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 そして今日は、待ちに待った決戦日だ。今日はニノカタにテキストを貰う約束をしている。
 初めて店の外で会う。完全にプライベートな状態で会える今日、ワカバは告白することを心に決めていた。空学生は普通の学生と違って、自由な時間が限られている。比較的余裕のある今しかチャンスはなかった。

「……ま、だいじょーぶに決まってるけど」

 だってワカバ、かわいいもん。
 待ち合わせ場所に辿り着く直前でトイレに駆け込み、鏡を前に最終チェックを行う。前髪を整え、グロスを塗り直し、睫毛の上がり具合を確かめた。ふわりと揺れる淡いピンク色のワンピースは女の子らしさ満点で、ワカバにとてもよく似合っている。大きなリボンがかわいいベージュのコートは、この日のために買った新品だった。
 五分ほど早く待ち合わせ場所に辿り着いたが、そこにはすでにニノカタの姿があった。初めて見る私服姿に、どきりと胸が大きな音を立てる。
 濃紺のコートの裾から覗く細身のパンツはワインレッドで、足元は重厚感のある黒いブーツだ。吐き出す息が白く染まる。もしも想いが吐息に乗っていたのなら、きっとほんのり赤く染まっていただろう。

「ニノカタさんっ」

 しっかり呼吸を整えてから、ワカバは笑顔で駆け寄った。髪は乱れてしまうけれど、こうした方がきっとかわいい。
 携帯端末を見ていたニノカタが顔を上げる。ワカバを見るなりその表情が和らぎ、彼は優しく微笑んだ。

「おはよう、ワカバちゃん」
「おはようございます! ごめんなさい、お待たせしちゃいましたか?」
「ううん、平気だよ。僕も、今来たところだから」

 そう言ってすぐさま「寒くない?」と声をかけてくれるニノカタに、胸が躍った。
 軽く試験の話も聞かせてもらえることになっているので、二人は自然な流れで喫茶店に入ることになった。店を選んだのはニノカタだ。ワカバの好みにもぴたりとあてはまる愛らしい店構えに、やっぱり男はこうでなくちゃと笑みが零れる。
 他愛のない話をしながら美味しいケーキに舌鼓を打ち、薫り高い紅茶を楽しんだ。もちろん、テキストを前に本題に入ることも忘れない。最初こそ、話すきっかけ程度にしか思っていなかった緑花管理技師の資格だが、調べるうちに本当に興味が湧いてきたので真面目に試験を受けることを検討している。
 数多くの質問を繰り返すワカバに、ニノカタは感心したように「ワカバちゃんは偉いね」と言ってくれた。どうにもくすぐったくて、テキストで顔の半分を覆い隠す。

「そういえば、ワカバちゃんはどうして、空軍学校に入ろうと思ったの?」
「えと、親戚が空軍のパイロットで、小さい頃から憧れてて……。それにわたし、お花が大好きなんです。だから、自分の手で守れたらいいなぁって思って」
「そっか。じゃあ、ワカバちゃんは僕らにとって、なくてはならない存在になるってわけだ。どうぞよろしくお願いいたします、名パイロット様」
「やめてくださいよ、もう! まだまだそんなんじゃないんですからっ」

 語った内容に嘘はない。事実、ワカバの従兄が空軍兵士で、彼は小さな頃から憧れのお兄ちゃんだった。純粋な憧れはいつしか恋愛感情と混ざり合って、ワカバはそのまま勢いに任せて空軍学校への進学を決めたのだ。結局、入学前に「やっぱりなんか違うかも」となって熱は冷めたけれど、試験には合格していたのでそのまま入学して今に至る。
 訓練自体は厳しいが、負けず嫌いのワカバには、競争相手がいることはさほど苦ではない。まだシミュレーションが主だが、空を飛ぶこと自体も楽しいと思える。
 それに実を言えば、卒業後にそのまま空軍に入隊する気はあまりなかった。空軍学校に通っていたという事実により、民間エアラインへの就職に有利になるからだ。女子生徒はその道に進む者も珍しくない。放任主義の両親は、一人娘のワカバがどんな道へ進もうとお構いなしだった。
 昼過ぎの待ち合わせだったせいか、気がつけばもう夕方と呼べる時間になっていた。寮生活をしている以上、門限という縛りがついて回る。もう少し学年が上がれば申請次第で深夜まで外出できるけれど、一年生のワカバには早めの帰寮が求められている。
 名残惜しさで沈む反面、心臓は急激に速さを増した。――そろそろだ。店を出て、駅前に向かうまでのその間に公園がある。そこに立ち寄って、そして夕陽をバックに告白して――……。

「ワカバちゃん?」
「えっ? あっ、お会計!」
「いいよ、ここは僕が持つから。頑張ってるワカバちゃんに応援の気持ち」
「でも……」
「その代わり、立派なパイロットになった暁には、ぜひとも当店でお花をお買い求めいただきたく」

 「ね?」と笑顔で首を傾けるニノカタに、財布を出しかけていた手が鞄の奥へと戻っていく。少し困ったようにはにかんで深く頭を下げれば、大きな手が頭を優しく撫でてくれた。
 さりげなく車道側を歩く気遣いといい、ゆったりとした歩調といい、もうなにからなにまで完璧だ。ワカバが笑えばニノカタも笑う。まさに理想のデートだ。
 一週間以上前から考えていた計画通り、ワカバは夕暮れの公園にニノカタを連れて立ち寄った。ちょうどブランコの近くに猫がいて、「かわいい!」と駆け寄ることができたので、あのブタ猫には感謝している。最後まできっかけに悩んでいたので、これは本当に助かった。

「冷えてきたね。なにか温かい飲み物買ってこようか」

 ひとしきり猫を撫でたあと、そう言って背を向けたニノカタに、ワカバは慌てて手を伸ばした。ほとんど反射で、無意識だった。
 予定と違う。頭が真っ白になって、なにを言うべきか分からなくなった。「どうしたの?」首だけで振り返ったニノカタに見下ろされ、そこでようやく言葉が戻ってくる。
 ――落ち着け、大丈夫、大丈夫。
 この上なく早鐘を打つ心臓が飛び出さないように願いながら、縋るように掴んだ服の裾を軽く引いた。そのままじっと上目遣いに見上げ、震える唇から揺れる吐息を零す。
 夕陽に照らされたニノカタの頬に、フレームの影が落ちている。ワカバの頬も、きっとこんな色に染まっているのだろう。それとも、もっと鮮やかな赤に色づいているのだろうか。

「あ、あの……、は、初めて会ったときから、ずっと、ニノカタさんのこと、――す、好きです! 大好き、なんです。あの、だから、わ、ワカバと付き合ってください!」

 緊張で潤んだ瞳をぎゅっと閉じて、ワカバはニノカタの返事を待った。
 思い返せば、自分から告白したのはこれが初めてだ。なにしろ今までは、告白されたことしかない。そっか、告白ってこんなに緊張するものなんだ。手や足まで震えるだなんて思ってもいなかった。
 何十分にも思える沈黙のあと、目の前で影が揺れた。声が、降ってくる。

「ありがとう、ワカバちゃん。気持ちは嬉しいけど……、でも、ごめんね?」
「…………へ?」

 あまりにも心臓がうるさいから、聞き間違えたのだろうか。
 唖然として見上げた先には、困ったように微笑むニノカタがいた。
 いや、まさか、そんな。だってそんなこと、あるわけない。


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