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act.2:ストレス発散大作戦!

 人の話し声が絶えない食堂の中、ワカバはマカロニサラダにフォークを突き立てながら小さく溜息を吐いた。本当なら舌打ちの一つや二つ零したいのだが、周りに人がいてはそれもできない。
 すぐさま溜息を聞き取って、友人の一人が「どうしたの?」と声をかけてくれた。先日のあの失礼極まりない腹黒男について機関銃のように愚痴をばら撒きたいが、誰からもちやほやされるかわいい女の子が愚痴など零すはずもないので、ぐっとこらえて笑顔で首を振る。
 平気だよ、大丈夫だよ、ありがとう! ワカバが笑えば、彼女は安心したように頷いて食事を再開させた。――そこはもっと食い下がってよ。尖らせたくなる唇を、代わりにサラダを押し込むことで誤魔化す。
 ――ああ、それにしてもストレスが溜まる。あの日のことを吐き出したいのに、ここにいては誰にも吐き出せなくて、胸の中にはもやもやとしたものが溜まるばかりだ。
 相談という形で吐き出そうかと何度か思ってみたが、話しかけた途端に言葉は奥の方へ引っ込んでいった。煙のように逃げられて、結局当たり障りのない話で場を盛り上げるだけで終わる。ワカバの腸はあれから一週間経った今でも煮えくり返ったままで、ことあるごとにあの男の言葉を思い出しては、一人奥歯を噛み締める生活を送っていた。

 言いたいのに言えない。
 誰の前でも「かわいいワカバ」でいることが、ワカバのポリシーだ。かわいい女の子は愚痴なんか零さない。吐いていいのは、いざというときの弱音だけ。だけどそれだって、前向きであることが前提だ。泣き言は言わない。ぐずぐず泣いて落ち込んで、それで慰められたって面白くない。
 とはいえ、さすがに誰にも分かってもらえないのもいい加減つらくなってきた。訓練で身体を動かせばある程度発散できるが、それでも根本的な解決にはならない。
 どうしよう。そろそろ限界だ。明日は休みだし、どこかへ出かけようか。誰か愚痴を零せる人はいないかと考えて、けれども結局誰一人として思い浮かばなくて机に撃沈する。
 心配そうにシュミットが「どうした」と覗き込んできたが、適当に笑って流して唇を噛み締めた。
 ――もう、それもこれもあの男のせいだ。

「……あ」

 頭の中に、花が咲く。
 たった一人思い浮かんだその人物に、ワカバは小さくガッツポーズを決めた。


* * *



「だからもうほんっとありえない! ワカバに対してあんな侮辱するだなんて、ぜぇったい頭おかしい、いかれてる! そもそもなにあの腹黒男、あれでよくフローリストなんかやってられるよねって感じ。あの眼鏡だってオシャレとか思ってんの? ちょっと顔がいいからってバカじゃない? いい年して痛いっての! 一人称を『僕』にしてわざわざ変えてるのもムカつく! キモい!!」
「…………で、なんで俺は、俺の悪口を聞かされてんだ?」
「だって他に言えるとこないんだもん! ワカバは人の悪口言わないの!」

 閉店時間を狙ってニノカタを引っ張り出したワカバは、ひと気のないデパートの通路の隅でひたすらに愚痴を零していた。目の前にはうんざりした様子のニノカタが今にも帰りたそうにしているが、出会い頭に社員証を奪ってやったので、ワカバを置いてどこかへ行くことは不可能だ。
 「逃げたらセクハラされたって叫んでやる」社員証片手に微笑めば、さすがのニノカタも怯んだらしい。なにしろここは彼の職場だ。トラブルは避けたいのだろう。

「なるほど。お前、友達いないのか」
「いるもん! 失礼なこと言わないでよね!! いるけど、ワカバはムカつくとかウザいとか言わないようにしてるの! 愚痴とか言わないの! そもそもあなたがワカバのことこんっなに不快にさせたんだから、責任取りなさいよ!!」
「なんの責任だよ……。フラれた逆恨みでストーカーって、お前ほんっと救えねぇガキだな」
「はぁあああ!? 誰がストーカーよ、そんなのと一緒にしないで!」

 携帯端末を弄りながらではあるが、それでもニノカタはその場に留まっているので、ワカバは遠慮会釈なく思いの丈をぶちまけた。どれほど腹が立ったか、どれほどぎゃふんと言わせたいか。怒涛の語りに彼は時折こめかみを押さえていたが、やがてワカバの語彙が尽きた頃、眼鏡の奥の瞳がゆっくりと携帯端末から外れた。
 見た目だけは穏やかな双眸に見下ろされ、憎いはずなのに胸が小さく音を立てる。

「な、なによ」
「時間」
「は?」
「門限あるんじゃねぇの? 名パイロットの卵サマ」
「――あっ! やだ、うそ、もうこんな時間!? 帰る!」
「とっとと帰れ今すぐ帰れ。その前に社員証返せクソガキ」
「それが人にものを頼む態度!?」

 勢いよく指先を突きつければ、先日作ったばかりのブレスレットがじゃらりと音を立てた。春をイメージした色合いのそれは、ゴールドのハートが揺れてワカバにとてもよく似合っているはずだ。プライベートでしかつけられないが、みんなかわいいと褒めそやしてくれたのだから間違いない。
 会うのがこの憎い男相手とはいえ、オシャレには気を抜けない。どんな些細な用事だろうと、プライベートの外出なら細部にまで気を遣うのがすっかり癖になってしまっている。

「『返してください、お願いします』は?」
「あ?」
「言わないと返さない」
「返してください。お願いします、お客様」

 ワカバがかつて心を奪われた営業用の笑顔を惜しげもなくばら撒かれ、ためらいなく放たれた望みの言葉に逆に怯んだ。自分から言い出したこととはいえ、渋られると思っていたからきまりが悪い。
 「お客様?」ワカバも得意とする少し困ったような微笑みを向けられて、ますますたじろぐはめになった。言葉が迷子になって出てこない。
 プライドはないのかと聞きたいが、それを問えば無茶を言っている自分の価値が低いことを認めるのと同義な気がしてそれもできない。
 迷いに迷って、その末に捻り出した言葉はあまりにも陳腐なものだった。

「……こっ、心がこもってない!」
「はぁ? めんどくせぇな、さっさと返せよ」
「やだ!」

 取り返そうと伸びてきた手をすり抜け、後ずさる。いくら相手がフローリストといえど、正規軍人とほぼ同等の訓練を受けているワカバの身のこなしには敵うまい。
 苛立ちを隠さないニノカタが、急ににっと口の端を吊り上げて笑った。悪巧みしか感じられないそれにどきりとするが、彼がなにを考えているのかさっぱり分からない。
 一歩近づかれるたびに一歩後退し、また一歩近づかれ、と数回繰り返すうち、ワカバの踵が壁にぶつかった。追い込まれたが、逃げ出すのは容易い。
 軍人舐めんなと内心で嘲笑し、いざとなればセクハラの現場となるよう、社員証を自分の胸に押しつけるようにして握り込む。
 さあ、どうする。
 無理やり奪おうと胸元に手を伸ばしてきたら、そのときは思いきり悲鳴を上げてやるつもりだ。
 悔しげな様を嗤ってやろうと顔を上げたワカバの鼻先を、甘い香りがくすぐった。ふわりと漂う香りは、香水でもなんでもない。花の香りだ。


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