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 壁に掛けられた立派な絵画の中で佇む婦人が、そっと微笑みかけてくる。
 上品な深い赤色の絨毯の上を時折よろけつつも歩いていると、大きな螺旋階段が見えてきたところでライナの歩みが僅かに乱れた。

「……あと、そうですね」
「ライナ?」
「貴族と呼ばれる方々の中には、その称号に相応しくない人も大勢いらっしゃいますから気をつけて下さい。なにを言われても、どんな目を向けられても、気にする必要なんてありません。堂々と胸を張って前を向いていて下さい」

 言うなりライナはすう、と大きく息を吸って前を見据えた。
 握られた手にほんの少し力が篭ったのを感じ、シエラは彼女が見ているものを目で追う。
 その先には、何人もの侍従や侍女を傍に置き、豪奢な衣装に身を包んでいる人々の姿があった。男はにやにやとした笑みを。女は嫉妬や羨望が混じったような、つんと尖った視線を投げかけている。
 近くまで来ると彼らは我先にと寄ってきて、口々に自分達のことを喋っていった。
 どこどこの国のなんたらという家の者で、どれだけの財力、歴史、血統の価値があるか――など、シエラには半分も理解できない内容ばかりだ。
 軽く足を止めてライナが笑顔でそれを聞き、適当なところで切り上げる。聞くというよりも聞き流すと表現した方が正しそうだが、ちらと流し見たライナの顔は疲労に染まっているように感じた。
 なにも知らない自分でさえ面倒だと思ったのだから、こういったことにしょっちゅう出くわすであろう彼女の気苦労も相当なものに違いない。

 ――あれが神の後継者か。
 ――随分と綺麗な格好をしているようですけど、所詮は田舎の小娘でしょう?
 ――貧相な娘が護衛などと……本当に大丈夫なのか。
 ――大怪我を負って、役目も果たさず帰ってきたと聞きましたわ。ユーリ陛下の采配とはいえ……あのような未熟な神官に、名ばかりの神の後継者とは不安ですわね。

「なっ!」

 背後から聞こえた耳を疑う台詞に、シエラは勢いよく振り返った。
 自分の力不足も、田舎の出身だということも、それは事実以外の何者でもない。蔑まれて平気かと言われれば否と答えるが、ライナを貶めるような発言には納得がいかない。
 目に飛び込んできた貴族達の表情は、まるで汚いものでも見るかのようだった。
 挨拶のときに浮かべていた、甘ったるい笑みの欠片も感じられない。猫が毛を逆立てるがごとく不機嫌を露わにするシエラを、面白そうに――それこそ、珍しい動物でも見るように――眺めている。
 なにを言われても、どんな目を向けられても、気にする必要なんてない。
 ライナの言っていた言葉の意味がようやく理解できる。彼女は、このことを言っていたのだ。

「シエラ、行きましょう」
「だが……」
「いいんです。言ったでしょう? 堂々と胸を張って、前を向いていて下さいと。今わたし達が向かうのは、陛下のところです。急ぎましょう」

 軽く手を引っ張られてたたらを踏んだところで、ライナの舌打ちが聞こえた。
 廊下のちょうど反対側から、男が一人歩いてくる。
 光沢のある燕尾服を纏い、肩の辺りで切り揃えられた髪は赤と茶色を足したような赤褐色だ。
 目尻がやや下がった目は、薄茶色で生気が欠けている。長身の部類には入るのだろうが、高さのわりに横幅がない。肌の白さから見ても、どうやら彼は武人の類ではないようだ。
 柔和というよりはむしろ、優柔不断で頼りない感がある。シエラがそんな容赦の欠片もない見解をぼんやりと示していると、薄茶の双眸と目が合った。
 じっと見つめてくるそれが気に障って眉を寄せたが、男はおっとりとした笑みを浮かべるばかりだ。

「こんばんは、ライナ。ご機嫌麗しゅう」

 すれ違った瞬間、恭しい挨拶とは裏腹に、男はライナの手首を乱暴に掴んできた。
 それも、シエラと繋いでいた方の手だ。驚いて瞠目するシエラに対し、ライナはその嫌悪感を隠そうともせず腕を振り払う。
 ぱしん、という乾いた音が響いた。

「なんのおつもりですか、アスマン伯爵。彼女への無礼は許しませんよ」
「折角の再会だというのに、随分と手厳しい。ですがしかし、そのように気の強いところが気に入っているのですよ。いやはや、そうは言いましても……後継者殿の美しさは噂通りですね」 
「もう一度言います。シエラへの無礼は許しません」

 睨み上げるライナの双眸は、真冬の風のように冷たい。シエラの手を取って口づけようとしていたアスマンは、その迫力に押されて動きを止めた。
 しかしすぐに作ったような笑みを貼り付け、ライナの髪に触れようと手を伸ばす。
 彼女の丸い瞳は今や鋭く研ぎ澄まされ、嫌悪感を露わに男の手を払い除けた。彼女はこうも不の感情を表に出す人だったろうか。セリカ・フルーは例外としても、どちらかというとあからさまな振る舞いは避けていたはずだ。



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