2 [ 63/193 ]

 相変わらず大きな目だ。ワカバほどではないけれど、男にしては十分すぎるほど瞳が大きくてぱっちりとしている。睫毛だって長いし、ビューラーでもしているのかと聞きたいほどしっかりと上向きに生え揃っている。色白の小さな顔は月明かりの下でもよく見えた。
 先輩方がこぞって生意気だと評するその胡乱げな眼差しが、まっすぐにワカバを捉える。

「あのさ、別に俺、誰にも言わないけど」
「えっ……」
「あの夜の話でしょ? それで誰かが困ってるわけじゃないし。そりゃ、なんでそんな面倒なことしてんの?、とは思うけど」

 ざらついたコンクリートの壁は汚れていたけれど、ゼロは構うことなく背を預けた。他の男子達に比べればずっと背が低いけれど、ワカバより目線は上だ。そういえば彼は二つほど年上だったのだと、ふいにそんなことを思い出した。見た目からすれば、到底そうは思えないけれど。
 入ってきた情報を処理しきれず、ワカバの頭が動きを停止する。ぎこちなく吐き出した疑問符は、きっと音にすらなっていない。そんなワカバを追うように、呆れを匂わせる溜息がもう一度降ってきた。

「隠したいんでしょ? だったら言わない。それともなに、あんたどっかのスパイなの?」
「えっ? まさか!」
「でしょ?」

 ぷっと噴き出したゼロが、自分の言った台詞を反芻してくすくすと笑う。どうやら、ワカバがどこかのスパイだと想像して笑っているらしい。正直不快ではあるものの、無邪気なその笑顔が少しだけかわいいと思ってしまった。ひとしきり笑ったゼロが、大きな目元を軽く指で拭ってこちらを見つめてきた。
 これはどういう展開だろう。ワカバの頭は、未だに上手く働いていない。

「スパイじゃないならいいじゃん。誰にも迷惑かけてないし」
「……だ、黙っててくれる、の?」
「だからそう言ってる。――あ、でも、」

 ほら、きた。
 なんだかんだ言ったところで、結局はこうして条件をつけられるのだ。なんだろう。ご飯を奢れとか、そんなのだったらいいな。彼女になれとかだったらどうしよう。身構えるワカバの前で、ゼロはあっけらかんと言い放った。

「俺はいつものワカバより、あのときの方がいい。あっちの方が話しやすそうだし、鳥肌立たないし」

 ――鳥肌ってなに。
 大きな疑問は浮かんだが、問題はそこじゃない。今、ゼロはなんと言ったのだろう。「あのとき」とは、あの夜を指すのだろうか。だとしたら絶対におかしい。だってワカバは、絶対にかわいい女の子でなければならないのだ。かわいくないワカバはワカバじゃない。
 なのに、ゼロはその方がいいと言う。これは絶対におかしい。

「……ゼロ、ワカバのこと、嫌いにならないの?」
「なんで?」
「なんでって、だって、」
「もともとあんたのことあんま好きじゃなかったけど、あっちの方なら平気かも。てか、もういい? 俺、このあと見たい映画があるから戻るよ」
「あ、待って!」

 じゃあねと踵を返したゼロの腕を、思わず反射的に掴んでいた。驚いたように瞠られた大きな瞳が至近距離で見下ろしてくる。その近さに、接近したワカバの方が驚いた。
 どうしよう、ドキドキする。腕を掴んだ手が震えていた。ああ、どうしよう。だってこんなの初めてだ。「なに、どうしたの」特に感情の揺らぎを見せないゼロの声が、静かに響く。あんまり好きじゃなかっただなんて失礼極まりないけれど、その文句は別の機会に吐き出すことにしよう。――別の機会。その単語に、またしても心臓が跳ねる。

「ぜっ、ゼロは、あのときのワカバの方が好きなの!?」
「え? 好きっていうか、まあ、あっちの方が気持ち悪くないし」
「はぁ? 信じらんない、気持ち悪いってなに!? こんなにかわいいのに!」
「え、なに急に、」
「ああっ、それより! そんなことどうでもいいのっ、ねえ、ワカバほんとはこんなだよ!? ゼロ、それでも引かない!?」
「うん。別に」
「絶対!?」

 食らいつくように顔を近づけると、途端に迷惑そうに眉を寄せられた。僅かに顔を背けながら、ゼロが頷く。

「ほんとにほんとにほんと!? 絶対!?」
「しつこい。別に平気だって。つか、普段からずっとそれでいればいいじゃん。あんた絶対そっちの方がいいよ」
「そんなのできるわけないでしょ!? ワカバはかわいくなくちゃダメなんだから!」

 勢いに任せて吠え、荒ぶる呼吸を落ち着けるべくワカバは深呼吸を繰り返した。掴んでいたゼロの腕から手を離し、少しだけ迷って袖口を指先だけでつまむ。いつでも振り払える程度の拘束だ。それでもゼロは、ワカバの好きにさせてくれていた。
 まったくそうは見えないけれど、ゼロはほんの少しだけお兄さんなのだ。全然、まったく、これっぽっちも見えないけれど。

「ねえ、ゼロ」
「なに? まだなんかあんの?」

 平淡な口調で問われて、自分の心臓だけが早鐘を打っていることが悔しかった。それでも胸の動きを調節するスキルはまだ備わっていない。凄腕の狙撃手は鼓動すらコントロールできるようになると聞くが、どうやらワカバにはその素質はないらしい。
 袖口を掴む指先に、無意識に力が籠もった。まるで縋るような仕草だが、鈍感なゼロはきっと気づかないだろう。乾いた唇を舐める。あとは勇気が言葉を押し出してくれれば、それで終わる。


[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -