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「明日で終わりかー。今回は長かったよね、一ヶ月半とか久しぶり」
「たかが二ヶ月未満でなんだその体たらくは。つーか敬語はどうした敬語は。俺上官、お前部下!」
「やっだなー。いま自由時間。公私の“私”。同い年でしょ、気にしない気にしない。……ていうか、」

 携帯ゲーム機をピコピコといじりながら、ナグモはそこで一度言葉を切った。小さな画面の中で繰り広げられるカーチェイスは、もうゴール目前だ。もう前を行く車の尻はしっかりと捉えている。最後のカーブが決め手だ。
 両者共にカーブに差し掛かる直前、ナグモは切っていた言葉の続きを音にした。

「私達同級生でしょ、委員長?」
「ぶっ、」
「――っしゃあ、私の勝ちー! やったやったやった、ランチランチランチ! セラドンのランチー!」
「おっま、卑怯だろ今の!」
「なーにーがー? そっちが勝手にスピンしたんでしょ? 私、妨害してませーん。男なら男らしく約束守るでしょ? 守るよね? はい、守るー! やー、私行きたかったんだよね、リストランテ・セラドン!」

 休暇中のランチを賭けた戦いは、見事にナグモが勝利を収めた。直接的な妨害はともかく、精神的な揺さぶりが禁止されていたわけではない。そもそもこれくらいで動揺する方が悪いのだ。
 高級レストランでのランチの予定を無理やり掴みとったナグモは、かつての同級生の鼻先に勝利を告げるゲーム画面を突きつけた。どんなに目を逸らそうとも、「WIN」の文字がリュウセイを追いかける。

「セラドンの『ちょっと贅沢ランチコース』。パスタセットのデザート二種、それからついでにシャンパンも」
「昼間から飲む気か!?」
「朝も夜もなく働いてるんだもーん、休みの日くらいいいじゃない。なんなら夜まで飲んじゃう? もちろん委員長の驕りで」
「アホか! つか委員長って呼ぶな!」
「なんでよー。だって事実じゃない。おかっぱ坊ちゃんカットの真面目ないいんちょ、」
「ナグモ!!」

 公共スペースである食堂でぎゃんぎゃんと騒ぐ二人の姿は、隊員達にとっては見慣れた光景だったらしい。誰もがげらげらと笑い、項垂れるリュウセイの肩を叩いて去っていく。隊長だというのに、彼は部下にさえその扱いだった。それが人柄でもあるが、そのせいでここが本来縦社会であることを時折忘れてしまう。軽口はともかく、仕事中は敬語を徹底しているのは『当たり前』を忘れないようにするためだ。
 ひとしきり笑ったナグモは、硬い座席に腰を落ち着けて携帯端末でセラドンの情報を調べ始めた。どれもこれも美味しそうで、ランチだけでなくディナーにも心惹かれる。

「……ンな高級レストラン、俺じゃなくて彼氏と行きゃあいいだろ」

 溜息に隠すように零されたその一言に、苦笑する。
 拗ねたような口ぶりに他にどんなことが隠されているのか、ナグモには判断がつかない。

「彼氏様はお忙しいの。だから委員長で我慢してあげる」
「お前なぁ」
「はいはいごめんごめん、すばらしーい隊長様とランチをご一緒できて、わたくし恐悦至極にございます」

 またしてもじとりとねめつけられ、ナグモは苦笑以外に応え方が分からなかった。
 どれほどの人間が知っているか知らないが、少なくともリュウセイは『それ』を知る人間だ。直属の上司と部下という関係により、自然と一緒にいる時間は長くなる。加えて元同級生ということもあり、互いのプライベートな部分も他の隊員よりよく知っていた。
 だからこそ、リュウセイは心配げにナグモを見つめる。机に突っ伏せばすかさず頭を撫でられるから堪らない。

「なーんで湖上艦隊だけ駄目なんだろねー」
「船の上だからだろ」
「特殊飛行部じゃ禁止されてないじゃん」
「女がいないからだろ」
「てことは男同士ならありなの?」
「それは……――、って想像させんな!」
「え、やだうそ、なに想像したの。委員長やっらしー」

 からかわれて声を荒げるリュウセイを笑いながら、ナグモはゲーム機の電源を切った。
 本当は聞かずとも分かっている。
 湖上艦隊で隊員同士の恋愛が禁止されているのは、閉鎖空間での長期任務が多いからだ。ただでさえも少数精鋭の部隊であるというのに、妊娠でもすれば戦力が欠ける上に適切な医療機関への搬送もしなければならない。手間、労力、金。他にもありとあらゆる負債が発生する。
 だから、だ。

「ああもう、とにかく! ……あんま目立つなよ」
「はーい。分かってる」
「艦内じゃバレてもなんとかなるだろうけどな、外じゃ、」
「分かってるって。ほんっと心配性なんだから、委員長は。――分かってる。ありがと」

 秘密の恋は、ひどく甘い蜜の味がした。
 少しだけ苦くて癖になる。
 ――あの人は、花というより賢い蜘蛛のようだったけれど。

「そういえばね、私って蝶みたいなんだって」
「なんだそりゃ」
「彼氏様に言われたんですぅー。『君は蝶みたいだ』って」
「まあ確かに見た目は派手だよな。花から花へって感じも、――あ?」
「なにこれ、アラート? いつもと違うけど、いったいなにが……」

 突然艦内に鳴り響いた警告音に、休んでいた隊員達が次々に行動を開始し始めた。いつでも動けるように戦闘服、作業服に身を包んでいる。幸いナグモとリュウセイはまだ着替えていなかったので、Gスーツさえ纏えばすぐにでも飛べる準備は整っていた。
 指示を待つ間の緊張感が肌を刺す。外はもう暗い。風はなく、湖面は大きな波もなく穏やかだ。なにが起きたのだろう。誰もが神経を研ぎ澄ませる中、硬い声音がスピーカーを割った。


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