白い鴉の届け物
 がんばったんだからね!
 見たこともない格好をした少女は、顔を真っ赤にさせながらそう言った。
 月乃女はそのときの息子達の表情を思い出し、くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺す。
 昨晩は冷えきった空気が肌を刺す、そんな夜だった。しんしんと雪が降り積もり、辺りは雪と風の音だけで満たされていた。
 目を閉じていれば、白が地を埋め尽くす音が聞こえる。すべてを静かに覆い隠そうとする音が。
 そんな折に聞こえてきた足音に、まだ息子達は気付いていない。雪化粧の施された枝の上に腰掛けている、九尾と一尾の子狐達は、うつらうつらと船を漕いでいた。
 月乃女に一拍遅れて、九尾のツキシロが面(おもて)を上げた。そこからさらに数拍遅れて、一尾のユキシロが反応する。
 一瞬で姿を転じて少女の前に降り立った子狐達は、戻ってくるなり甘い香りのする小箱を見せてきた。「ばれんたいんなる祭りゆえ、黎鴉が異世から持ってきたのだ」やりとりはすべて聞こえていたというのに、一から説明してくるのだから、その心中は計るにたやすい。

「……人の子は、相変わらず奇妙な生き物よ」

 夜が明けて、月乃女は少女に貰った「ちょこれいと」なるものを一つ口に放り込んだ。とろり。甘苦いものが舌の上でとろける。満足そうに指先を舐め、彼女はひょんっと四尾を揺らした。
 彼女の息子達も今、どこかでこれを味わっている頃だろう。


* * *



「ツ、ツキシロ! これはなんだ? 変なにおいがする!」

「ちよこれいとう、なるものと黎鴉は言っていたが……。ふむ、確かに面妖な香りがする」

「毒ではないか!? そうだ、きっとそうに違いない! あの小娘、母上をうばおうとこんな毒をしこんだのだ!」

 「それはなかろうて」淡々と告げたツキシロが、もう一度鼻をひくつかせ、今まで見たこともない茶色いそれを口に入れてみた。

「ああああああ! ツキシロ、ならぬっ、吐かねば死ぬぞ!」

「死なぬ。……ほう、ユキシロ、お前も食べてみろ。これはうまいぞ」

「そのようなわけは……」

 口の中に広がる甘い味に、ツキシロは僅かに微笑んだ。初めて味わう甘さは、とても不思議なものだった。――まるで黎鴉のようだ。触っていると熱で溶けて、どんどんと甘くなる。
 一つ、二つ、と続けて放り込むツキシロの口元に鼻先を近づけて、ユキシロは眉を寄せた。うまそうだ、と、隠しきれない本心がぽつりとこぼれる。

「食わぬのか?」

「ユキは、あのような小娘からうけとったものなど……」

「ならば、われが貰ってもよいか?」

「ならぬっ!!」

 必死で包みを背に隠した片割れを見て、ツキシロは小さく息を吐いた。それが笑みであると知っているユキシロは、かっと目尻を赤く染める。
 それでも意地が勝るのか、ユキシロはなかなか贈り物に手をつけようとはしない。素直ではない片割れを横目に、ツキシロは九尾を揺らした。
 人の子と似たような姿に転じているが、あまり寒さは感じない。衣は神気と妖気で織りなしているもので、晴明の屋敷で見かけた水干を真似ている。
 素足で雪の中に立っていても、少しひやりとする程度だ。ユキシロはツキシロに比べて寒さに弱いらしく、雪の中に長時間素足でいることを嫌う。名に雪を戴いたのはそちらのくせに。そう思わないでもないが、ツキシロがそれを口にすることはなかった。
 人ではない自分達のことはさておき、人の子である黎鴉にしてみれば、こちらの世は随分と寒かっただろう。異世の衣はひどく寒そうだった。
 ふわふわとした衣は、羽衣のようだった。白い足がちらと見えて、妙に鼓動が大きく聞こえたのを覚えている。

「……風邪など引いておらぬとよいのだが」

「あの小娘のしんぱいなど、せずとも十分だ! 母上に狐火までもらいおって!」

 身体を包み込む優しい狐火を、母である月乃女が黎鴉に施した。それは夕焼け色をしており、ふわりと、小さな少女の全身を包んだのだ。
 さぞかし暖かかったことだろう。嬉しそうに破願していた少女を思い出し、ツキシロは最後の一つを頬張った。

「母上は、あの小娘を気にかけすぎだ! あのようなえたいの知れぬ小娘に、どれほどの価値があるというのだ! まったく、ひとくいのあやかしとて、あのような小娘喰らいとうはないわ。むろん、ユキとてごめんだ!」

「ならば、ユキシロ」

「ん?」

 銀に近い、透き通った白の九尾が広がった。風もないのに衣が翻る。長さを増した髪がたなびく。

「――われが、喰ろうてもよいか」

「え……?」

 やや吊り気味の目を丸くさせ、ユキシロはきょとんとツキシロを見つめた。

「われが貰ってもよいか。お前がいらぬと申すなら、われのものにしてもよいか」

 自分達は双子で、けして一つの存在ではない。
 けれど、皮肉なことに昔から、欲するものはいつだって同じだった。

「なっ、ならぬ!」

「…………そうか」

「ならぬぞ! べつに、あの小娘がどうというわけではないが、ならぬ! こ、このめんような菓子、食べ過ぎてはツキシロの身体がこわれるやもしれぬ! ゆえに、ならぬ!」

 鮮やかな紙に包まれたそれを大事そうに抱えて、ユキシロが吠える。その目は真剣そのもので、ツキシロは無意識のうちに立ち上っていた神気が消失していくのを自覚した。
 九尾も本来の太さに戻る。揺らめいていた衣も、すとんと自然の摂理に従った。

「……そうか。ならば、はよう食え。それは、うまいぞ」

「ツ、ツキシロの身体を思うてのことだからな! ユキは、ツキシロのためにくらうのだからな!」

 背を向けて包みを開けたユキシロがどう思っているかくらい、その尾の動きを見れば一目瞭然だ。身体がぴょんっと跳ね上がるほどに気に入ったらしく、ユキシロは次から次へと食べていった。
 あっという間になくなった包みを見て、ユキシロは唇を尖らせる。

「これだけでは、毒かどうかわからぬな。あの小娘をさばくりゆうが、のうなってしもうたではないか!」

 口の周りに「ちよこれいと」をつけ、ユキシロが偉そうに腕を組む。口元のそれ指で拭ってやりながら、ツキシロはほとんど表情を変えぬまま言った。

「では、母上に頼んで異世への門を開けてもらうか。黎鴉に、礼を告げなければ」

「れいなどせずともよい! ……ん? それより、ツキシロ、お前どうしたのだ? やはり、これは毒だったか!?」

 少し苦しそうだぞ。そう言われて、ツキシロはぱちくりと目をしばたたかせた。
 ああ、そうだ。どんなに表情が乏しくても、母と片割れは敏感に心を感じ取る。
 そして、異世のあの少女も。

「なんでもない。……はよう、黎鴉に会いたくなっただけだ」



 あの愛らしい少女に、今はただ、感謝を。


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