その世界に、夜はない。
ヘルメットを脱ぎ、犬のように頭を振って、ワコは滴る汗を飛ばしながら空を見上げた。じりじりと照りつけてくる太陽は、青空に二つ浮かんでいる。一つは十数年前と同じように回り続ける、大きな太陽。もう一つは、突如として現れた沈まない太陽。この空に二つも太陽があるのだ。うだるような暑さが容赦なく体力を奪っていく。
空から帰ってきた同期の機体を誘導し終わり、職務終了の声を聞いて彼女はシャワールームへと走った。手元の時計を確認すれば、あと三十分で食堂が混み合う時間になっている。
「今日のセットなんだっけなー?」
小柄な身体がぱたぱたと駆けていく後姿を、仲間達は優しい眼差しで見送っていた。
かつてはこの大空を飛んでいた少女は、今は地上に降りている。
* * *「――で、お前はなぁにやってんだ、ワコ」
「あ、アサヒ、おかえりー。なにって、見たら分かるでしょ」
「おぅ、分かる。分かるぞ。分かるけど! なんでお前は俺のベッドでシュークリーム食ってんだ! あーあーあー、ほら見ろ、クリーム零してんじゃねぇか!」
タンクトップに短パン姿というラフな格好のワコとは違い、第一種作業服を着たまま自室に戻ってきたアサヒは、汗だくになりながら首にかけていたタオルでワコの口元をぐいりと拭った。
「ちょっ、やだ、くさい! 汗くさい!」
「うるっせ、文句言うな! シーツまでべっとべとにしやがって!」
小さな手に余るほどのシュークリームを頬張っていたワコは、口の周りはおろか手やベッドまでクリームまみれにしてじたばたと暴れる。汗を吸収したタオルで容赦なく口周りを拭くと、涙目になりながら脛を思い切り蹴り飛ばしてきた。思わず怯んだ隙に手にしていたシュークリームを口に捻じ込まれ、盛大にむせるアサヒを見下ろして彼女は満足げに唇を吊り上げた。
甘いクリームの匂いと饐えた汗のにおいに、頭がくらりとする。咳が落ち着いたアサヒがじとりとねめつけるも、彼女は怯える様子など微塵も見せずに、膨らみの寂しい胸を誇らしげに張っていた。
「それ、おいしいでしょ? ダイチさんがくれたんだよ」
「げっ……、ンなもん食わせんなよ……!」
「なんでー? アサヒってシュークリーム苦手だったっけ?」
「別に苦手じゃねぇけど。……って、まだ食うのか!?」
「うん。だっておいしーもん」
備え付けの冷蔵庫からシュークリームを取り出し、両手に一つずつ持って一口ずつ交互に味わう。行儀が悪いと怒られそうだが、おいしいものを食べるときはこれがワコの基本スタイルだ。
幸せそうに微笑む彼女になんの言葉も出ず、アサヒは口に残った嫌な甘さを苦々しい気持ちで嚥下した。
甘いものはさほど嫌いではない。昔からワコに付き合わされて、ケーキバイキングだのなんだのに連れ回されているのだから、嫌いなはずがない。「そんなに苦手?」きゅうん、と耳の垂れた犬のような声音で問うてくるワコのそれは、見当違いもいいところだ。
本当に苦手なのは、甘さで隠した毒を持つあの男の方なのだから。
「……たっく、餌付けされてんじゃねぇよ」
「なんか言ったー?」
「なんも!!」
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