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 ライナは一人で部屋に訪ねてきた。そのまま彼女に連れられて外に出てきたが、どこにいても聞こえてきそうな騒がしいあの声がしない。
 蜂蜜色の髪を持つ彼女はきっと、喜んで着飾っているのだろうなと思うと、ため息が漏れた。

「ラヴァリルなら、着替えて魔導師さんのところへ行っているはずですよ。ドレスを選び終わっていたら、の話ですけど」

 ころころと、ライナは鈴を転がすように笑って楽しげに言う。
 そうか、と頷きかけ、シエラは中途半端な位置で頭を止めた。ぱしぱしと重たい睫を上下させ、くてんと首を傾げる。
 今なにか、妙な引っ掛かりがなかっただろうか。
 魔導師といえば、今この城にいるラヴァリル・ハーネットとリース・シャイリーの両名を指す。ならばラヴァリルが向かう魔導師とは、リース以外には考えられない。
 だとすればなぜ、彼の名が出てこなかったのだろう。

「なぜリースは『魔導師』なんだ? それはラヴァリルも同じだろう」
「え? なんとなくですよ。別に他意などありません」
「それにしては言い方が冷たかったような気がするが」
「気のせいですよ、シエラ。ほら、そんなことよりも早く行きましょう?」

 完璧すぎる微笑を前に、シエラは本能的になにかを悟って口をつぐんだ。どうやらこの話題にはあまり触れない方が身のためらしい。
 手持ち無沙汰に腕をさすり、きらきらと輝く金の髪が見えないことにふと気づく。
 最近、ライナとエルクディアが一緒にいるところは見ていない。互いに忙しいのだと言っていたが、式典当日は傍にいると聞いていた。
 不思議に思ってライナに「エルクは?」と問うと、彼女は壁に掛かっていた時計を確認した。

「エルクならまだ陛下のもとにいると思いますよ。もうすぐ合流する予定ですから、それまでは僭越ながらわたしが護衛を務めさせていただきます」
「そうか。……あいつがいないと、ここは銀ばかりだな」

 芝居がかった口調で礼を取ったライナが、きょとんとした顔で見上げてきた。
 しばらく彼女は困惑の体(てい)で口元に手を当てて考えるそぶりを見せたが、やがてすぐに言わんとすることが分かったのか、ぱっと破顔してシエラの髪に手を伸ばした。
 丁寧に梳られた蒼い髪が、小さな手のひらに包まれる。

「そうですね。ここは聖職者が多くいますから、必然的にそうなります。この城の立地上、武具や装飾も銀製が多いですし。騎士団の方々は皆、髪色は違いますが、特にエルクの金髪は目を惹きます。けれど、それを言うならシエラ、貴方もですよ?」
「私……?」
「ええ。貴方のこの、空とも海とも違う、蒼い髪。気高い猫のような、金の瞳。そんな鮮やかな風貌で、なおかつ女性でありながら着ているものは漆黒の神父服。誰しもが端正な顔立ちには好感を抱きますが、貴方の場合はまた特別。男女関係なく、貴方には目を奪われます」
「……別に嬉しくない」
「ふふ、そう言うと思っていました。だってシエラですもの」

 言いながら先を行き、ライナは軽やかに振り返ると手を差し出してきた。繋げ、ということなのだろうか。
 自分のものよりか幾分小さく見えるその手と彼女の顔を見比べ、そっと手を重ねてみる。
 きゅ、と握ってきた手のひらの思わぬ硬さに目を瞠り、半歩前を歩くライナの背中をまじまじと見つめた。
 白くたおやかな繊手には、しっかりとした肉刺ができている。それは幾度も聖水やロザリオを握って神官として戦ってきた、聖職者としての証でもあった。
 その手に優しく導かれてシエラは足を踏み出す。慣れない踵の高さに悪戦苦闘するも、しっかりとライナが支えてくれるため、転ぶ心配はない。

「そうそう、今宵の式典には数多くのお客様がいらっしゃいます。お名前を覚えておいた方がいい方もいらっしゃいますから、ちらっとでも見ておいて下さいね。中には王家の方もいらっしゃいますから」
「王家?」
「はい。エルガートからは一の姫イレーネ様が。ホーリーからは、二の姫ミシェル様が。プルーアスはベル皇帝自らがお越しです。気をつけてもらいたいのが、ベスティアからの第六、第十一公子です。シエラ、なにがあってもこの二人にだけは一人で接触しないで下さいね」

 足を止めてまでそう言うのだから、どうやらよほどのことらしい。
 そうは言われても、ベスティアの王の顔も知らないシエラが六番目や十一番目の公子の顔など分かるはずもない。
 そもそも公子とはなんだろう。王族ではあるようだが、王子とどう違うのだろうか。
 胸に名札でも分かりやすくついていれば別だが、そんな馬鹿なことはないだろう。
 真剣な目で見つめてくるライナに圧倒されて頷いてはみたものの、彼女の忠告は守れるかどうか定かではない。

「だが、なぜその二人に近づいてはいけないんだ?」
「……ベスティアとは、仲があまりよくないんです。大きな戦争も終わって随分経ちますけど、それでもベスティアとの小さないざこざは絶えません。つい先日もリンベーグ海で、アスラナの商船がベスティアの海賊に襲われました。本当の意味では、ベスティアとの戦はまだ終わってないんです」

 リンベーグ海はアスラナの西に広がる内海だ。その西南に位置するベスティアは平たい三角帽子のような形をしており、さほど大きな国ではないものの、軍事力はアスラナに次ぐと言われている。
 ホーリーほどではないが海戦に長け、ベスティアの海賊によって他国の船が襲撃されることは珍しくなかった。
 国は海賊を取り締まることなどほとんどせず、野放しにしている。表面上は法を作ったり海軍を派遣したりとしているが、実際は見て見ぬふりだ。
 おぞましい聖職者狩りが盛んなのも、ベスティアだという。
 だから、とライナは目を伏せた。

「シエラになにかあったら――いえ、あってはいけないんですが、もしものことを考えると、たとえ王家の人間であっても不用意に近づくことは危険です。……むしろ、王家の人間だからこそ、とも言えるでしょう」
「分かった。一応気をつけはする」

 ありがとうございます、と微笑んでライナは再びシエラの手を優しく引いた。
 本当に彼女は自分と同じ年なのかと疑ってしまうしっかりさの持ち主だ。
 ついこの間まで――実を言うと今もだが――、ベスティアがどこにある国なのかよく知らなかった。リンベーグ海と言われても、上にあるのか下にあるのか、それさえも曖昧なのだ。
 それなのにライナときたら、自分とは比べ物にならないほどの知識を持っている。それは純粋に、尊敬に値した。



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