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「そうだけど、それがなに。関係あるの?」
「男女関係に関しても、柔軟な思考をお持ちだと伺っております。――今回、このような事件を引き起こした隊員も、貴女に好意を抱いていたのだとか」
「――なにそれ。だからなに。なにが言いたいの? 私がっ、この私が唆したって言いたいわけ!? ウイルスばら撒いてテロ起こせって!? バッカじゃないの、ふざっけんな!!」

 写真を、見た。
 一面が赤黒く染まった、奇妙な写真を。
 それが青鈍の一室だと気がついたのは、汚れたテールベルト国旗が壁に貼られていたからだ。ならば、この色はなんだろう。見慣れた艦内の色じゃない。いつの間にこんな趣味の悪い塗装になったのか。
 それは、血溜まりだった。頭が理解するのを拒むほどに、それは凄惨な光景だった。「汚れた」「染まった」、そんな言葉では表現しきれないほど色を変えた軍服が、何枚も赤黒い水溜まりに沈んでいる。そこにブロック肉のように飛び散っている塊は、まぎれもなく肉だった。
 そうと知ったとき、空っぽの胃が大きく震え、なけなしの胃酸を逆流させていた。ぜえぜえと呼吸を荒くするナグモを見ても、セイビは顔色一つ変えず言ったのだ。

『これが感染者の末路です』

 その危険がナグモ達にもあるのだと吐き出したのと、同じ口で。
 あんな地獄を、どうして故意に起こそうなどと思うだろう。肉が弾け骨すら溶ける劇症。どれほど苦しんだか分からない、おぞましい病。あんな死に方は、絶対にごめんだ。
 何度も夢に見る。
 肌が爛れ落ち、肉が崩れ、骨が剥き出しになる自分の姿を。痛みと苦しみに絶叫し、その喉から腐り落ちていく様を。汗だくになりながら飛び起きて、異常のない手足を確認せずにはいられない。そんな日々が、もう一ヶ月も続いている。

「私はその隊員の名を、お伝えしていたでしょうか」
「聞いてない!」
「スイセイ一尉です」
「え……」

 怒りで上がっていた熱が、急速に冷えていくのを感じた。
 氷水を頭から被ったのだろうか。巨大な冷蔵庫に入れられでもしただろうか。そんなとりとめのないことを考えてしまうほど、現実が受け入れられない。

「スイセイ、って、それ……」
「青磁第一攻撃隊隊長のリュウセイ二尉の兄です。つまり、貴女との交流も深かった」
「嘘、ありえない、あの人がそんな、こんなことするわけない! なにかの間違いに決まってる! 大体、なんで今さら言うの!? でまかせ言ってんじゃないでしょうね!?」
「最初にお見せした写真が、本件の容疑者でした。認識票も入り乱れておりましたので、身元の特定に時間がかかりました。ご存知の通り、肉体と呼べるものはほとんど残っておりませんでしたので」

 ――ああ、分かった。
 この男の血管には、凍った血が流れているんだ。

「待ってよ、ねえ、それじゃあ、あのときの……あの写真が、スイセイさんだって、そう言うの?」
「正確には、あの写真の“どこかにいた”ということになります」

 ヒトの姿なんてどこにも写っていなかった、あの写真に。
 高校時代、何度か一緒に遊んだことがある。生真面目な委員長とは違って、しょっちゅう授業を抜け出しては遊び歩いていた。明るくて、楽しくて、頼りになるお兄さん。
 ここリユニ基地で再会してから、リュウセイと三人で食事に行くことが増えた。あの快活な人が、こんなことをするはずがない。

「ねえ、リュウセイ二尉は!? あの人はどうしてんの!?」
「現在、青磁の隊員に発症者はおりません」
「そういうことじゃない! それはもちろんだけど、そうじゃないの! 変な聴取してないでしょうね!?」

 スイセイを犯人だと決めつけるこの口ぶりから、彼ら“カラス”こと事故調査委員会の連中が弟のリュウセイにどんな態度で聴取を行っているかなど、深く考えずとも想像がついた。
 リュウセイは優しい。おぞましい感染の危険性に脅かされながらこんな場所に閉じ込められた挙句、亡くなった兄がそんな疑いをかけられているだなんて知ったら、きっと思い悩むだろう。そんなことがあるはずないと思いつつも、痛む胸はどうしようもない。隊長としての心の強さはある。だがこの痛みは、鍛えられていない柔らかい部分を抉るものだ。どれほどの責め苦を受けているのだろう。どれほど、心が踏み躙られているのだろう。考えただけで鳥肌が立つ。
 艦長――セイランは、どうしているのだろうか。
 あの耳に優しい声を聞きたい。こんな硬質な声ではなく、とろりとした蜜のようなあの声を。

「……今日は帰って」
「できません。規定時間に達していません」
「体調が悪いの。帰って」
「医師を呼びましょう」
「帰れって言ってんでしょ、貴方耳ついてないの!?」

 泣き叫ぶ勢いで吐き捨ててガラスを叩きつけたというのに、セイビはびくりともしなかった。ただ冷ややかにこちらを見つめてくる。

「リュウセイ二尉にも共犯の疑いがあります。そのため、第一攻撃隊の貴女にも詳しくお話を伺う必要があります」
「……ここから出たら、真っ先にその首へし折ってやる」
「ここでの会話はすべて録音されています。よろしいですか」

 なにを言っても無駄だ。
 それが分かった瞬間、頬を涙が滑っていった。こんな男に涙など見せたくなかった。それなのに、止まらない。膝に力が入らない。砕けたのかと思った。骨が、粉々になったのかと。
 どれほど嗚咽を漏らそうとも、ガラス越しに見るセイビは眉一筋動かさない。淡々とリュウセイの行動に不審な点はなかったかを訊ね、堅苦しい言葉で兄弟を疑う旨を述べた。どうやらナグモも重要参考人物に認定されているらしい。同窓出身で仲が良かったとなれば、その考えに至るのも無理はない。
 乾いた笑いが零れ落ちる。ひっくり返された砂時計のように、一定のリズムで感情が消えていくのが分かった。
 目の前にいるのは、カラスだ。
 死肉を貪る、漆黒の鳥。
 生きたまま肉を食いちぎられる痛みは、次第に麻痺して分からなくなっていった。


 ――それから二ヶ月後、事態は予想だにしない展開を迎えた。




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