喉を押さえた。

「なんの、真似だ……? いくらお前でも限度があるぞ」
「あのままだと本当に折られてしまいそうだったから、つい。悪かったね」
「つい、で死んでたらどうするつもりだ」

 そのときは新しい総隊長を探すとあっさり言われ、ふつりと湧き上がる怒りをエルクディアはなんとか理性で抑え込んだ。
 本気で斬ってやろうかとも思う。むしろ斬ったくらいでは死なないのではないだろうか。試す価値はありそうだ。
 悶々と考えていると、楽師達の奏でる曲が変わった。今度は少し早めの曲調だ。

「ねえ、エルク。蒼の姫君は、誰の心も容易く魅了してしまいそうな美しさを持っている。厄介なほどまっすぐな彼女の本質を知ればなおさらだ。あれでもっと表情をやわらかくすれば、男なら喜んで心を差し出すだろうよ」

 乱れた銀髪を払ってユーリが笑う。
 綺麗に手入れされているくせに長さが不揃いの髪は、指を通せばさらさらと順に零れていった。

「けれど皮肉なことに、どれほど想いを寄せたところで報われるはずもない。たとえお互いが愛し合っていようと」
「なんの話をしているんだ、お前は」

 大人しく聞く約束だろう?
 そう微笑んでユーリは続ける。

「あの子は神を継ぐ者だ。神の寿命は、人間とは比較にならないほど長いらしい。あの子が愛した者は家族であれ、友人であれ、恋人であれ、老いて先に死んでいく。……ああ、でもその前に」

 階下では喜色を浮かべた人々が優雅に踊っている。
 誰もが幸せそうで、この世の破滅が近付いているなどとは到底思えない光景だった。

「――姫君が先に、この世から姿を消す」

 神と人間では存在するべき場所が異なる。神は天界から、地上の人間達を見守っているのだ。
 そう伝えられてはいても、誰一人として天界を見た者はいない。古い文献を調べても、どうやって人間が神に器を変えるかということは記されていない。
 多くの学者が一生を捧げても、後継者たる人間が神になる儀式の詳細は分からない。
 残されているのは、神の後継者があるとき地上から姿を消すということだけだ。人でありながら人ではない運命を課せられた後継者は、世界を救うべく天界へ身を移す。
 それは下手をすれば、神の後継者そのものが空想なのではないかと思えるほど、想像しがたい伝承だった。
 だが信じるより他にない。伝承通り、蒼い髪に金の瞳を持つ人物が現れた。
 その子は計り知れない神気を持っている。だから伝承は真実であると、そう言う以外になにがあるだろう?

「ちょっと待て、ユーリ。言いたいことが分からない」
「伝承は真実だ。あの子はこの世界を救う。地上にはとどまらない。つまり、どう足掻いてもあの子は手に入らない」

 なんの話をしているのかは分かったが、なにが言いたいのかはさっぱりだ。
 胡乱げに見ると、ユーリは静かに苦笑して意味もなくロザリオを握った。

「愛なんて感情は憎悪にも結びつく。神の後継者がそんなものに囚われては面倒なことになる。情が移りすぎない程度の付き合いならば構わないが、それ以上は困る。それくらい、あの子も本能で感じているだろうけれどね」
「……シエラは誰も好きになるな。そう言いたいのか?」
「いいや。ただ、その感情に支配されては困ると言っているんだよ。恋をするのは自由だが、最終的にはどちらも幸せになれない。悲しみに囚われて、嘆きの神にでもなられたら大変だろう? ならば初めから不安要素は取り除くべきだ」
「シエラが邪神になるとでも?」
「『絶対はない』、キミの口癖だったろう? けれど、いくら時を重ねても、あの子が神の後継者であることに変わりはない。キミが傍にいようと、離れていようとね」

 ずぶずぶと侵食する言葉の刃を返す術が見つからない。落ち着けばいくらでも反論はできたはずだ。この問題に答えは出ない。
 だから、言い返すことは可能なはずだったのに。
 それでも言葉は形を持たず、黙ってユーリの言うことを受け止めることしかできなかった。
 強く唇を噛み、拳を握る。パルダメントゥムを掴んだ拳が小刻みに震えているのを見て、ユーリはそっと嘆息した。

「あのときから言っているだろう? キミは――」
「黙れユーリ。もうその話はいい」

 吐き捨てるように遮れば、ユーリは驚いたように一瞬目を丸くさせた。すぐに表情を元に戻し、呆れにも似たため息を零す。
 なにか言おうと口を開く前に、エルクディアは肩を押された。

「行っておいで。もう鬼ごっこには十分な時間を与えてあげただろうからね」

 シエラを追いかけろと暗に言い、ユーリはそれ以上なにを口にするわけでもなくくるりと踵を返した。
 法衣がゆらゆらと揺れるその背中を、エルクディアは苦々しげに見つめる。
 階下から艶めかしい目で己を見つめる貴婦人に気づいたのか、青年王は微笑みながら手を振り返し、彼女に向って足を進めた。



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