家出娘がやってきた


 汚れた着物に、ざんばらの黒髪。ここにいるはずはない少女の姿を見て、つきのとはあっと声を上げた。

「のと? どうし――」

「みずちちゃん! みずちちゃんですよね!? どうしてここに!?」

 隣で本を読んでいた黎鳴を押しのけ、つきのとは庭の隅でぽつねんと立っていた少女に駆け寄った。背後からは黎鳴の舌打ちが聞こえたが、そんなものはつきのとの耳に入っていない。
 薄汚れた少女――蛟はつきのとに手を握られ、そこでようやっと息を吹き返したかのように反応を見せた。

「つきのと、さん……?」

「はい! お久しぶりです、みずちちゃん! なっくーん、みずちちゃんです! お友達なんですよーう!」

 困惑する蛟の手を引いて、不機嫌顔の黎鳴のもとへ駆け戻る。彼はむくれたまま蛟を見て、僅かに眉根を寄せた。「――で、誰」まずは椛呼んで来ないと、と呟く彼のことなどそっちのけで、つきのとは蛟の手を取って嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。
 黎鳴に呼ばれてやってきた椛が、蛟の姿を見て目を丸くさせた。ああ、と微笑を浮かべて頷く椛に、蛟はやや気まずそうに目を逸らす。

「――いらっしゃいませ、蛟さん」


+ + +



「――ということは、みーちゃんは家出してきたの?」

「……私に帰る家はありませんが、簡単に言えばそうなります」

「ま、のとの知り合いなら、椛が知ってるのも頷けるか。……ちょっとのと、ちゃんと髪拭いてやったの? まだびしょびしょだよ」

「あっ、いーですいーです! わたしがやりますぅー!」

 まずはお風呂にと促され、蛟とつきのと、そして黎鴉は一足先に大浴場へと向かったのだった。シャワーの使い方など知る由もない蛟の頭や身体を、「美容師さんごっこ」「えすててぃしゃんごっこ」などと言って二人は楽しみながら洗った。
 ほかほかと温まった三人が部屋に戻るとすでに椛の姿はなく、黎鳴がベッドに腰掛けていつものように読書していたのだ。
 慣れない洋服に身を包んだ蛟は、黎鳴にタオルで髪をわしゃわしゃと拭かれても、それを見てなぜか慌てたつきのとに突進されても、人形のようにされるがままだった。
 ドライヤーをかけて綺麗に櫛を通してやりながら、黎鴉がくすくすと笑う。

「黎鳴とつきちゃん、いい感じだよねっ」

「……はあ。私には、よく分かりませんが。仲がよろしいのは、見てとれます」

「ねね、みーちゃんは紫閃さんって人と一緒にいるんだっけ? けんかしたの?」

「……喧嘩、というほどのものではありません。私がただ、我儘を言っただけです」

 ふうん。つやつやになった蛟の髪を見て、黎鴉は満足そうに笑んだ。

「じゃあさ、仲直りしなくちゃね! 協力するよ!」

「仲直り……、ですか」

 そもそも直すだけの仲があるのかと蛟は一瞬考えて、つきりと痛む胸の訴えによってその考えをやめた。
 勢いでここまで来てしまったが、このまま世話になるわけにもいかない。いつでも遊びに来てくれと言ってくれたのは椛だが、自分にそう言ってもらえるだけの価値があるとは到底思えない。
 スカートの裾をぎゅっと握り締め、蛟は小さく息を吐いた。黎鳴ともめていたつきのとが、急に押し黙って顔を真っ赤にさせている。なにを言われたのだろう。黎鳴は黎鳴で意地悪く鼻を鳴らしているが、その実どこか照れ臭そうだ。

「……ここはとても、あたたかい場所ですね」

「もっちろん! れーだんぼー完備ですもん! 冬でもぽっかぽかなんですよ!」

「あのさぁ、のと。多分その子が言ってる意味、違う」

「ふえ?」

 なるほど。これが「いい感じ」なのか。
 向こうでもくるくるとよく表情が変わる少女だったが、今はより一層多彩な表情を見せている。つきのとをぼんやり眺めながら、蛟は己の腕を鼻先に近付けた。石鹸の柔らかな香りがする。
 同年代の子供に囲まれることがなかったせいか、今のこの状況は蛟に対して困惑ばかりを与えてくる。どうすればいいのか分からない。
 ――椛さん。心の中で、唯一この場で頼れそうな男の名を呼んだ。よくこちら――四季の国というらしい――に遊びに来ている彼は、蛟と会うこともたびたびあった。もっとも、彼は蛟や紫閃に会いに来たのではなく、月乃女に会いに来ていたのだけれど。

「ねえねえみずちちゃん! これから、一緒に異夜荘の探検しに行きませんか!? とーっても楽しいんですよ!」

「そんなこと言って、また迷子になるのがオチでしょ。やめときなよ」

「むぅー。なっくんは黙っててくださいー!」

「そうだよ! 黎鳴は黙ってて! あたしもみーちゃんと探検したい!」

「ほーら! ねっ、行きましょ、みずちちゃん!」

 つきのとと黎鴉に両手を引かれ、蛟はよろめきながらも立ち上がった。そのまま引きずられるようにして外に出る。
 あーあ、とため息をつく黎鳴がちらと見えたが、彼はその口元に微苦笑を刻んでいた。「……ばかのと」罵倒のわりに、それはとても優しい。
 探検探検、と嬉しそうにはしゃぐ二人の少女と呆れ顔の少年を見比べて、蛟はそっと目を伏せた。


「…………心地よすぎると、困ります」


 だから紫閃さま、早く迎えに来て下さいね。



(――こんにちは、腐れ狐)
(おーやおや椛さん、わざわざどうしてこちらへ?)


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