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「おやおや。やきもちかい、エルク? それなら素直にお言い、ね?」
「やめろっ、気持ち悪い!」

 確かに気持ち悪い。エルクディアと同様眉根をしっかりと寄せ、シエラはユーリから一歩離れる。首筋にまで鳥肌を立てているエルクディアの傍に寄ると、青年王から守るように背に庇われた。
 これでも王なんだけれど、とぼやく声は聞こえない。
 一つため息をついた青年王が表情をすっと笑顔に変え、舞踏会の始まりを告げると会場は天井を突き破らんばかりの歓声と万雷の拍手に包まれた。
 シエラにとってはうるさい以外の何物でもないが、見上げた先のエルクディアはどこか楽しそうに笑っている。
 楽しいのだろうか。それとも、嬉しいのだろうか。
 ざわりと会場が凪ぎ、一拍置いて先ほどまでとはまた違った音楽が奏でられた。
 一流の音楽団が演奏する音は一つ一つが美しく、聴く者の耳と心をたちまち虜にしてしまう。
 それに合わせて盛装した男女が、手を取り合って華やかに舞う。色とりどりのドレスが花のようにきらめき、それを夜の色が栄えさせている。
 ぼんやりと高みから見学していたシエラは、二階に設けられた立派な観覧席を見つけた。三階にも多くの観覧席があるが、今この階にいるのは自分達三人と、警護の者だけだ。
 賓客はすべて一階と二階に席を設けられている。

 中でも二階の特別席は、ライナが言っていた各国の王家の者が座っているようだった。見るからに気品のある姫君や一見ひ弱そうな青年が、豪奢な服に身を包まれて座している。
 だが用意されている立派な椅子は、三脚ほど空きがあった。
 席を離れているのだろうか。特に気になるわけではないのに、シエラの目は自然と見たこともない人間を探していた。
 探したところで分かるわけもないのに、なぜだろう。これこそ時間の無駄ではないか。
 自覚した途端なんだか馬鹿らしくなって、シエラは手すりに腕を乗せて優雅に踊る人々を再び見下ろした。
 踊り終えた女性やちょこんと観覧席に腰掛けている少女の視線が、こちらを向いている。しかしそれらは自分に向けられたものではなかった。
 彼女らの視線を追って横を見れば、ほんの少し離れたところでエルクディアが警護の兵士――制服を見る限り騎士かもしれない――と話をしている。
 その横顔と彼女らの薄く色づいた頬を見比べ、ようやく誰に向けられたものなのかを悟った。

「相変わらずエルクは人気だねえ。私ほどではないけれど」
「……なにがおかしい?」
「ん? なにが、とは。なんでかな?」
「別に。……そういった笑い方をするからだろう、お前が」

 なにかを含んだような、素直には受け止めきれない微笑を浮かべるから。
 そのくせなにも感じさせないような、無機質な双眸で見つめるから。
 だからとても落ち着かない。
 先ほど終えたばかりの挨拶もこうだった。

「それは失敬。ところで姫君、逃げるのなら今のうちだよ。一応君の紹介も済んだことだし、エルクも仕事の話に夢中でこちらには気づかない。いくら私がいるとはいえ、安心しきってもらうと困るんだがねえ。――さて、どうする?」

 からかうような物言いに、シエラは眉をひそめた。

「小言がうるさいエルクはしばらく引き止めておいてあげるよ。華々しく社交界に足を踏み入れたいというのならば、話は別だがね。そうでなければ、深紅の娘のところへでも行っておいで。他の誰かに捕まらぬよう、しっかりお逃げ、うさぎさん」

 もしも声に味があったなら、この囁きはひどく甘ったるいものだったろう。ただしただ甘いだけでなく、蜂蜜のように苦味も共存する味だったろうけれど。
 剥き出しの肩から腕へと鳥肌を走らせたシエラは、ぎっとユーリを睨み上げる。
 けれど青年王は飄々とした笑みを浮かべるばかりで、シエラの威嚇などまったく気にも留めない様子だった。
 それどころか、からかいを含んだ青海色の瞳が答えを急かすように見下ろしてくる。

 ――気に入らない。
 相手へ与える選択肢はたった二つ。応か否か、それだけだ。
 ただの優男かと思っていると痛い目に遭う。温厚で甘い性質をしているのかと思えば、その内側は誰も寄せ付けないほど冷え切っている。
 この男はきっと、いかなる状況下でも取捨選択を行えるのだろう。甘く潤っているのは心を覆う鎧だけで、本質的な部分は生命の息吹を感じさせないほど凍てついている。
 彼の意に添わなければ、切り捨てられることは容易に想像ができた。
 気に入らない。軽く唇に歯を立て、拳を握り締める。一番気に入らないのは、本能が彼を恐れていることだ。
 この男が自分を傷つけることなど、万に一つもありえない。
 そう言い聞かせて、シエラは険のある眼差しでユーリを見つめる。

「誰がうさぎだ」

 子供が読む物語と一緒にするな。
 きつくそう言い放ち、ひらりと身を翻す。軽く屈んでドレスの裾を持ち上げると、背後から笑いが漏れたのが分かった。
 構うものか。田舎娘に品位もなにもない。
 裸足で駆け出したい気分だったが、靴を持って走るのも面倒だったのでそのまま階段に向かってエルクディアの脇をすり抜ける。
 驚いたような声が聞こえたが、振り返ることなく階段を飛ぶように駆け降りた。
 どうやら本当にユーリが足止めしてくれているらしい。一体なにを考えて自分を逃がしたのかは分からないが、これも青年王の遊びの一つなのだろうか。
 思い通りになるのは癪だったので、シエラは彼の言うラヴァリルではなく、いつの間にか姿を消していたライナを探すことに決めた。



 遠ざかっていく背を見て、ユーリは目を細める。
 予想通り、どういうことだとエルクディアが詰め寄ってきた。その抗議を右から左へ聞き流し、胸中でそっと神に祈る。

「……自分の目でよく見ておいで」

 君がいつか救う者達を。
 ――そして、君に重責を押しつける者達を。
 見ておいで。
 他の誰でもない、自分自身の目でしっかりと。



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